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■『困ってるひと』     mercredi 27 juillet 2011 [■Livre]

ネット上に掲載され、今もツイッターで1万人からフォローされている、大野更紗さんの『困ってるひと』(ポプラ社 2011)を読む。
筋膜炎脂肪織炎症候群(fasciitis-panniculitis syndrome)という難病で皮膚筋炎という病も併発し、毎日ステロイド20ミリグラム、内服薬30錠、数十種の一般薬を使用しても安静状態で、苦痛が続いているという。

そのうえ、国の難病指定の福祉政策の旧弊のもとで、一定の日数がたつと強制退院させられたり煩雑な手続きが要求される。そして例によって巨額の医療費、入院費が必要となる。

その二重苦(この著者なら、この単語の使用を許してくれるだろうか)で具体的に自殺を考えながら、エスプリでちょっとニンマリさせてくれる。どんな時でも笑いは知的でなければ生まれないのがよくわかる。といって、本当は余裕などないのであろうなあ


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困ってるひと

  • 作者: 大野 更紗
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2011/06/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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●萩尾望都「柳の木」     lundi 11 juillet 2011 [■Livre]

萩尾望都さんの「柳の木」(『山へ行く』所収)を読む。
朝4時過ぎに寝ようとして、「柳の木」を読んでいなかったことを思い出し『山へ行く』を開く。所収の何作かをめくってモー様(僕らの年代はこう呼ぶのが正しい)の現在の一端を垣間見た気がし、満足でも不満でもない、それなりの想いが浮上した。

で、最後の「柳の木」を1ページ捲った刹那、あっ、僕はこれを読もうと思っていたんだと得心したが、最終3ページだけにある台詞を読んで涙が溢れてきた。幾年にも亘る喜びや悲しみを無音の世界で描き切りる。描かれているのは沈黙ではなく饒舌な生活の機微であり、笑や涙にあふれている日常なのだ。それを20ページの短篇に凝縮するでもなく淡々と描き、豊饒な生を表現してくれた。

内容、台詞に立ち入ることは避けることにする。どうか、書店で手に取って下さい。
東日本大震災で辛い経験をしている人たちが、数年後にこの作品に出逢えることを祈ります。

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山へ行く (flowers comicsシリーズここではない・どこか 1)

  • 作者: 萩尾 望都
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2007/06/26
  • メディア: コミック


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■百田尚樹 『永遠の0』    jeudi 26 mai 2011 [■Livre]

神楽坂のKさんに薦められて、百田尚樹 『永遠の0』 (講談社文庫)を読む。

太平洋戦争で戦死した祖父の姿を、祖父が搭乗していたゼロ戦の中国大陸、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、そして神風特別攻撃と変遷していった経緯と相似する形で浮かび上がらせる。祖父の戦場での言質や飛行機乗りとしての評価は、戦友が語る当時の時代精神と相反する現代的な思考で形成される。

また、アジア・太平洋戦争を起こした帝国主義的な経済問題も捨象され、天皇制に収斂される思想的な問題も提起されておらず、単純なゼロ戦乗りの話として読んでいける。

物語は日本の敗北と祖父が神風特別攻撃隊として戦死するまで直線的に進行していくのであるが、戦後祖母と結婚した義祖父との関係が明かされた時、物語のリアリティは崩壊し小説的物語性に逢着し陳腐なものとなった。作者は放送作家で人気番組の構成をしていたのだそうで、物語の円環が閉じたほうが視聴率も取れ評価も上がるのであろう。しかし、少なくとも300万の日本人が死んだこと、その数だけ不条理で非可逆的な現実の死を迎えている日本人がいることは認識したほうが良い。


主人公の姉の協力者で、朝日新聞と思しき新聞社の記者がいう、「特攻隊員はテロリストだ」という言葉は物語の中では解決されないまま終わる。また今日の認識でも図式化してそう言う人がいるかもしれない。しかし、その言表を形成しているのは誰か、その言表で利する者がいるとすればそれは誰か。私たちはそれを考えなければならない。特攻隊員や日本兵を狂気に塗れた非理性的な存在にしたいのはすべてアメリカ政府なのである。そしてそれを利用したのは戦後日本でもある。テロリスト云々は全く意味を持たないデマゴギーであり虚偽意識でしかない。著者はその言及が欠如している。

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一緒に読んだ本
・堀越二郎『零戦の遺産 設計主務者が綴る名機の素顔』(光人社NF文庫)
・「これだけ読めばよくわかる『ゼロ戦』の秘密」(世界文化社)


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■戸塚洋二『がんと闘った科学者の記録』    dimanche 5 mars 2011 [■Livre]

戸塚洋二・著 立花隆・編 『がんと闘った科学者の記録』(文藝春秋 2009)読了

大腸がんの再々発以降、職を辞し闘病生活を続けた戸塚洋二氏のブログの記録である。戸塚さんはニュートリノに質量があることを発見した日本で一番ノーベル賞に近い科学者と言われることが多かったが、我々はそれ以前にひとりの人間としてこの記録に対峙することが必要だろう。自らのがんの転移を科学的に分析する冷徹さを取り上げるより、刹那的な狂気に奔らず常に自らを分析対象と認識するその主体としてみた場合の人間性をみるべきだ。

書物の著者、第三者としてしかみられない我々読者は、戸塚さんの傍らにいらしたご家族の方の「二人称」としての死が如何ばかりであったか慮る時、戸塚さんが痛みや恐怖を書き連ねなかったという事実に慰められる。

感情に流されず友愛に満ちた受け答えで対談をする立花さんの胸中を察するに、職業の裏にみられる人間の尊厳を重んじる立場を厳守しようとする熱い思いを見る思いだ。(立花さんは熱く号泣したんだろうなあ)


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がんと闘った科学者の記録

  • 作者: 戸塚 洋二
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2009/05
  • メディア: 単行本

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■茨木のり子       dimanche 15 aout 2010 [■Livre]

昨日の夕刊の一面に茨木のり子の記事が載っている。「あの夏 赤い花 失った青春詩人万感 終戦翌日のカンナ今も線路脇で」として「根府川の海」が紹介されているのだが、他に記事は無かったのか。

で、別の詩を引用。


戦争責任を問われて
その人は言った
  そういう言葉のアヤについて
  文学方面はあまり研究していないので
  お答えできかねます

思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑いの吐血のように
噴きあげては 止まり また噴きあげる

三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究は果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑(えら)ぎに笑(えら)ぎて どよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア
野ざらしのどくろさえ
カタカタカタと笑ったのに
笑殺どころか
頼朝級の野次ひとつ飛ばず
どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味わるい群衆と
後白河以来の帝王学
無音のままに貼りついて
ことしも耳すます除夜の鐘

「四海波静」1975年11月『ユリイカ』(『自分の感受性くらい 〈新装版〉』 花神社 2005年)

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1975年訪米から昭和天皇が帰ってインタビューし、ミッキーマウスの腕時計をしているということが報道され、絶望的な憎悪と嫌悪感を感じた事を思い出す。

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■ 浅見洋 『二人称の死』   dimanche 30 mai 2010 [■Livre]

浅見洋『二人称の死―西田・大拙・西谷の思想をめぐって』(春風社 2003年)
一人称(自分)の死、三人称(他者)の死に対して、「あなた」(二人称)の死が齎す<喪失感>と<悲嘆>が思索にあたえる根本的な変動を書いている。

自分の死は恐怖であるが、つれ合い・恋人、父母子供、兄弟姉妹の死は大悲を伴う。西田幾多郎、鈴木大拙、西谷啓治という深淵なる精神を辿った三人をとりあげ、仕事の成就に肉親の喪失がどのような影響をもったか、更に思想に現れたか、辛い作業を追っている。存在一般に対する論究も、私の存在・ここにある存在から立論すれば、帰結する答えは変わってくる。

三氏と供に言及されている、田辺元氏の「共同体」倫理観を援用したハイデガーの存在論に関する批判には同意しがたい点がある。日本の哲学、言いかえれば存在論は、禅を介在し変容させたが故に刹那的非論理的になってしまった。失礼ながらそれも歪曲してである。それでも『碧巌録』をもう一度開くのだったが……

二人称の存在、見方を変えれば「生」と「死」が如何に大きなものか。このことしか問題はないと再確認する度に戦くばかりです。


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二人称の死―西田・大拙・西谷の思想をめぐって

  • 作者: 浅見 洋
  • 出版社/メーカー: 春風社
  • 発売日: 2003/04
  • メディア: 単行本


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■森鷗外「じいさんばあさん」  samedi 28 novembre 2009 [■Livre]

森鷗外に「じいさんばあさん」という短篇がある。

文化六年四月江戸の大名屋敷の空き家に翁媼が日を開け同居する。二人は遠慮がちな隠居生活を始める。その年の暮、将軍徳川家斉の命によりばあさんに銀十枚が下賜される。

元大番石川安房守総恒組美濃部伊織七十二歳と、妻るん七十一歳である。二人は伊織が三十、るん二十九の時に結婚する。(当時の年齢からすればかなり遅い結婚だろう)
伊織は二条城詰めで京都に行き、寺町通の刀剣店で百五十両の古刀を見つける。常に胴巻きに着けている百両と、二十両負けさせた残り三十両を用立てて手に入れる。伊織が親しい友人二三人と刀の披露で呑んでいると、その金を都合した下島が来て、自身を招かない件を口汚く詰り、膳を蹴返し出て行く。伊織はそれに腹を立て斬ってしまう。下島は後日それがもとで死ぬ。

伊織は越前国丸岡(福井県坂井)に預けられる。るんは伊織の祖母を追り、息子も夭折する。るんはそれから三十一年間女中奉公をし、美濃部家の墓の香華を守り続け、隠居を許され故郷の安房に帰る。その間越前国で手跡や剣術を教え暮らしていた伊織が三月漸く許され江戸に帰ることとなった。そして三十七年ぶりに生活を再開する。

塩野七生さんが「ローマ人の物語」を発表する以前、短いエセーで触れていた鷗外だった。
 

山椒大夫・高瀬舟 他四編 岩波文庫 緑 5-7

  • 作者: 森 鴎外
  • 出版社/メーカー: 岩波書店

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■高野悦子『二十歳の原点』    19 juin 2009 [■Livre]

朝日新聞夕刊「人脈記 反逆の時を生きて1 わが娘の『二十歳の原点』」
高野悦子さんの写真をほんとうに久しぶりに目にする。本棚から出してきた「二十歳の原点」の文庫判をみると所々に線が引いてある。いまでは反応しないところに線を引いてあるという感慨は、こういう場合年取ったものの感想によくあるが、それがまた自分にあることが辛い。

本当は文庫ではなくハードカバーを、それも『序章』『ノート』と揃えて新潮社から直接販売で買った。その本は学生時代の貧困で古本屋に売ってしまって今はない。どんな時に線を引き込んだか憶えていないが、古くなった文庫本の匂いを嗅ぐと、記憶ってえのは蘇るもんだな、残酷だ。古本の匂いがなんとも香しい。

現代のロストジェネレーションの対象が如何な所にあるか、貧困の実態がなんなのか、今の私には理解できないが、それと逆に彼らには高野悦子の言説が意味あるものになるのか疑問である。

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二十歳の原点 (新潮文庫)


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■フィリップ・クローデル『リンさんの小さな子』   vendredi 17 oct,08 [■Livre]

フィリップ・クローデル
『リンさんの小さな子』 
(高橋啓・訳 みすず書房 2005年)
Philippe Claudel "LA PETITE FILLE DE MONSIEUR LINH" 2005

生まれたばかりの孫娘サン・ディウを抱き戦禍のヴェトナムから6週間の船旅をしてフランスに渡って来た老人リンさん。そして、何ひとつ言葉の分からないフランスの公園で出会うバルクさん。彼は2カ月前に奥さんを亡くしている。
(因みに、この小説ではリンさんの祖国がヴェトナムであるとも、難民となって渡って来たのがフランスであるとも述べられていない)

ヴェトナムには早くに死別した妻と、戦争で亡くなった息子夫婦、そして既に戦禍に失われた平和な村の記憶があるだけで、最早身寄りは無い。ましてフランスの地にもリンさんを知る人は誰もいない。そして公園で偶然に遭った2人が友人になった。リンさんはバルクさんのために、難事務所から自分は吸わない煙草を毎日1箱支給させる。バルクさんは言葉の通じないリンさんに20歳の頃従軍したインドシナ戦争での残虐を告白し号泣する。そして、奥さんとの思い出のレストランに招き、サン・ディウのために可愛いドレスを贈る。2人はまったく言葉が通じない。ただ、「こんにちは」という言葉しか通じない。

リンさんは難民の一時的な滞在所からお城のような施設に移されるが、バルクさんと会うために施設を脱走する。バルクさんが待っている公園にサン・ディウとともに向かう……。

リンさんが解するフランス語は「ボン・ジュール」だけ。バルクさんが使うヴェトナム語は、リンさんの名前だと思っている「タオ・ライ」という挨拶のことばのみ。つまり、ふたりは「こんにちは」でしか交感していないのだ。
もうひとつの言葉、リンさんの人形ような孫娘の名前「サン・ディウ」は、リンさんの国の言葉で「穏やかな朝」という意味なのだそうだが、それをフランス語で生きるバルクさんは、<sans dieu> =「神・無し」と連合する。なんというイロニーか。リンさんの「人形のような孫娘」は、かの地においては生まれた時から神に祝福されていないのだ。

リンさんの小さな子

リンさんの小さな子

  • 作者: フィリップ クローデル
    訳者: 高橋啓
  • 出版社: みすず書房
  • 発売日: 2005/09
  • メディア: 単行本

高田馬場「ベンズ・カフェ」のテラスで読んでいた僕は、人目も憚らず滂沱の涙(ウソだけど)で結末数ページを読むことになった。
気持ちの良い秋の休日となった。
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■フーコー『わたしは花火師です』     17 mercredi sept 08 [■Livre]

ミシェル・フーコーの『わたしは花火師です――フーコーは語る』(ちくま学芸文庫)

思想集成に収録されていない対談・講演が集められている。とくに目新しい言説は無し。文庫化して、他の著作よりも容易く手に入るようにする必要のある文章ではない。

<知という概念は、特定の分野において、ある瞬間においてうけいれられるものとなるすべての手続きとすべての知識の効果を指します。次に権力という概念は、ディスクールや行動を誘発するとみられる特定のメカニズム、一連の定義可能な、あるいは定義された特定のメカニズムの全体を指すに過ぎません。
  (中略)
分析のすべての段階において、この知と権力の概念に、規定された精密な意味を与えることが重要になります。どのような知の要素なのか、どのような権力のメカニズムなのかを示せることが大切なのです。一つの知や一つの権力が存在すると考えてはなりません。単独で機能する知そのものとか権力そのものがあると考えるのはもっとまずいのです。知も権力も、分析のための格子にすぎません> pp103-104


foucault.JPGわたしは花火師です―フーコーは語る (ちくま学芸文庫 フ 12-9)
  • 作者: ミシェル・フーコー
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2008/09/10
  • メディア: 文庫

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