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■坂口弘『歌集 常しへの道』      samedi 17 nov.07 [■Livre]

坂口弘の第二歌集『常しへの道』を読む。

1993年2月19日最高裁判所死刑判決、同3月17日判決確定による外部交通権を禁止されたあとの歌を取り上げている。『坂口弘 歌稿』(朝日新聞 1993)では最終歌、

 嵐去り格子に垂れる玉の水闘いし後の充足と見ゆ

にみられるように、粛清への自戒と裁判闘争の余韻が見られた。そこには死刑判決が確定していないだけに事件を扱ったものや政治的な歌の背後にある種の熱意(焦り、動揺)が感じられる。

新歌集も奥尻島沖地震や阪神大地震、オウム事件を題に取ったり、「巡り合ひし人人」のように外部に関心は向いている。
しかし、粛清の内省化は深められ、「死刑囚」「執行」など自らの死に対する恐怖を廻る歌が散見されるようになっている。そしてその歌の多くは運動のない静止したものとして、換言すれば既に死んだものとなっている。死刑囚はその時点で既に生を奪われているのだ。精神の極寒は次の歌で象徴されるだろう。

 わが命数 尽きたりとはまだ思はねど 棚氷より大氷山離る

そして事件から35年もの時を痛感させられるのが喪失感、つまり「老い」の問題である。14人の仲間を殺した死刑囚にとって老いの問題は存在しない。それは面会に来る母親の老いの問題である。

 これが最後 これが最後と思ひつつ 面会の母は八十五になる

殺された同志、殉職した警官、事件に巻き込まれた人の親族、関係者からすれば何を身勝手なと思われるのは必定であるが、一人の「死刑囚・坂口弘」にも母親は存在するのだ。

 はじめから 退路を絶ちし活動に 母は吾をし深く憂ひし

方法論の誤謬に嵌まった尖鋭的左翼運動であるが、それでも、「全共闘=団塊の世代」などという惰性的集団より精神に於いて高潔で在ったと思いたい。30年前に失敗するか、30年掛けて失敗したかの違いだけだ。

常しへの道―歌集

常しへの道―歌集

  • 作者: 坂口 弘
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2007/11
  • メディア: 単行本


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■デリダ『マルクスの亡霊たち』   mardi 16 oct.07 [■Livre]

デリダの『マルクスの亡霊たち』が邦訳された。さくさく読むことにしよう。

マルクスの亡霊たち―負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル

マルクスの亡霊たち―負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル

  • 作者: ジャック・デリダ
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2007/09/25
  • メディア: 単行本

 

夜になって田島節夫氏の訃報が報じられる。
朝日新聞 
2007年10月16日19時02分
東京都立大名誉教授の田島節夫さん死去
田島 節夫さん(たじま・さだお=東京都立大名誉教授・フランス哲学)が15日、肺がんで死去、82歳。葬儀は17日午前11時から東京都大田区大森北2の5の11のカトリック大森教会で。
「現象学と記号論」「フッサール」などの著書がある。

 

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■サルトル『家の馬鹿息子』   lundi 9 janv.07 [■Livre]

サルトルのフローベール論『家の馬鹿息子 Ⅲ――ギュスターヴ・フローベール論(1821年より1857年まで)』(人文書院 平井啓之 鈴木道彦 海老坂武 蓮実重彦・訳)を、芳林堂に取りに行く。

解題で海老坂さんも書いておられるが、1989年に日本語訳第2巻が出版されてから17年、平井先生が1992年12月に亡くなって14年も経ってから、漸くの第3巻の発行である。この遅滞の元凶は蓮実重彦氏である。平井先生は15年も前に原稿を提出されているのだから、その罪は重い。
3冊で、2段組1900ページ、そのうえ後2巻の発刊が予定されている。読む方にも時間がないのだ。頼むぜ、バロン・ハスミ。

 

家の馬鹿息子〈3〉ギュスターヴ・フローベール論(1821年より1857年まで)

  • 作者: ジャンポール サルトル
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 2006/12
  • メディア: 単行本


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小林秀雄 『本居宣長』   vendredi 28 oct.05 [■Livre]

本居宣長〈上〉

本居宣長〈上〉

  • 作者: 小林 秀雄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1992/05
  • メディア: 文庫

本居宣長〈下〉

本居宣長〈下〉

  • 作者: 小林 秀雄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1992/05
  • メディア: 文庫



数年間気に留めていたまま開くことのなかった、小林秀雄氏の『本居宣長』を読了。
この長大な論究は小林秀雄氏の思想論ではなく、丹念に宣長のテクストを追った小林氏の思考ノートといえる。

本居宣長の思想を知るには、本書を読むよりも、「古言」を「漢意(からごころ)」に優位させ、「神の道」「皇国」たる日本の自己同一性を確立するという作業をした、「古事記伝」の「直毘霊」(なおびのみたま)を読むのが良かろう。政治権力上、安寧な社会を維持させる源泉であるとしている皇統の連続性、それ自体が権力の正当性の起源であるとし、中国権力の論理的基盤たる言説の排除を宣言したのが、「直毘霊」であり、「古事記伝」であるだろう。

それが日本の思想の脆弱さに与えた影響か、或はもともと持っていた属性なのか議論の余地はあるが、中国の思想を批判し排除するため、儒教的な言説を否定し、ロゴス自体を否定してしまった。日本的なるものに批判が向けられるときに、反論することもせず、反論することは「漢意」であり論理であるからとなにもしない。宣長が上田秋成の批判に口を噤んだのはその体言であり、小林氏が自己言及を避けているのは、まったくその後継者として正しい。トートロジーの陥穽に落ちずに生き残るのは無視に如かない。

「古事記伝」が日本の近代イデオロギーに影響をあたえたことについては今更言うまでもないが、宣長が「古事記伝」でなした、テクスト読解の認識論的断絶の顕在化は、思想史的に更に言及されてもよいだろう。

直毘霊・玉鉾百首

直毘霊・玉鉾百首

  • 作者: 村岡 典嗣, 本居 宣長
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1989
  • メディア: 文庫


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ガタリ アンチ・オイディプス・ノート [■Livre]

ガタリの『アンチ・オイディプス』のためのノートや解説。
Félix Guattari "ECRITS POUR L'ANTI-OEDIPE"

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■大貫恵美子『ねじ曲げられた桜』   jeudi 12 juin 2003 [■Livre]

ねじ曲げられた桜―美意識と軍国主義

ねじ曲げられた桜―美意識と軍国主義

  • 作者: 大貫 恵美子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2003/04
  • メディア: 単行本

夕刊文化欄で、大貫恵美子『ねじ曲げられた桜』(岩波書店 2003年)が取り上げられている(書評とは言い難い)。
本書は桜の通時的な象徴的意味の変容を、〈生〉に結びついた古代の観念から、「天皇即国家」の為に捧げる=〈死〉に結びつく近代的意味付与にまで下って詳説している。さらに、共時的側面では、国家と民衆のあいだの桜の象徴的意味の共通認識の欠如によって、国家の恣意的な象徴化に反抗できなくなってしまう過程を明らかにしている。
認識論の位相では、〈国家イデオロギーによる愛国心〉と〈素朴愛国心〉とでもいえる概念の分離を精緻に行っている。結果的にその行動が天皇制に加担してしまう行動だったとしても、思想的には天皇制に賛成していたのではないという矛盾する行動を取らざるを得なかった神風特別攻撃隊の隊員の例は(多くのものがそうだったと思われるが)、国家意識に絡めとられた〈愛国心〉の具現である。

この本は岩波書店の広告によると、「象徴人類学の見事な成果」なんであるが、論理に無理があるんじゃないと思わせるところが幾つかある。特攻隊員の日記の読解は逆に解釈できそうな牽強付会のところが多い。また、事実誤認や誤字が散見される。アイリス・チャンの「レイプ・オブ・南京」のように右翼デマゴーグに利用されないように早急に訂正した方がいいだろう。

論は別として単純な誤認としては、
p252 人間魚雷「回天」についての記述で、「搭乗員は、重さ9トンの魚雷の中央に蹲る形になる。1万5500キロの弾頭を持ち、30ノットで潜行した」とあるが、全重9トンの魚雷に15トンの弾頭を搭載するのは無理なんじゃない。1500キロ=1.5トンの間違いだろう。
p338 特攻隊員の中尾武徳氏の読んでいた本のなかに大川周明の『米英東亜侵略史』があったのだが、それを、「極右の軍人、政治家であり、東京裁判でA級戦犯としての判決を受けた大川周明(1886-1957)による『英米東亜侵略史』を読んでいる」と書いている。大川周明は参謀本部の翻訳の仕事をしたり政治結社を主宰したりしたが、軍人でも政治家でもない。また、開廷初日に東条英機を殴って、結局免訴になったことは僕の田舎の父でも知っていることだ。ついでに言えば著作名も違っている。
p438 近衛文麿に関する記述では、「首相としての近衛は」外交的手段を主張し、「この主張が通らなかった時に内閣を解散している」と書いているが、内閣は辞職するものであり、国会が解散するのであることは明治憲法もおなじだ。近衛は昭和16年10月16日に、「内閣を投げ出した」らしいけどね。


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アルンダティー・ロイ収監  jeudi 7 mars 02 [■Livre]

朝日新聞によると Arundhati Roy  アルンダティー・ロイが法廷侮辱罪で収監されたという。

ロイは自国インドのサルダル・サロバル・ダム建設による環境破壊に対し抗議行動を展開、建設を容認した最高裁判決を批判し (「公益の名の下に」1999年7月)、法廷侮辱罪に問われたのだ。最高裁の判決は、「言論の自由は、司法の尊厳を貶めることまで認めてはいない」としているが、 ブッカー章受賞(’97)作家の言動に対して禁錮刑(1日、罰金2000ルピー(6000円))という実刑を科すということは、実質的に言論の自由を封殺しているのに変わらない。

またロイは1998年5月のインド、パキスタンの核実験を反対し、その年の7月に「想像力の終焉」(「論座」1999年7月号) を発表し、ヒンズー・ナショナリスムの拡大を批判した。その2論文を纏めたものが、『わたしの愛したインド』(築地書館 2000年)である。その出版に対してダム推進派は抑圧を加えているらしいが、今回のロイの収監は政府が行った言論弾圧に他ならない。

9・11以降、ロイは日本語に翻訳されているだけでも、「戦争は平和」“War is Peace”(「世界」2002年1月号)、「『無限の正義』の算術」(『発言』 朝日出版社  2002年1月)などで世界貿易センタービルテロ事件とアメリカのアフガニスタン爆撃を、「報復」、「文明の衝突」と捉える短絡を避け、アメリカによる新たなテロだと断罪した。アフガニスタンの山中にウサマ・ビンラディンとオマルを捕獲しに行くことと、B52による空爆やトマホークを撃ち込むことは位相が違うのだという。そのうえで軍産複合体ときわめて密接に結びついたブッシュ政権中枢を浮かび上がらせ、カスピ海における利権、ビンラディンとの「共犯関係」を暴き出している。そして、アメリカのその攻撃のボタンを押したブッシュはビンラディンの「分身」であり、その関係は「アメリカの大統領の暗いドッペルゲンガー」 だと言い切っている。

ロイは、インド政府にしても今回の軍事行動に乗じてアメリカとの関係の緊密化をはかり、国内に米軍基地を造らせようとしていることを糾弾してみせる。インドがアメリカとの関係を過度に結ぶことは国内情勢の過激化を招くと見たのだ(実際今年になってからの 宗教対立で数百人が犠牲になっている)。

結局インド最高裁の判決はインドの言論自由の危うさを露呈させることになった。小説『小さきものたちの神』(1997年)においてカーストや女性問題に迫りブッカー賞を得た女性作家は、インドの改革の先鋒であることと引き換えに、インド政府の要注意人物になったといえる。

わたしの愛したインド

わたしの愛したインド

  • 作者: アルンダティ ロイ
  • 出版社/メーカー: 築地書館
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本


『発言 米同時多発テロと23人の思想家たち』 mercredi 30 janv.02 [■Livre]

『発言 米同時多発テロと23人の思想家たち』(中山元編訳 朝日出版社)

Andre Glucksmannの文は昨今ほとんど翻訳されないが、イロニカルで衒学的な文章が特徴だといえるだろう(その昔、菅孝行氏が言っていたことだが)。 短い文章の中でもいやらしい言表が垣間見れる。

「『予想もできない』というが、予想できなかったのは、この計画されたカタストロフィが、技術的にこれほどの完璧な成功を収めたことだけだ」としたうえで、「2001年9月11日はつねに起こるだろう」としている。しかし、グリュックスマンらしくないのはニヒリズム(イスラム原理主義)の破滅を個人のユマニスムがもたらすかのように述べている点だ。

グリュックスマンは、世界貿易センタービル、ペンタゴンに突入した3機の航空機の次にホワイトハウスに突入するはずだったもう一機の航空機、UA93便の乗客が取った行動に言及する。乗客のうちの数人が食事のプラスティックナイフだけでテロリストに立ち向った行為についてだ。ニヒリズムの行動が市民の英雄的な行動を喚起させ、それによって自ら破滅をもたらすというのである。グリュックスマンにしてはあまりに楽観的で幼児的ではないか。

発言―米同時多発テロと23人の思想家たち

発言―米同時多発テロと23人の思想家たち

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 2002/01
  • メディア: 単行本

 

 

G・ブッシュの一般教書演説において、「悪の枢軸」として北朝鮮、イラク、イランが名指しされ、対テロ戦争の対象として措定されていることが明らかになった。驚きはそこにイランの名前が存在することだ。1979年のイラン革命以来イスラム革命の象徴的な国家として、また、アメリカにとってはテヘランの大使館占拠事件の屈辱がある。 アメリカはアルカイダ壊滅に乗じて20年の恨みを晴らすつもりなのか。しかし、ハタミ大統領の就任を一例としてイランの感情は変化している 。データを見ても国会におけるイスラム聖職者の数は激減しているし、何よりもハタミ大統領の大統領再選などをどうとらえるのだ。こう考えるのは、「平和ボケした日本人」の体現なのであろう。


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■鈴木信太郎 「記憶の蜃気楼」  dimanche 2 juillet 2000 [■Livre]

無知なのと、まったく興味がないのとで、歌舞伎のムラ社会を「梨園」と呼ぶのだということを知らなかった。多分これからもその閉鎖的な社会のことを調べることはないと思う。そのムラ社会の代表的な役者と結婚した元フジテレビの近藤サトさんの離婚会見を聞いた。他人のことなので個人的な理由は興味がないし、どうでも良い。で、その話しのなかで愚かしく思えるのは、ムラ社会の第三者か、その社会に自己同一化しているらしい誰かに「子供をつくるな」と言われたらしい事だ。前妻との子供がいるらしく、秩序ある「梨園」の混乱を恐れたらしい。

その社会の中で様式美だけを追求する伝統芸能体現者の夫、同情的な発言をして見せるが、如何にもということしか言わない前妻、離婚の会見の席上でも「梨園」の良き妻を演じる妻。なんとも封建的な呪われた社会である。こんな駄文を書くことも反吐が出る。

鈴木道彦さんの父、鈴木信太郎さんの文章がある。
「私は宝塚歌劇が大嫌いだった。半男女のような卑俗な見世物と頽廃的な自涜的な少女の熱狂には、虫酸が走るような気がした。また一方で、歌舞伎は脚本のくだらなさと非論理非文明に愛想がつきて、子供に見せる気が起こらなかった。」(『記憶の蜃気楼』 講談社文芸文庫)

記憶の蜃気楼 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

記憶の蜃気楼 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

  • 作者: 鈴木 信太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1991/01 メディア: 文庫


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