小林秀雄 『本居宣長』 vendredi 28 oct.05 [■Livre]
数年間気に留めていたまま開くことのなかった、小林秀雄氏の『本居宣長』を読了。
この長大な論究は小林秀雄氏の思想論ではなく、丹念に宣長のテクストを追った小林氏の思考ノートといえる。
本居宣長の思想を知るには、本書を読むよりも、「古言」を「漢意(からごころ)」に優位させ、「神の道」「皇国」たる日本の自己同一性を確立するという作業をした、「古事記伝」の「直毘霊」(なおびのみたま)を読むのが良かろう。政治権力上、安寧な社会を維持させる源泉であるとしている皇統の連続性、それ自体が権力の正当性の起源であるとし、中国権力の論理的基盤たる言説の排除を宣言したのが、「直毘霊」であり、「古事記伝」であるだろう。
それが日本の思想の脆弱さに与えた影響か、或はもともと持っていた属性なのか議論の余地はあるが、中国の思想を批判し排除するため、儒教的な言説を否定し、ロゴス自体を否定してしまった。日本的なるものに批判が向けられるときに、反論することもせず、反論することは「漢意」であり論理であるからとなにもしない。宣長が上田秋成の批判に口を噤んだのはその体言であり、小林氏が自己言及を避けているのは、まったくその後継者として正しい。トートロジーの陥穽に落ちずに生き残るのは無視に如かない。
「古事記伝」が日本の近代イデオロギーに影響をあたえたことについては今更言うまでもないが、宣長が「古事記伝」でなした、テクスト読解の認識論的断絶の顕在化は、思想史的に更に言及されてもよいだろう。
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