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■松島のカキ尽くし    dimanche 2 juin 2013 [■旅]

早慶戦の帰り、松島で。
カキ蒸しのお通し、カキ焼きにカキ丼と牛タンご飯。生ガキの季節は逸したが三陸のカキは復活したのかな。
写真では牛タンが貧弱に見えるが、それは撮影者の問題。なかなかに美味。

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■塩釜~松島~赤倉温泉  samedi 1er juin 2013 [■旅]

石巻で行われる早慶戦のために前泊。

朝8時に東京を出て、昼過ぎ塩釜で食事。昼間からアルコールと言いたいとこだが、一人で酩酊して運転手の坂井君に高速で落とされそうだからグリーンティーでおいしく戴く。海鮮丼は美味しいのだけど、丼物ってスプーン使っちゃだめなのかな。
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▼塩釜神社。この小さな町で世界が一つ完結しているよう。
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▼松島・瑞巌寺。改装中
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▼この日は足を延して赤倉温泉。
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朝風呂にいくと見知らぬオッサンが先に。ウッソー、そりゃないじゃない、なんで混浴なのに。
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▲三槽に分かれている。左上が打たせ湯。手前が高温。右奥が低温。
秘湯の会の宿だけに自然岩をそのまま使ってあるなど趣もある。

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■斑鳩散策     dimanche 12 novembre 2011 [■旅]

二年ぶりに斑鳩法隆寺を歩いてきました。今回の目的は斑鳩散策と、春と秋に公開される夢殿の救世観音像を拝観することです。

例によって7時前の新幹線で東京を発って、10時半に法隆寺駅のひとつ前、大和小泉に降り立ちました。
まず世界遺産の法起寺に向かうのですが、ここから法隆寺方面へ向かうような人は人っ子一人、誰もいません。ちょっと「ドヤ顔」で、俺は知ってるんだぜという優越感。が、法起寺まで予想以上に長い距離。道も分かりづらくやっとたどり着く。歩く人なぞ昭和初期の人間だけです。

田園の中に佇む法起寺の三重塔は、706年に建立された現存するわが国最古の三重塔で国宝です。木造十一面観音菩薩立像は重要文化財。寺の周りはコスモスが咲き溢れているのが印象的な村の古寺という感じです。
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つぎに向かったのが山背大兄王が建立したともいわれる法輪寺。
イチジクの栽培されている(この地方はイチジクが名産なのか?)斑鳩の田園地帯をすこし行くと大勢の人たちが集まっており、法輪寺というのはこんなに人気のある寺なのかと思ったら、村の人たちのフリーマーケットでした。伽藍に入ってみれば、伽藍前の広場と比べ静かな佇まい、というか閑散としていました。法輪寺も三重塔があるのですが、国宝指定だった塔は昭和19年に落雷で焼失、現在の塔は昭和50年に西岡常一棟梁のもと再建されたものということです。

講堂に安置された仏像は飛鳥・平安のものが多く、法隆寺の仏像との関係が想起されるものばかりでした。そこでひとつ気になったのが、他の立像が中央の台座に安置されているのに対し、ひとつ隅におかれた「楊柳観音菩薩立像」です。薬師如来や虚空、十一面観音、弥勒菩薩立像が重要文化財に指定されているのに、この菩薩様だけが疎外状態。普通立像は自然体で屹立しているのが多い印象がありますが、この菩薩は右ひざを柔らかく曲げ静かに歩き出さんばかりの仕草です。これを以って「楊柳の風になびく」と解されているのでしょうが、運きがある菩薩像は魅力的なものです。これは現代人の視点からみた嗜好になるのか、私個人の嗜好なのか判りませんが、流体は1400年前の仏師にも表現すべき事象だったように思います。
 

それから、本日のメイン、夢殿に廻ります。
一昨年来た時に開扉の日にちを逃した「救世観音像」を拝観することが出来ました(35年ぶりでしょうか)。
この立像は聖徳太子等身の178.8センチということですが、仄暗い厨子の奥に安置された観音像は想像よりも小さいく感じられ、「救世観音」という名を冠せねばならない時代精神の逼迫感に圧倒されました。勿論それは現代からみた時代認識でしかありませんが、飛鳥仏とそれを見る現代に文化的乖離を前提としながらも、同一類似性を見出さざるを得ない状況を我々はどう認識したらよいのか、黙だすしかない時代閉塞のなかに佇立する現代とはいかなる時代なのか、1400年の時の文化の連続と断絶を考えさせられます。
(救世観音の光背は、仏像の頭部から釘を打たれ直接設置してあることから色々な言及がなされていますが、そのことは今は無視しています)

▼夢殿。奥に救世観音像がある
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そして、間人皇后の御願で建立された中宮寺。
漆黒の菩薩半跏像(如意輪観世音菩薩、半跏思惟像)に益々黙考。

法隆寺西院伽藍に今日初めて入る。
年に一度11月13日大講堂で行われる「慈恩会」。大講堂に向かう僧侶をみたあと、金堂の釈迦三尊像を拝観しようとしたが修学旅行の学生集団に敗れて断念。前回は学生の背中からどうにか拝観できましたが、この次は平日の午前中を目指して再訪せよとの命なのでしょうか。受けて立ちましょう。

▼五重塔
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▼金堂
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▼大講堂前に置かれた沓。これに履き替えて大講堂に入る
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▲ここで履き替える

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最後に、大宝蔵院に廻り、「百済観音像」を拝観。
何度観ても何処で観ても、百済観音の優美な姿はしなやかな流れの中に安寧を感じさせ、時間を忘れて何時までも観ていたい欲求に囚われます。




▼謎
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■三月堂・月光菩薩を観に行く    mardi 2 novenbre 2010 [■旅]

奈良東大寺で、法華堂(三月堂)月光菩薩像を観てきました。

7時の新幹線で京都へ。近鉄線に乗り換え近鉄奈良駅から、昨年上野で拝見した阿修羅像が安置されている興福寺をやり過ごし、平城京遷都1300年、光明皇后遠忌1250年で例年になく盛り上がっている「正倉院展」(奈良国立博物館)へ。平日午前にも拘わらず既に長蛇の列でしたが、平安なうちに入館することができた。

東大寺の法要に用いられた伎楽の酔胡王と迦楼羅(かるら)の面、『種々薬帳(しゅじゅやくちょう』とそれに記された五色龍歯(ごしきりゅうし)・大黄・冶葛などの薬、献物品を入れた美しく緻密な彩色がされている蘇芳地彩絵箱(すおうじさいえのはこ)など正倉院の誇る宝物に圧倒されるばかりでした。なかでも、正倉院の宝物として白瑠璃碗(はくるりのわん)とともに紹介されることが多い、「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)」の貝を使った螺鈿やタイマイ・琥珀などが浮き上がらせる淡いピンクの装飾は息を呑むばかりであった。
展示しているバックには琵琶の音を流していたのだが、ボディの装飾とかけ離れた音で、雪山で白毛に覆われたライチョウと遭遇した感動とその鳴声の落差に落胆したことを思い出し、苦笑するばかりであった。

正倉院展を出た後、東大寺に向かうメインストリートの修学旅行のバカ中学生の会話、中国語の飛び交いに辟易し、堪えられなくなったので鏡池の手前で右に折れ、そのまま三月堂に向かうことにした(オバちゃんの傍若無人の会話とともに中学生のアンポンタンの会話で日本の知性がバレる)。手向山八幡宮の参道で喧騒から離れて漸く静かな気持ちになる。

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↑伸びをする鹿


三月堂(法華寺)に付くと参拝客は殆どおらず、そのまま通り過ぎるグループも一つや二つではなかったが、それもまた良し。三月堂は現在須弥壇が改修中であり、本尊の不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)は修理のため博物館工房に移されて拝観することできない。しかしその分脇立ちの、日光・月光菩薩を間近でじっくりと拝見することができた。特に月光菩薩の小さく細い指先は感動的である。合掌した手は指先がほんの少し触れているだけであり、掌は離れている。そのうえその触れ合う指は少しずれている。写実的で、菩薩(女性)の一瞬の優しい仕草が表れているようだ。これは法隆寺・百済観音の水瓶を持っている左手の小指が伸びていることにも通じ、繊細な表現が妙に艶めかしく優美な女性性を感じさせる。

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月光菩薩を拝観し、大仏殿の裏を通って戒壇院に行く。多宝塔の周りの四天王を、増長天、広目天、多聞天、持国天の順に観たのだが、どれも素晴らしく二周してしまった。しかし、その像と反対にこの院の精神性の低さには驚かされた。多聞天の安置されている隅には事務用のスチールロッカーが置かれており、なにを考えているのかあきれるばかりだ。また、江戸期の改修で大工が触れた手足の脂分が変質して天井に手形が浮き上がっていると、先日NHKで放送されたのだと、自ら話しかけて来た係の人には(僧侶ではあるまい)、憐憫を覚えた。
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大仏殿の中門から回廊部分は曲線に接続している。何故?

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■広島、原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式       vendredi 6 aout 2010 [■旅]

広島で行われた、原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(Hiroshima Peace Memorial Ceremony)に行く。

学生のころから広島に行かなくては、とずっと思っていましたが、人生もとうに半分以上過ぎて漸く広島に行くことができました。
しかし、広島の地に降り立っても、想像力の欠如、現実への分析力不足は如何ともし難く、目を覆いたくなるほど低レヴェルな感想しか浮かんできません。

原爆ドームは醜い残骸をさらし、65年前の原子爆弾の強烈さを物語っています。しかし、平和公園のモニュメント群・建造物は、何か創られたもの、整理されたものという感情が湧いてしまいます。
もちろん、原子爆弾の残虐性は一瞬で数万の人々の生命を奪う虐殺兵器であり、その悪意のうえに、放射能による原爆症という恐怖が人間を襲うということにあります。その原爆症の恐怖のもとで生きている被爆者(被爆二世、三世も)の想像力は如何ばかりでしょう。
しかし、知識としてしか、あの時のことを考える事が出来ない者にとって、平和記念公園は平和を願うと自認する後世の人間のアリバイとしてだけあり、本当の恐怖は最早認識出来無くなっているのではないか、欺瞞の忌避のためのものになっているのではないか。こう考える想像力の欠如を自ら認識せざるを得ない旅となりました。


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黒い雨

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元安川を挟んだベンチにいた時に飛んで来た雀

写真

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■琵琶湖・竹生島観光   dimanche 5-6 juin 2010 [■旅]

週末、矢来町のOBの御老人たちと琵琶湖に行って来ました。
東京を12時半に出て、湖北長浜のホテル「紅鮎」に逗留。部屋から琵琶湖が眼前に広がり、竹生島を見ながら内風呂に入ることができます。
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DSC00073.JPG夕ご飯は何品出たか記憶がありませんが、薄味で上品といえば良いのでしょうか、関東のドロドロ醤油味と縁を切りたくなります。本当のことを言ってしまえば、関西人も関西弁も漫才も好きではありませんが(ついでに言えばサッカーは嫌いです)、食べ物はどうしても関西に軍配をあげます。近江牛も美味しかったねえ。


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DSC00124.JPG翌朝は、長浜港から竹生島へ。竹生島が女人禁制でないのは島に祀るのが弁財天だからだという謡曲「竹生島」で有名だが、秀吉の遺命で東山の豊国廟から移築された唐門や本殿が小さな島の山腹に集まっている。



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竹生島名物(かどうかは分からないけど)、弁天芋餅。ジャガイモを揚げ、砂糖醤油のタレが懐かしい。

長浜に戻り、真言宗の別院、長浜御坊大通寺を拝観した後、昭和2年創業の「住茂登」(すみもと)というお店でちょっと遅い昼食を頂く。開け放れた気持の良い2階の部屋で、接待も感じの良いものだった。
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DSC00259.JPG今回の旅行の目的の一つ、「鮒鮓」。人口に膾炙されている恐怖の鮒鮓がどのようなものなのか、是非とも挑戦せねばならない。
『すしの歴史を訪ねる』(日比野光敏・著 岩波新書)によれば、「鮨」は「魚のシオカラ」、「鮓」は「塩と米とで醸した漬物」であるとのことだ。今更説明の必要もないが、ナレズシですな。「寿司」は江戸期の当て字だそうだ。

「鮒鮓」に纏わる話は多い。日本最古のすし、どろどろのペースト状の物体とか、平安時代にすし売りがゲロをこそげ落としながら売ったとか、強烈な酸臭で捨ててしまったなど、魅力的な逸話に溢れている。

で、どれほどの恐怖の物体がでてくるかと、期待半分で待っていたら、いやな発酵臭はなく、橙色の卵の部分もしっかりしている。製作の方法は多少違うが富山のかぶら鮓に近い。呑んでた生ビールをやめて、直ぐ様冷たい「住茂登」を頼んでしまった。

お店の人の話によると、一軒一軒味が違い、その家の味があるということだ。漬物や味噌と同じで、塩や漬け方も日にちも違うだろう、長い家族の味があるってのはいいもんだ。
長浜辺りの琵琶湖はまだ水がきれいで鮒もよく、このお店の自家製鮒鮓はなかなか上品に出来ている。琵琶湖の南の方のニゴロブナは泥臭く、それをスシにすれば自然と恐怖の鮒鮓になってしまうということだ。もちろん発酵の段階で酪酸発酵が起こると酸臭がおこるのである。良い物でも開けて半日一日置いておいたら臭くなるのは当たり前で、鮒鮓の駅弁などは自ら不評を買っているようなものだ。もちろん製作過程で清潔にしておくことが前提だ。

一度経験してしまった俺に言わせると、鮒鮓は湖北長浜のものに限るな。



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▲豆腐も美味しい。木綿なのが尚宜しい。

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▲琵琶鱒

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▲鰻素焼きお造り風

■「住茂登」(すみもと)
長浜御坊表参道通り
[電話]0747-65-2588

●12:33東京発14:49米原着
●15:03新快速近江塩津行き●15:22高月着(向源寺)






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●肘折温泉ぶらぶら旅   lundi 1 octobre 2007 [■旅]

週末山形の肘折温泉に、矢来町のおじさん2人、紀尾井町の酒乱1名と行って来ました。
新庄から車で黄金色に稲穂の垂れる田園のなかを30分走り、峡谷の小ぢんまりと佇む温泉宿にたどり着く。逗留した「湯宿 元河原湯」は温泉街にありながら「日本秘湯を守る会」の会員で、古くからある宿とは趣を異にするようでした。

一風呂浴びた後、温泉街を歩いてみると、湯治の老若男女(この言葉使いはビミョーです。「若」は殆ど見えず我々より若い人の姿は多くはなかったかも)で(適当に)賑わっていた。共同浴場の出入りは頻繁で、枯れた良い雰囲気でした。この季節夕刻そとはひんやりしだしており、なかなか気持ちのよいものだった。翌日朝市のおり、澄んだ朝の空気のなか近郊のおばさんの持ってくる野菜や花を見て回るのも揺ったりとした気持ちになり、よい時間を過ごせました。

「元河原湯」では米沢牛のしゃぶしゃぶを選んだのですが、後からステーキも出てくるし、次から次へと料理が続いた。これからの季節は茸類がふんだんに出てくるだろうし、何度も行きたくなる宿でした。多少苦言を呈すれば、料理の品目、量が多すぎる。美味しいだけに食べずには済まされない。胃腸薬も必要すね(約一名食べ過ぎた人がいました)。

昼は酒田にまわり、寿司・割烹の「こい勢」。お任せを頼む。日本海の新鮮なネタとほんのり香らせた薬味が嬉しかった。「こい勢」の主人によると、今年三本指に入るという戸井の鮪(大間と津軽海峡を挟んだ北海道の有名な漁港)は脂がのっていた。酒は「玉彦」

秋の日の良い旅となった。枕抛げまでしてもた。

 


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