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●旧交     vendredi 9 oct.'09 [■仏文研]

神田さんが会議のため東京出張、神楽坂の居酒屋で後藤ちゃんと三人で飲む。

自ずと現今の経済問題になるが、価値観と経済が連関し、その変化と行き詰まりが如何に連鎖しているかの話になる。
資本システムが疲弊し脆弱化している現在では、我々の踠きはまさに、「波うち際の砂」でしかない。その足許で我々の価値観と乖離した「ゆとり教育」で育った青年達の価値観が、経済の下降に加担せざるを得ない装置となってしまっている。人間の生が機械となってしまう、いわば変容した疎外論を想起させられる。

また、現在直面している日本経済の崩壊が、太平洋戦争の敗北によるアメリカ文化の許容によるものでなく、西欧資本主義を受け入れた明治維新そのときから内包しているのだということになった。
(資本主義に言及すれば、先行資本主義国家と、低賃金で搾取する前近代的モデルを踏襲している新興資本主義国家の共存は、軋轢・資本の移行を伴わずにはなしえない。先行資本主義国家は帝国主義化しなければ生き残れないし、最早それは無理なのだ)


深夜まで話はつづくのであった。(と言いたいのだが、記憶が断絶しているのである)

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昔、2人は城壁を登っていた。
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●無題 [■仏文研]

後藤さんから、岳雄くんが先月25日に亡くなったという連絡が入った。妹のKちゃんが発見したという。

会社を辞め、今年の春から浅草でカレーショップを始めたばかりじゃないか。オープン当日の夜電話を掛けてきてくれて、亡き父土井さんのやっていた「DUO」に因んで店名を付たと熱く語ってくれたじゃないか。俺もそのうち食べに行くからと約束したじゃないか。

DUOの常連だったOさんに合って消息を聞いたばかりだった。まさにそのころ彼は仕事に疲れた肉体で不安のなかにいたのだ。なんてこった。チクショウ。

 


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★キャンディーズ 30th      vendredi 4 avril 2008 [■仏文研]

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1978年(昭和53年)4月4日後楽園球場で行なわれたキャンディーズのファイナルカーニバルから30年を記念して、水道橋の後楽園球場の跡地、東京ドームシティのJCBホールでフィルムコンサートが開かれた。(決して引退コンサートではない)

房総の高校生は後楽園に来ることなど夢にも考えなかった。その日の深夜、4時間に亘るコンサートの模様を流したオールナイトニッポンに耳を傾け、数日後にTBSで放送された映像を脳裏に焼き付けることが精一杯だった。ちょっぴり恥ずかしい言表で言えば、青春だった。

あの時は、一方で開港前の成田空港管制塔占拠に関心が向いていた。三里塚もリアリティがあった。僕にはそんな時だった、でも……

もう30年も経ってしまったんだ。


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●旧交       jeudi 1 novembre 2007 [■仏文研]

午後だらだらと無聊を慰めていると、前の席から悲鳴のような絶句した声がした。TクンのPCの画面が昔のDOSの画面のようになっている。PCが昇天したのでした。

その後、結婚して富山に行った神田さんから数年ぶりに連絡。仕事で東京に来ているとのこと。後藤さんと3人で新宿で飲む。それぞれ色々あります。僕は一生連絡係りだということが判明した。最年少の勤めですな。


早稲田のフランス文学研究会の部室があった第一学生会館。南門の斜向かいにあった。現在は取り壊されてない。



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おまけ


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●ジャズ喫茶DUOと早大仏文研    mardi 8 nov.05 [■仏文研]

高田馬場の「ジャズ喫茶DUO」(土井茶廊)の土井泰雄さんが亡くなられました。本日は通夜。
3年前食道癌の手術をした後、小康を保っておられたのだが、秋になって体調を崩されたとのこと。

1972年、高田馬場・栄通りに「珈琲の店土井茶廊」として開店。昼間はバッハを中心としたクラシックを流し、夜になるとジャズを懸けた。早稲田のフランス文学研究会がDUOの常連となるのは1970年代の中葉、撰正哉さんが行くようになってからだろうか。フランス現代思想からゲーデルの不完全定理、バッハかモーツァルトか、石原莞爾と三島由紀夫。今思い出せば限が無い。際限なく話し込んだものだ。土井さんは早稲田の学生の良き理解者であり、DUOは良きたまり場であった。2000年代に入り、土井さんが経営を引くまで、我々は何学年にも亘ってDUOを拠点に学生時代の延長の猶予期間を送った。

そういえば、初めて冬山に入ったのは土井さんに連れられてであった。ツルハシのようにでかいベントのピッケルを持って登らされた。カンチェンジュンガをやった山学同志会の深田さんにお会いしたのもそのときだったろうか。亡くなる前には星の写真を撮ることに傾注していたそうだが、重いカメラ機材を山に上げるのは大変だったろう。

まあ、遅かれ早かれそっちに行くから、撰さんとバッハを聴きながら、ウイスキーでも飲んで待っててください。

DUOの最後の曲は、「フォンテッサ」だった。久しぶりにMJQを聴くか。
ご冥福を祈るばかりです。

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2009-09-20 [■仏文研]

1982年の御宿海岸
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1985年大多喜城
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