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■「高野物狂」「船弁慶」   dimanche 12 juillet 2009 [■能狂言]

観世九皐会7月定例会 神楽坂・矢来能楽堂
能「高野物狂」(シテ・中所宜夫)、「船弁慶」(シテ・遠藤喜久 子方・遠藤ひかる)
狂言「名取川」(シテ・善竹十郎)

「高野物狂」は、家出した主君の遺児を探しに出た高師四郎と、遺児春満の邂逅の物語である。題材としてはよくあるものだが、男物狂は珍しいものといえるだろう。また、面を着けているかのような直面の緊張感は特殊な舞台構成を表出している。中所宜夫師が全編に亙る緊張感を維持し続けられたことにより、観る側の集中力をも要求し静謐さに溢れた番組となった。

「船弁慶」 義経の西国落ちから静御前を都に返す話と、海上で平家の怨霊に襲われる話のふたつの話でできている。
後ジテ・知盛の幽霊とワキ・弁慶の格闘が主題であるのだが、アイ狂言の「叱れ叱れ叱れ」という波を静める声に対して、知盛の動きを表す大鼓の連打と掛け声の遣り取りによって場の一層の盛り上がりがあった。アイがこのように前面に出て存在感をだすのも珍しいが、それ以上に大鼓の押し出しが非常に強く、海上の戦いが表現されていた。しかしそれはさもありなん、大鼓は大倉正之助師であったのだ。


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で、毘沙門の辺りで酩酊。
日曜日だってのに裏道のほうまで観光客多すぎじゃないか。それに対して呑み屋は正しい呑み屋が増えていない。「泥味亭」や「伊勢藤」と真逆の小奇麗な店が増えすぎだろ。天麩羅は塩で喰わなきゃいけねえのか、鰹に芥子を付けて喰わせる気か。醤油のいいのを用意すりゃいいじゃねえか。
アベックで行けるしゃらくさい呑み屋なんか閉鎖したほうがいいな、ケッ。


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■「賀茂」「花筐」   dimanche 10 mai 09 [■能狂言]

観世九皐会五月定例会 神楽坂・矢来能楽堂
能「賀茂」(シテ・長山耕三)、「花筐」(シテ・駒瀬直也)
狂言「附子」(シテ・野村万蔵)

狂言の「附子」(ぶす)は、主人から砂糖を猛毒だといい含められた太郎冠者と次郎冠者が、主人の不在中に食べてしまい、その言い訳にわざと掛け軸を破き、毒を食べて死んで詫びるという例に依っての話。

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■「田村」「安達原」   dimanshe 12 avril 09 [■能狂言]

観世九皐会4月例会 神楽坂・矢来能楽堂
能「田村」(シテ・古川充、ワキ・森常好)、「安達原」(シテ・佐久間二郎)
狂言「鬼瓦」(シテ・善竹十郎)

有名な安達原の鬼女の人食い奇譚。昨今はワキの山伏の祈祷と鬼女の押し引きや、能力(アイ)の鬼女の部屋を覗く所作よりも、鬼女の悲哀の方に興味が湧いてくるようになった。

そして、京都からの帰国の旅のとちゅう、鬼瓦を見て地元の妻を思い出して泣き出す大名の話「鬼瓦」は、何度観ても手放しで笑える。能と狂言の取り合わせが絶妙な演目だった。

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■「源氏供養」「雲林院」   dimanche 8 mars 09 [■能狂言]

観世九皐会3月定例会 神楽坂・矢来能楽堂
能「源氏供養」(シテ・坂真太郎)、「雲林院」(シテ・奥川恒治)。狂言「痩松」(シテ・高澤祐介、アド・前田晃一)

能の「源氏供養」「雲林院」の二題とも、「源氏物語」を語る紫式部、「伊勢物語」の在原業平と著者の霊が舞う小品という似通ったものとなった。梅の香りの漂う春間近を感じさせるよい例会であった。
狂言のほうは、山賊に荷物を取られた女が、うまく山賊の薙刀を奪い、逆に山賊の身包みを剥ぐというもの。所作の面白さにただただ笑っていられる安寧なものだった。

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■「東岸居士」「龍田」    dimanche 8 fev,09 [■能狂言]

観世九皐会2月定例会 (神楽坂・矢来能楽堂)
能「東岸居士」(シテ・遠藤六郎)、「龍田」(シテ・小島英明)
狂言「磁石」(シテ・山本則直 アド・山本則孝)

「東岸居士」は遊狂物であるが、偏に遠藤六郎師の健勝こそが語られるべき演目となった。高齢にも拘わらず、1時間も演目の中に自らの身体を統禦し続ける、肉体的刻苦と精神力は如何許りであろう。伝統芸能の継承とは身体の変容の持続である。
「龍田」とともに4番目物が並んだ演目となった。


龍田川紅葉を閉づる薄氷 渡らばそれも中や絶えなん

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■ここにも能楽堂に携帯を鳴らす老人が。最低のマナーは老人にはないのか。


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■「白楽天」「草子洗小町」  dimanche 11 janv,09 [■能狂言]

観世九皐会一月定例会(神楽坂・矢来能楽堂)
能「白楽天」(シテ・観世喜之、ツレ・観世喜正)、「草子洗小町」(シテ・長沼範夫、主ツレ・中所宜夫)
狂言「筑紫奥」(シテ・野村万作、子アド・野村萬斎、アド・高野和憲)

今年最初の矢来能楽堂の定例会です。能の前に遠藤六郎師による「神歌」が歌われました。
最初の「白楽天」は、唐から日本へやって来た白楽天を漁師の老人に化けた住吉明神が、歌・文藝で日本の方が優越しているとして唐に返すというもの。元清の作品であるが、中国に負けまいとする当時の日本の意識が読めるが、認識論においてここまで露骨に分かりやすいものもない。

「草子洗小町」は小野小町を和歌の力量でもそれなりの力があったように描いている。話は大伴黒主の嫉妬による謀を描いており、中世も如何にも俗流な話の展開が許容されていたのだということを確認できる。

両編も分かりやすく、新年のおめでたいものとして選ばれたものであろう。いつもより時間的に長いものだったが、演技の面においてかなり充実したものだった。

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新年の注連飾りが清々しい


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■「芭蕉」「春日龍神」   dimanche 14 dec,08 [■能狂言]

観世九皐会 神楽坂・矢来能楽堂 12月定例会
能「芭蕉」(シテ・観世喜之、ワキ・村瀬純)、「春日龍神」(シテ・桑田貴志)
狂言「鎌腹」(シテ・野村萬斎)

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■能「放下僧」「三輪」      dimanche 12 oct.08 [■能狂言]

観世九皐会(神楽坂・矢来能楽堂)10月定例会
能「放下僧」(シテ・小島英明、ツレ・桑田貴志、ワキ・村瀬純)、「三輪」(シテ・五木田三郎、ワキ・野口能弘)
狂言「鴈礫」(シテ・善竹十郎)

「放下僧」は親の敵を討つ兄弟の話であるが、放下僧と呼ばれる旅芸人に身を窶したことが主題になっており、舞いが中心となっている。構成で特異なのが、兄弟が敵を討つ直前でワキ方は切戸口から退場していることだ。実際の場面では仇討ちの対象となる人物が存在しないのだ。抽象的表現を突き詰めた極めて能楽的舞台構成になっている。(能舞台に切戸口が出来る以前―元禄以前―は、地謡衆と一緒になるということで居なくなることを表現していたそうである)

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「落下一陽の春を知らず 白雲青山に蔽う」


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■能「遊行柳」「鵺」     dimanche 14 sept 08 [■能狂言]

観世九皐会九月例会 神楽坂矢来能楽堂

能「遊行柳」(シテ・遠藤六郎)、「鵺」(シテ・古川充)
狂言「呂蓮」(シテ・野村萬)

「遊行柳」ゆぎょうやなぎ
諸国を巡る遊行上人の前に現れた老人が、西行の詠んだ「道のべに清水流るる柳陰 しばしとてこそ立ちとまりつれ」の柳を教えてくれる。その後回向によって成仏できた舞を見せる。柳の言伝えと西行の歌を結びつけた物語で、秋を感じる演目となった。遠藤六郎師はかなりのご高齢となっておられると思うが、若い時には出来ないであろう、渋みのある舞いであった。

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↑まったく関係ありません。イメージということで…

で、毘沙門天とともに神楽坂のランドマーク赤城神社。なんとマンション建設のため取り壊されていた。
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■「井筒」「錦木」       dimanche 10 aout 08 [■能狂言]

●神楽坂・矢来能楽堂、観世九皐会8月定例会。
 能「井筒」(シテ・弘田裕一)、「錦木」(シテ・佐久間二郎)
 狂言「蚊相撲」(シテ・三宅右近)

「井筒」
紀有常の娘が、在原業平の冠と衣を着け、井筒に自分の姿を映し業平の面影に悄然とし、暁を告げる鐘の音と供に去って行く。この場面は能演目の中でも、有数の名場面であろう。シテを舞った弘田裕一師は、いつも中国の故事を題材にする演目が多いようだが、この「井筒」では幽玄に満ちた舞をみせて頂いた。

「錦木」は、佐久間次郎師の舞もメリハリがあって素晴らしいのだが、それにも益して世阿弥元清の謡本の内容に吃驚された。
「錦木」は陸奥地方の「求婚伝説」を題にしたもので、男尊女卑の中世にあって、かなり現代性のある皮肉の籠もった話である。陸奥地方では好きな女がいる場合、男はその女の家の門に錦木を立て求婚するのだ。そして、その男の求愛を受ける時はそれを受け取り、逆に拒否する時はそのまま放置するのだそうだ。「錦木」では3年立て続け放置され続け死んでしまった男の話だ。このような内容の本が中世に成立するとは、極めて特異な成立過程があったのではないかと思われる。

浪本老先生は過ごし易い天候だったせいか、佐久間師の舞や所作を乗り出すように見入っていた。さすがです。

 

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夕食は高田馬場。一週間もノンアルコールだったので、夕食のワインが進んだ進んだ。


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