■「特別展 栄西と建仁寺」 mardi 25 mars 2014 [■museum]
東京国立博物館で始まった「特別展 栄西と建仁寺」に行く。
栄西の書が展示されているが、国宝「誓願寺盂蘭盆一品経縁起」(1178)が中心である。僕らの子供の頃は<えいさい>と発音していたが今は<ようさい>と発音するらしい。
個人的には懐奘の「正法眼蔵随聞記 巻第一」かな。
集客は俵屋宗達の国宝「風神雷神図屏風」がメインであるが、海北友松の重要文化財「雲龍図」とともにまん丸い眼球は写実性が欠如しており、江戸期の日本人が「顔」を描けないことがよく分かる。もちろん想像の「神」「龍」の描写は意味がないとしても、眼差しが描けないのは時代性を含め落胆させられる。これは伊藤若冲の「象」や「虎」(これは模写であるが)にも同じことが言え、認識できないことは見えない、という良い例だろう。
僕はこのような絵があまり好きじゃないなあ。この時日本人には現代的自我はない。
▲カンザクラ寒桜
▲コマツオトメ(科学技術館ちかく)
●秩父宮記念スポーツ博物館 dimanche 12 janv, 2014 [■museum]
■千葉市立美術館「川瀬巴水展」 7 mardi janv,2014 [■museum]
旧臘、NHK「日曜美術館」で放送していた川瀬巴水(はすい)の版画と水彩を観に千葉市立美術館に行ってきました。
版画といえば江戸時代の浮世絵を連想してしまうのですが、まだまだ微弱ですが、明治以降の日本画の朦朧体とともに近代的知性の転回が読み取れます。しかし、北斎に代表される江戸時代の藍色の使い方と同じ趣の版画もあり、正当な継承者としてのidentitiも読み取れました。
版画と同じ構図で描かれた水彩もなかなか郷愁を帯びており、寂寞感を誘われました。京葉線になるまでは外房線を使って千葉に止まることも多かったので、さながら小旅行のような感情を持つこともできたようです。
千葉市立美術館は日本画の系譜の展示が多いようで、研究員の方の研鑽が垣間見ることができます。
■東博「京都 洛中洛外図と障壁画の美」 samedi 16 novembre 2013 [■museum]
八尾さんに誘われて、国立博物館に「特別展 京都 洛中洛外図と障壁画の美」を観に行きました。
平成館に行く前に、まず東洋館ミュージアムシアターで、「洛中洛外図屏風と岩佐又兵衛」という映像を見て予習。人物描写が特徴的な「舟木本」と呼ばれているものを大スクリーンでジックリ見せてくれました。
ただ、映写室にいる進行の女性とスクリーンの中の解説者がやり取りをする構成になっているのには鼻白んでしまいます。屏風の中の世界にリアリティを持たせているのでしょうが、必要なことだろうか?
▲舟木本の複製
で、平成館で各種の「洛中洛外図」を堪能したのですが、残念ながら有名な「上杉本」は前期だけの展示で見ることは出来ませんでした。とはいえ、二条城の障壁画全84面展示は圧倒的な豪華なものでした。
さらに超高精細映像4Kで撮られた竜安寺の石庭の一年間の変化を、4メートル×16メートルの巨大スクリーンに映し出された画面は、石庭に座って観ているかのような至福観をもたらしてくれました。出来るなら、このスクリーンを一時的なものにせずに恒久的にどこかに展示していただけないか。定期的に通っちゃうんだけどなあ。てか、柱を消して、春の桜から夏の蝉の声、嵐、雪の風景を見せてくれ、実物よりも美しい(たぶんそういうことなのでしょう)、これ欲しい。
■竹内栖鳳展後期 vendredi 4 oct, 2013 [■museum]
一連の獅子図の緻密な描写にも言葉を失うが、「班猫」の青い眼の表情には危険な愛おしさが想起される。
既に言われていることだが、こちらを振り返る首の長い猫は、正確な描写ではなくデフォルメされている点において栖鳳の美に対する創造性の優位を表出している。現実の骨格では有り得ないことでも芸術として成り立つならば、道徳も逸脱を許されるのだ。
▲山種美術館HPより引用
金曜日は展覧時間が8時まで延長されており、退館する時に青年たちの長い列が出来ていた。日本の知的現状も捨てたものではないな。(勿論ヘイトスピーチや最近続く若い女性を対象にする殺人者たちの極端に貧しい精神性と知性には戦慄するばかりだ)
■竹内栖鳳展 mardi 10 sept 2013 [■museum]
●国宝興福寺仏頭展 10 sept 2013 [■museum]
藝大美術館で始まった「国宝興福寺仏頭展」を観に行く。
興福寺東金堂の本尊仏頭(白鳳時代 至山田寺)と、守護神「木造十二神将立像」(鎌倉時代)、「板彫十二神将像」(平安時代)が揃い、おなじく白鳳仏として調布深大寺所蔵の「銅造釈迦如来倚像」が陳列されている。
仏頭の前に配された木造十二神将のリアリティさは、東大寺の戒壇院四天王立像(天平時代)に比すものであり、その猛々しい精神性は鎌倉期の戦乱を経た仏師の心象でもあるといえるだろう。伐折羅大将立像のまさに止めを刺さんとする甘さの微塵もない怒りの表情は、慈悲を湛える仏の姿とはまったく異なり、現代性を帯びた宗教の一断面が表出されている。
われわれは奈良の仏教美術に対して安寧のみを求めるが、政治的な側面をもった時代精神をも読みとく必要がある。美的対象にばかり堕する、死んだ精神性には何の意味もないのだといえよう。仏と神将の併存から読みとくべきことは多い。
■若冲が来てくれました samedi 7 septembre 2013 [■museum]
東日本大震災復興支援のために、ジョー・プライス氏の所蔵する江戸絵画を仙台、盛岡と巡回展示したものの最後に福島で行われているものです。プライス氏の高齢ゆえ日本でこれだけの展示会が開かれるのは最後であろうといわれている。
伝統的日本画と一線を画す六曲一双「鳥獣花木図屏風」や絹本着色「虎図」「紫陽花双鶏図」「雪芦鴛鴦図」「竹梅双鶴図」の伊藤若冲の作品をはじめ、長沢芦雪「白象黒牛図屏風」、酒井抱一「十二か月花鳥図」、葛蛇玉「雪中松に兎・梅に鴉図屏風」など国宝級の作品が展示された。その他にも丸山応挙、鈴木其一、森狙仙、曽我蕭白と江戸の文化の粋が集まっている。
この作品群の前ではため息をつくばかりであった。
「雪芦鴛鴦図」の雪の絵具は何を使っているのだろうか。
で、ぼくは「鳥獣花木図屏風」の白象、「虎図」の虎(これは模写)など実際に見ていないであろう生き物の作品は嫌いだということが良くわかる。
東京から福島まで一時間半、十分行動範囲である。郡山から福島のあいだ除染物をまとめたブルーシートを発見した時の衝撃は大きかった。
■「ルーヴル美術館展」 jeudi 15 aout 2013 [■museum]
■和様の書 samedi 10 aout 2013 [■museum]
出品目録をざっと見ると、150数点のうち国宝が50点、重要文化財35、重要美術品10、その他の物も宮内庁や美術館所蔵という圧倒的なものだ。
そのなかでも白眉は、藤原道長(966~1027)の残した国宝「御堂関白記」である。今年6月にユネスコの世界記憶遺産に登録されており、認定後初の公開になるのだという。展示の巻は寛弘4年(1007)の下巻部分で、平安期の貴族の生活、言い換えれば1000年前の実在の人間の生活の記録を見ることができるのだ。
紀貫之、藤原定家、藤原行成、源兼行など平安期の名筆のなかに、信長・秀吉・家康の書状が併掲されていたが、私信ながら書も硬いと言えよう。貴族と武士の差異を書に敷衍化したり、国権の主導者となった人間ゆえ書も立派であるとか糊塗する文脈も簡単に書けそうだが、やはり「和様の書」としては一段劣る。
書・近藤信尹筆、画・長谷川等伯筆「檜原図屏風」の煙る林には魅了されたが、色紙・伝本阿弥光悦筆、画・俵屋宗達筆6曲1双「色紙貼付桜山吹図屏風」の緑の腐ったようなくすみには落胆させられた。絵具の劣化はキビシイ。紙の問題もあるのだろうか。
にしても暑い。駅から東博まで地下通路化してくれないものか。もちろん噴水の脇を歩くのも気持ちがいいが。そのうち噴水で泳ぐぞ。