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■能「船弁慶」   dimanche 14 septembre 2014 [■能狂言]

観世九皐会・矢来能楽堂
能「小督」、「船弁慶」
「船弁慶」の源義経の子方の少年の演技は愉悦だった。

狂言・野村万作「伊文字」

矢来能楽堂は改修されて少し明るくなったが、もっと暗くてもいいんじゃないか。能のもつ雰囲気に彷徨するのなら暗すぎる方が良い。

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■梅若玄祥師「自然居士」      samedi 29 juin 2013 [■能狂言]

矢来能楽堂にて梅若玄祥師の「自然居士」を観る。
梅若師を観るのは初めてなので構えてしまった。もちろん僕が何をいう事もなく至福の時を過ごしたのでした。観世九皐会だけでなく、観世本家、梅若、喜多、金春など一見でも入れるものは観てゆきたいものだ。

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■「清経」「葛城」      dimanche 9 decembre 2012 [■能狂言]

観世九皐会12月定例会(神楽坂・矢来能楽堂)
半年ぶりに矢来能楽堂に行く。

能「清経」(シテ・観世喜之)、「葛城」(シテ・古川充)
狂言「入間川」(シテ・野村萬斎)

喜之師はさすがに高齢ゆえ声の嗄れが気になりましたが、それにもまして後半の舞いの矍鑠さを堪能できました。年齢を重ねることによって醸成される上品さとでもいうような所作でしょうか。

萬斎さんの「入間川」は爽快に笑えば良いのでしょう。平安な気持ちでした。


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■「小袖曽我」「鵜飼」    dimanche 10 juin 2012 [■能狂言]

観世九皐会6月定例会(神楽坂・矢来能楽堂)
能「小袖曽我」(シテ・観世喜正 ツレ・中森健之介)、「鵜飼」(シテ・古川充)
狂言「苞山伏」(シテ・野村万作)

「小袖曽我」は、曽我十郎祐成(シテ)と五郎時致(ツレ)の曽我兄弟が敵討ちの前、弟五郎の勘当を母に許される四番目もの。内容はシンプルである。
で、終盤兄弟の相舞があるのだが、そこで舞の力量の差が出てしまうようだ。若い中森師が直線的で硬い舞なのにたいし、喜正師の動きは柔らかく連続したもので、例えれば円を描くように舞っているようだ。所作の終点のとき膝に余裕を持たせ、着点で柔らかく動きを終わらせる。それが次の動きにも繋がり、舞に連続性がつき観ている側は陶酔感がうまれる。

また、喜正師が白大口の袴を着け正面を向き腰を下している姿は、鈴木大拙師が著した「朝日のまだ照りわたらぬ広場の白木の小舎に端坐する白衣」の「神道」の姿を体現しているかのようであった。――とはいえ、之と対峙して大拙師は「糞尿に手も汚れて、汗満身の野良男」に「霊性は具体の事実にその糧を求める」としているのであるが――

狂言の「苞山伏」は、眠っている山人の弁当を食べた男が山伏のせいにしようとしたが法力でバレるという話だが、野村万作師が軽妙に演じられた。がっははと笑うものではなかったが、能天気に笑えました。萬斎さんの高い声もそれなりに宜しいが、万作さんの枯淡もまた好いのであります。


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■「熊野」「殺生石」     dimanche 11 mars 2012 [■能狂言]

観世九皐会3月例会(神楽坂・矢来能楽堂)
能「熊野」(シテ・奥川恒治)、「殺生石」(シテ・佐久間二郎)
狂言「二九十八」(シテ・山本泰太郎)

老母の病気を思い暇を乞う熊野の、「春雨の降るは涙か降るは涙か桜花散るを惜しまぬ人やある」(「春雨の降るは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ」古今集・大伴黒主による)の謡は数多ある謡曲の中でも屈指のものである。震災から1年経った今も悲痛な思いで聴いている人も多いのではなかったか。

番組が始まる前、観世九皐会のシテ方が揃って東北の被災者のため謡った。舞台にシテ方の人々がそろったのは壮観であったが、このような形で見ねばならないのは辛いものがある。また、休憩時間の2時46分に黙禱するのは貴重な時間であったが、君が代を斉唱することには違和感を覚える。死者は国家の名のもとに亡くなったのではなく一人の人格として被災したことに哀悼せねばならない。

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●「雲林院」「雷電」     dimanche 12 fev,2012 [■能狂言]

観世九皐会2月定例会 神楽坂・矢来能楽堂
能「雲林院」(シテ・五木田三郎、ワキ・工藤和哉)、「雷電」(シテ・坂真太郎)
狂言「鞍馬参り」(シテ・善竹十郎)

「伊勢物語」の在原業平の舞いが静かに展開する「雲林院」と、猛々しい舞が中心の「雷神」が好対照で、特に一演目目の「雲林院」は1時間半がまるで古い日本画のように移り行く場面が印象的である。
ワキ方の工藤和哉師の枯れた次第は物語の静の面を構成し、能の世界に安心して入っていける。シテ方の舞、謡に目が行くなか枯淡の世界を構成するにはワキの安定的な力量が必要なのである。

観世善之師が地謡頭として出演していたのも何時にも増して引き締まったものだった。

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■「頼政」「海士」       dimanche 11 dec, 2011 [■能狂言]

観世九皐会12月定例会(神楽坂・矢来能楽堂)
能楽「頼政」(シテ・弘田裕一)、「海士」(シテ・佐久間二郎、子方・奥川恒成)、狂言「仏師」

「頼政」は「実盛」「朝長」とともに三修羅とよばれよく演じられるものだ。平等院で自刃した源頼政の霊を弔うものだが、構成は分かりやすい。弘田師は中国ものもよく演じられているが、修羅ものに長じておられる。

「海士」は母子の離別の哀しみを舞っている。「隅田川」などとは異なるが、震災の後、子どもの為に命を捨てた母の物語は尋常では観られない。龍女になった母を供養しなければならない幼い子が切ない。

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■「誓願寺」「葵上」     demanche 9 oct,2011 [■能狂言]

神楽坂・矢来能楽堂、観世九皐会10月定例会。
能楽「誓願寺」「葵上」、狂言「樋の酒」

「誓願寺」(シテ・駒瀬直也)は和泉式部、「葵上」(シテ・永島忠侈)は六条御息所と、虚実の中の人物が浮かび上がってきた。しかし両作品ともいま一つ違和感を覚えたのは何故だろうか。

観世喜之師と喜正師がつづいた仕舞では、演目の違いもあるが「殺生石」を演じた喜正師の動きが際立ち、これからの活躍が一層期待されるものであった。
喜正師は、伊勢藤で偶然お会いしたことがあるが、日常は物静かな方である。当たり前だが。

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■「三井寺」「阿漕」     demanche 12 juin 2011 [■能狂言]

観世九皐会六月定例会(矢来能楽堂)
能「三井寺」(シテ方・中所宜夫)、「阿漕」(シテ方・坂真太郎)

「三井寺」は、子どもを掠われたことによって狂った女が三井寺で息子と会う有名な作だが、清水寺での静かな狂女の下居姿は、東日本大震災で子を失った現代の女性たちの耐え忍ぶ姿と重なり、悲痛な様を浮かび上がらせた。終演は子どもと邂逅するのだが、子どもを失った母親が狂女とまでなる哀しみは世阿弥の時代でも変わることはない。演目の間だけでも哀悼の想いが惹起されたであろうか。現実が悲痛であることもあるのだ。
中所師の凛とした狂女の振舞いは美しいものだった。

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■「道明寺」「野守」     dimanche 12 dec 2010 [■能狂言]

観世九皐会12月例会(矢来能楽堂)
能「道明寺」(シテ方・中森貫太)、「野守」(シテ方・駒瀬直也)

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