SSブログ

■相模湖~城山~高尾山    samedi 28 mars 2015 [■山行]

愛一郎と由美子さんと、高尾山に行ってきた。風もなく穏やかな春の日のなかをゆっくり歩いて相模湖駅から高尾山を歩いてきた。
というより、相模湖畔にいる野良猫に餌をあげにいったのだ。
3週間まえ大森さんたちと行ったときに出会ったということで、先週も行ったという。それで今回ぼくもついて行ったというわけだ。

ひさしぶりの山行のためへとへと。
1.jpg

2.jpg

3.jpg

▲高水三山トレッキング     mardi 13 sept,2011 [■山行]

奥多摩の高水三山(高水山・岩茸石山・惣岳山)を歩いてきました。
3年ぶりの山行で身体が慣れていないうえに、残暑の日差しが強烈でバテバテでしたが、アプローチが短いのでどうにか登れたようです(本当はかなり消耗していたのは秘密だけど)。足腰は身体を支える時に力が入っているなと自覚できる程でした。

高水三山は3度目ですが、20年近く前に最初に上った後、山好きの皇太子が登った際、階段はできるは四阿はできるはコースが整理され快適な山となっています。

最近は「山ガール」が発生していますが、このコースでも2組の山ガールが出没していました。古くから棲息する中高年グループのオバちゃんたちのキャディ帽子・ラグビージャージ風上着・ピッチリパンツに辟易としていたものですが、颯爽と発生した山ガールのファッションには中々好感が持てます。
とは言っても生態は一緒なようで、岩茸石山で大休止している時、先に出た山ガールが別のルートから現れるという事がおこりちょっと吃驚。どうもガスも背負ってなかったように見え、必需品の不備は多々ありそうな感じでした。地図は読めないまでも(マジでヤバいが)、道標やコースの見落としは気を付けないと、死んでもその付近で徘徊することになるぜ。

3.jpg
▲川苔山方面

1.jpg
▲高水から岩茸石の途中の小路。房総の低山の雰囲気がします。

4.jpg
▲萩の季節

5.jpg
▲下山したら寄る、御岳駅近くの蕎麦屋「玉川屋」

△雨飾山逍遥     le15-17 octobre 04 [■山行]

赤尾さんとカマコーで雨飾山逍遥の旅にいってきた。

1日目小谷温泉泊(白馬乗換、南小谷下車)。なかなかの山塊の町であります。
とうぜん露天風呂でビールを揺ったりと頂く。赤尾さんは泥酔。

2日目。小谷温泉休憩舎~荒菅沢~雨飾山~雨飾温泉雨飾山荘。
荒菅沢から先は混雑でスピードが出ず、全く疲れなかったが、その分ストレスが溜まるものだった。ピークの登攀は30分から1時間の停滞だったので、我々は赤ワインを開けゆっくりと食事とする。バスやマイカーで来ているハイカーは余裕がなく苛立っているようだった。
登頂後赤尾さんと分かれて、雨飾山荘側に下山。こちらは人が少なく積雪も見られた。夜いつものように酩酊。

雨飾は名前が先行している上にルートが楽なので、所謂中高年の素人が多く20人から30人の大集団ばかりであった。分かっていれば平日に行くべきであった。

 
 

△白根三山       9-12 aout 2004 [■山行]

lundi-jeudi 9-12 aout 2004
今年の夏山山行、白根三山。
/ 9・月 新宿7:30-甲府-/広河原-白根お池小屋
/10・火 白根お池小屋-(草スベリ)-肩ノ小屋-北岳(3192.4m)-北岳山荘
/11・水 北岳山荘-中白根-間ノ岳(3189.3m)-農鳥岳(3025.9m)-大門沢下降点-大門小屋
/12・木 大門小屋-奈良田温泉下山/-身延-甲府-新宿

お池小屋から稜線にでる500メートルの直登は、コースタイムに拠れば3時間となっているが、1時間40分で登攀出来た。体重を10キロ落としたのがこの結果である。


■滝子山(2)     2004.7.18 [■山行]

■中央線・笹子=(南稜)~滝子山~(浜立尾根)


△北アルプス 薬師岳~立山    mercredi 13 aout 03 [■山行]

8日から13日まで北アルプス、薬師岳から立山に行ってきた。
・8日(東京12:00)に富山から入って、亀谷温泉の国民宿舎白樺ハイツ、9日に折立から登り始め太郎兵衛平で天幕を張る予定でいたのだが、台風10号のために亀谷温泉で停滞。9日は完全休養となり1日中テレヴィで台風情報を見ることになってしまった。
・10日 折立登山口~太郎平小屋・薬師峠・太郎兵衛平テント場(2,294m)
・11日 テント場~薬師岳(2,926m)~北薬師岳(雪渓に雷鳥)~間山~スゴ乗越小屋(2,300m)
・12日 乗越小屋~越中沢岳(2,591m)~越中沢乗越(2,356m)~鳶山(2,616m)~五色ケ原山荘
・13日 五色ケ原~ザラ峠(2,348m)~獅子岳(2,741m)~鬼岳~龍王岳(2,872m・マキ)~一ノ越山荘・室堂。信濃大町に下山。

10日と13日は晴れたものの、他の日は風雨が強く、ザックは重くなるばかりだし、夏山と雖もかなり消耗した。アップダウンは500メートル位とヘトヘトになる訳ではないのだが、風雨とガスの中でピークの確認は 三角点でするしかなく、展望が無いと精神的に参ってしまう。雨の中を歩くのは結構好きなので笑うしかない。
13日の展望は見事なもので、槍、穂高、笠の西に白山も望めた。今年唯一の夏山だった。これで今夏は勘弁してやる!


下山後は大町温泉郷から信濃大町。駅前の「酒の大町」という酒屋で電車の中で飲む酒を調達しようとしたら、オヤジさんが次から次へと利き酒をさせてくれた。「真澄」「夜明け前」「天墜」は戸隠の〈うずら家〉さんで飲んだことがあるが、「斬九郎」という酒は初めてだった。これは東京ではあまり置いてないということ。時間が許せば古酒から何から全部飲んでしまうところだった。ということで、「天墜」と「斬九郎」の四合を一本ずつもらって飲んだ呉れた(足りないけど)。

 


△金峰山不山行    vendredi 2 mai 2003 [■山行]

4月29日からカマコーと金峰山(2,599m)~国師岳(2,591m)~甲武信岳(2,475m)を縦走するはずだった。

29日に信濃川上から入り、初日は金峰山荘に逗留。
2日目に金峰山を経て国師岳手前の大弛小屋に行く予定にしていた。しかし、30日は予報通り朝から強い雨となり、気温も前日よりかなり低くなった。冬用の装備での山行となったが、金峰山から国師岳までの稜線上は雪上のルートが風と新雪で消され、その上にガスが立ち込め、赤 布や道標などの目標物も見えなくなってしまった。甲武信から金峰山はこの間登山者が入っておらず、稜線上大きな雪原から藪に入るルートはまったく無いものと同じだった。コースから外れ何度かフラッグを詮索したのだが、踏み跡が消えてしまって、地図で見ると ある筈の緩やかな下りのルートが見つからなかった。更にガスが増して雪が舞って来たので、残念だが、通過してきた金峰山小屋に戻り、今回の縦走は断念ということになった。金峰山小屋に入ると、雪は霙状態となって益々危険な状態となってきた。そして、1日、快晴のなかを瑞牆山荘に下山した。下山途中の金峰山、瑞牆山はきわめて美しく、山桜や岩躑躅も春の山らしさを演出していた。

この時季は天候が崩れれば冬山と同じような状態となるが、今年はまさにその状態となったのだ。そのうえ、ガスの中で雪上のトレースの無い状況は遭難してくださいというようなものだ。残念だが撤退は正解だったといえよう。ビバークのようなことになれば只では済みはしなかった。

増富ラジウム温泉に寄って、韮崎に突入となったのだが、悲惨な宴会であった。
駅周辺に宜しいお店が無い。「志ん楽」という割烹に入ろうとしたらどうしても雰囲気がやばい。薄暗い照明で奥に紅い階段が昇っている。どうも淫靡な雰囲気で、仲居さんらしい人の応対も場違いな者を見る怪訝な表情だった。ひょっとして男女のお知り合いがひと目を忍んでお会いする所か? そこに元気な山帰りがヘラヘラ飯食わせろと突入してしまった。

門前払いされる前にこちらから退散して、次の店を探して鮨屋に入ったが、そこが輪を掛けて唖然とさせられた。まだカウンターにネタが無い、そのうえ シャリが未だ炊けてないのだといって、最初にビール1本頼んでからエビセンで20分ほったらかしにされてしまった。出てきた盛り合わせはすべて水っぽい。 カマコーは鮪を残そうとしていた。誰が此処に入ろうと言ったんだ! 海の無い県で鮨を食べちゃ駄目だねぇ。


△富士山 雪上訓練    lundi 23 avril 2001 [■山行]

週末を利用して富士山に雪上訓練。

テントを設営する前は雪が舞っていたが、どことなく暖かい春雪というところか。テントを張り終えたらすぐメシ! 通常雪洞を掘るために使うスコップを転用して、すき焼き!焼きうどん!(目的の半分は達成されたも同然)

よる間断なく風に雪。翌日は10センチの積雪となったが、雪の締まった所でスタッカートなどの確保と、滑落停止の基本練習をする。快晴であったために登頂もできるかというところだったが、今回は基礎トレーニングに徹する。前方転倒のピッケルワークは、ザックを背負いアイゼンをしている岩場では実際にしたくない行動です。

 


△赤岳不山行     samedi 24 fev.2001 [■山行]

椎名誠さんではないが、「八ケ岳に赤岳を見に行った」になってしまった。
週末にカマコーと赤岳に登ってこようと赤岳鉱泉の小屋に入った。ところが明け方の3時くらいから大雨が降ってきて、雪が屋根からドカドカ落ちてきた。2月のこの季節に八ケ岳で雨が降るなんて、何度か厳冬期に登っているが初めての経験だ。
翌日も雨で気温もかなり上がって、何時雪崩が起きてもおかしくない状態だったので、結局撤収してきた。翌日まで居ればどうかは分からないのだろうが、まだやりたいこともあるのでおとなしく茅野に戻った。途中の沢の斜面で表層雪崩の痕も見られ、その時の選択は最善のものだったと思う。雨が降り、ガスの巻いた雪の赤岳でなんか死にたくねェってもんだ。

ところで、厳冬期以外は中高年の女性が山に溢れて、かなり顰蹙を買っているのは、もう至るところで言われているが、この季節は高年のオジサンばかりだ。静かにウイスキーでも飲んでいてくれればカッコイイのだが、もう登った山の自慢や何度来たかの自慢で溢れかえっていた。どうみても下界の社会で適応できず、尚且、相手にもされない人達が逃げ込んでいるようだった。彼らにはヤマは目的になってしまっているんだろう、会話を聞いていて薄ら寂しく、哀れな思いに襲われた。

後少し経ったら、山は自分でルートファインディングできない中高年ならぬ高年に席捲されると予想している文を読んだことがあるが、それは既に始まっていたのだった。それもかなりヤバイ規模でだ。

 


飯豊連峰山行    dimanche 8 oct.2000 [■山行]


4日(水)から8日にかけて飯豊連峰に行く。
福島側(祓川)から入って、飯豊、大日、烏帽子、北股と歩き、飯豊山荘の温泉でゆっくりしてきた。稜線に出る急登では風邪のような症状で、まったくやる気が起きなかった。熱射病だと思うが、水をがぶ飲みしどうにか体調を戻した。今回は左の膝の筋も痛め、三日目から角度の浅い屈伸のときに激痛が走るようになり、散々だった。
飯豊山から北股にかけては標高差の無いなだらかな稜線で、紅葉は半月遅いということだが、ななかまども真っ赤な実を付け綺麗なものだ。東北の山は緩やかでいつのまにかピークを越えているようなおももちで気持ちよく歩ける。山によって歩かされているような感じだ。季節がらバッタや赤とんぼなどがいつも周りにいて、爽やかな山行だった。

米沢から帰ってきたのだが、列車に向かって揃って手を振る芋煮会で出来あがったおぢさん達の背景に見えた刈田や、点々とする藁塚、遠くに煙の上がる風景、これらは明治の頃イザベラ・バード Isabella Bird がみた東北と同じなのだろう。
それにしても、げにおそろしきものは米沢駅周辺は蕎麦、うどんだけでなくラーメンも米沢牛を使っているらしいことだ。山から降りてきたときには瑞々しい食べ物とともに、揚げ物など世俗的な(?)油濃いものも欲しくなるのだけれど、牛は甘くて上品過ぎるということで意見が纏まった。

日本奥地紀行

日本奥地紀行

  • 作者: イザベラ バード
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2000/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。