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『辻まこと全集』   dimanche 25 juin 2000 [■Livre]

何気なく取った『辻まこと全集』(みすず書房)の第2巻に、独文の池内紀氏が解説を書いている。そのなかに辻まこと氏が書いた文を紹介している。正確には覚えていないが、〈自分一人で生きていく〉という言葉だった。たとえば、山行の辛い時、誰でもこの辛さは何のためなのかと自問するが、多分答えを出さずに登頂し、下山する。我々は、そしてそれよりも辛い日常生活に帰っていく。そのとき一生一人で生きていくという言葉が出てくる。辻まことさんの幼年時代の境涯は不勉強だが、社会のなかで自分一人で生きていくと言わなければ、生きていけなかったという逆説的認識にならざるをえない。

あるいは、青年期、何のために生きるかなんて誰にも分からない。しかし、その宙ぶらりんのペンディング状態、いわば、執行猶予の生をいきねばならない。その解答はありやしないのだが、あるかのように幻想を持ち、観念の陥穽に落ち込む。例としてはカルトに入る青年、偏差値にしか価値を見ない秀才。その青年の愚かさを笑っても意味などない、しかし、だからこそ宙ぶらりんの答えの無い世界を生きぬく実践的理性を身に付ける想像力を持たねばならない。

辻まこと全集〈2〉

辻まこと全集〈2〉

  • 作者: 辻 まこと
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2000/06
  • メディア: 単行本



鴨長明「方丈記」   1 juin 2000 [■Livre]

岩波文庫版の『方丈記』を読み返した。
以前「読書人」(2307号=1999.10.22.)で池田清彦さんと対談した、養老孟司さんが「方丈記」について異常に評価していたのが気にかかっていたからだ。

三島由紀夫の産湯よりも、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」から「世中にある人と栖と、亦かくのごとし」の冒頭の文章の方が見事だと言う。ところで、冒頭以下文章は火事、飢饉、地震など天変地異の表現が続くばかりだ。無常観以外感じるものは無い。これを渋谷で遊ぶ少年達が、学校の授業でやるのは無理というものだろう。それなりの年齢にいかなくては古典は読めないし、よく言われることだが、漱石や鴎外も15歳前後の青年に理解しろと言うのが無理なのだ。況してや近代的理性の発現されていない言表、古語の読解は苦痛以外無いだろう。

校注者の市古貞次氏によると、同じく出家した人、西行の方に同時代人の評価が高いことが分かる。23歳で出家し自然界のなかに隠遁しながらも、人間的な感情が垣間見られる『山家集』の作者の背後にあるのは無常観と強い自省である。では、鴨長明はどうか。神職の家に有りながらも、若年で父を無くした境涯はある。にもかかわらず、すこしだけあったがために不幸な和歌の才に対する固執は50歳までだらだらと出家する時期を延ばした。現代の認識論的位相とは異なる平安期、生にたいする執着は、自ら立脚する出自のアイデンティティの否定である。

現代の絶対的美的観念の喪失した、つまりヘーゲル的思考を否定する社会においては、鴨長明の生き方も亦それも肯んじられようが、それを以って現代人長明などという愚かな認識をもししてしまえば、それは、思考の停止であるしかない。西行の、出家後の人間に対する愛着と、長明の出家に至るまでの社会的地位に対する煩悶の隔絶はやはり明らかだ。一度遁世してしまったものの自然の無常観と謳歌の隙間に生まれる、ある仄かな喜びと絶望は、実存的生に感応する。

方丈記

方丈記

  • 作者: 市古 貞次, 鴨 長明
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1989/05
  • メディア: 文庫


三宅芳夫『知識人と社会』   13 mai 2000 [■Livre]

白水社の『ふらんす』で澤田直氏が「新しい世紀の中のサルトル」という連載をはじめたが、ほかにもサルトルを見なおす仕事が散見される。勿論、没後20年ということでフランスでも研究されているが、日本の若い研究者も時代的束縛から解放されており、全共闘世代の研究者とは異なるアプローチのし方が出来ている。

とはいえ、ジェイムソン『サルトル 回帰する唯物論』を翻訳した三宅芳夫氏が上梓した、『知識人と社会』(岩波書店)はサルトルのアナーキズム、自由の概念を分析のキーワードにしている。詳細は別項に譲りたいが、三宅氏が4つに分類しているサルトルにおける自由の概念の変遷は、海老坂武さんの説明と同じ区分である。海老坂さんの分析は論文の形になってないが、形而上学的自由の概念、戦後まもなくの解放の自由論(革命的民主連合)、ソ連と同伴的関係にあった時代の自由論、そして5月革命以降の自由の概念と分類されており、その類似点は多い。

澤田氏のエセーでも言及されているのだが、サルトル批判としてハイデガーの誤読ということがたびたび言われているが、サルトルは自己の哲学形成のためには誤読、ズラす権利があるのだ。サルトルは哲学史家でもハイデガー研究者でもない。況してやハイデガー哲学の背後にある、アーリア人優越思想の範の中にあるわけでもない。

知識人と社会―J=P.サルトルにおける政治と実存

知識人と社会―J=P.サルトルにおける政治と実存

  • 作者: 三宅 芳夫
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/05
  • メディア: 単行本


須賀敦子さん    12 mars 2000 [■Livre]

「須賀敦子全集」(河出書房新社 全8巻)の刊行が始まった。

わずかなあいだで駈けぬけてしまった須賀さんのエクリチュールは、若々しいまま時間が止まっているようで、爽やかな裏庭に吹く涼風(ドゥルーズ)といった趣があった。一度、出版社で拝見したことがあるが、小さな方で、イタリアでの困難な生活を経験しているとはまったく感じさせない快活さがあった。「文學界」での短篇を切れ切れにしか読んでいないので、今度の全集はいい機会だから、まとめて読んでみようか。

しかし、どうしてあのような爽やかさをもった知性が可能なのか。かたい文章よりも、しなやかな感性に裏打ちされたことばで語られる文章の方が難解だ。

須賀敦子全集〈第1巻〉ミラノ霧の風景・コルシア書店の仲間たち・旅のあいまに

須賀敦子全集〈第1巻〉ミラノ霧の風景・コルシア書店の仲間たち・旅のあいまに

  • 作者: 須賀 敦子
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2000/03
  • メディア: 単行本


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