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■ロストロポーヴィチ死去   vendredi 27 avril 07 [■追悼]

チェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィチさんが、27日モスクワの病院で亡くなった。80歳だった。チェロではカザルス以降の大巨匠と言って間違いないだろう。ショスタコーヴィチやプロコフィエフとの関係もあるが、小澤征爾さんとの深い協力関係は忘れがたいし、大江健三郎さんの息子の光さんの曲を弾くなど日本との関係も深い。また、どうしても言及せねばならないのはその政治的発言であろう。旧ソ連の体制批判を貫き、ベルリンの壁が崩れた時いち早く赴き無伴奏を弾いたことは記憶に新しい。ボリス・エリツィンの死の4日後だった。
ではバッハの無伴奏チェロ組曲を聴こう。


1991年モスクワの8月クーデター時の"le nouvel observateur"(22-28 aout 1991)
写真は1989年11月ベルリンの壁の前
で。


 

バッハ:無伴奏チェロ組曲

バッハ:無伴奏チェロ組曲

  • アーティスト: ロストロポービッチ(ムスティスラフ), バッハ
  • 出版社/メーカー: 東芝EMI
  • 発売日: 1995/04/19
  • メディア: CD

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■ボードリヤール死去   mercredi 7 mars 07 [■追悼]

Le sociologue et philosophe français de renommée internationale, Jean Baudrillard, est décédé mardi à Paris, à l'âge de 77 ans.

ジャン・ボードリヤールが亡くなった。
ボードリヤールが日本で急速に注目されたのは1980年代初頭である。ボードリヤールの物象化された記号の消費という消費社会論は1980年代の日本の現状を分析するのに格好のテキストだった。欲望の充足という物の消費でなく、差異表示記号としての消費の概念は、廣松渉さんのいう、それまでの高度経済成長期日本の「もの」を基本とする思考から、「こと」へと価値が転換していく、「完成された消費社会・日本」の分析そのものだった。68年に書かれた『物の体系』にしろ70年の『消費社会の神話と構造』にしろ、そこに書かれているのは1980年代の消費社会日本の姿だった。

しかし、消費の分析から発展させるべき労働論や暴力論に関してはあまり同意できなかったのも事実である。とくに『記号の経済学批判』はそうであった。


何度も来日しており、最近も2003年10月9日、早稲田の大隈小講堂で「グローバリゼーションと暴力」を講演している。そこでは9.11テロを俎上に上し、出来事と思想のシンクロ性を語り、そして疎外された主体を抜きにした思想的行為を示していた。

1981年に来日したことはそれ自体が事件になっていた。当時池袋西武8階にあったスタジオ200/Studio200で、「ボードリヤール・フォーラム東京’81 “象徴交換とシミュレーションの時代”」と題され、10月10日、11日、13日の3日間講演、パネル討論、シンポジウムが行われたのだ。1977年のミシェル・フーコー、80年のフェリックス・ガタリが東大あるいは日仏学院で講演をしたのに較べ、ボードリヤールは日本の消費社会の象徴であった西武百貨店が会場を提供していたのだ。因みにパンフレットは、ミレーの『晩鐘』の農夫の背景に世界貿易センタービルが立っているという、振り返ってみれば極めて暗示的なものだった。(当初デザイン関係の方が翻訳しているものがあり、専門領域外の人の誤訳に辟易したものだ)


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■池田晶子さん逝去    vendredi 2 mars 07 [■追悼]

2月23日哲学の池田晶子さんが亡くなられた。まだ46歳である。腎臓癌だったそうだ。

木田元さんが、池田晶子さんの『メタフィジカル・パンチ――形而上より愛を込めて』の文庫あとがきで、25年前のことを書いている。
1980年12月に八王子の大学セミナーハウスで泊り込みで行われた、サルトルのゼミナールに学生の池田晶子さんが出席していたのだ。僕もそのセミナーの海老坂武さんのゼミに参加していたのだが、池田さんは木田さんのゼミだったそうだ(たしか現象学についてのことではなかったか?)。


その年の4月に亡くなったサルトルは最早日本でも読まれていなかったが、学部生院生が20~30人集っただろうか。講師は木田さんのほかに、平井啓之先生、白井健三郎さん、海老坂武さん、今村仁司さんだった。確か全体の基調報告は竹内芳郎氏だった。

僕は、当時激しく争われていたポーランド・連帯運動への言及と、サルトル受売りによるソビエト批判をしたが、10年後にソ連が崩壊するなどとは想像だにしなかった。しかし、官僚化し硬直した組織が人民に見放されていたことは自明だが、マルクス主義の有効性は別物であるのは今も変わらない。

そのサルトル・セミナーの木田元さんのゼミに池田さんがいたのである。今手許にある集合写真を見ても、どの人が池田さんであるか分かりませんが、確かにそこにいるのである。
あまりに早い死だった。心からご冥福をお祈りいたします。

1980年12月八王子大学セミナーハウス前列左から一人置いて今村仁司、海老坂武、竹内芳郎、平井啓之、白井健三郎、木田元の各氏
1980年12月八王子・大学セミナーハウス


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■絵門ゆう子さん      jeudi 6 avril 06 [■追悼]

絵門ゆう子さんが亡くなられた
新聞を開いて思わず声を上げていました。「発信続け最期まで希望 絵門ゆう子さん逝く」。表現の仕様のない寂しさとはこの事なのでしょう。週一度の新聞連載でしか知ることのない未知の女性でした。絵門さんの「がんとゆっくり日記」が何曜日の連載なのかも知らず、経歴も「元NHKアナウンサー」とだけしか知りませんでした。そのようなことが気になる必要もないエッセイでした。ここでエッセイの一部を掻い摘んで記しても意味のないことだと思います。それに、絵門さんの、生活の些事の一つひとつを見直して行く視点の具体を書けるだけの能力も、資格もないというのが本音のところです。ただ、絵門さんの逝去を記して置かねばならないという欲求だけで記した次第です。ご冥福を祈ります。

――満開の花よりも散りかたの、または蕾のうちに美をもとめます。それは「花のさかり」の美しさを事実よりもはるかに美しく想像させるからです。その想像の余地を残すということを日本人は生まれながらにして知っているのです。別のことばで言えば「人間が不完全である」ことをもっともよく知っているとも言えます。         白洲正子「お能の余白」(『お能 老木の花』)


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■朝吹登水子さん      3 sept 2005 [■追悼]

朝吹登水子さんの訃報が伝えられた。88歳だった。

一昨年初夏の新聞のインタヴューではお元気そうであった。そのときの記事には、「愛する人の死は悲しい。しかし、通いあった心は、不滅だ」という印象的なことばがみられる。

 今年も咲いた雛罌粟だけが
 生命の歌をうたっていた
 風の野に ちぎれるように揺れながら
 その 散りゆく赤さ をうたっていた        朝吹三吉「スーニヨン」

Sartre と Beauvoir が来日したときやパリの姿も美しいが、インタヴューのときの様子はいっそう聡明だ。
ご冥福を祈ります。

 le monde,vendredi 23 septembre 1983

朝吹登水子
『わが友、サルトル、ボーヴォワール』(読売新聞 1991年)
『サルトル、ボーヴォワールとの28日間・日本』(同朋舎出版 1995年)
「20世紀の群像 ボーヴォワール・幸福への追及」(NHK教育1991年3月4~7日放送)
「いつもそばに本が」(朝日新聞2003年6月29日、7月6日、13日掲載)      


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■ベニー・レヴィ死去    jeudi 16 octobre 03 [■追悼]

Benny Lévy est mort. L'ancien secrétaire de Sartre,chef de la Gauche prolétarienne,fondateur de Libération devenu fervent talmudiste,est décédé mercredi à 58 ans.

15日サルトルの元秘書でマオイストのピエール・ヴィクトールことベニー・レヴィが亡くなった。2000年にはフィンケルクロート Alain Finkielkraut とベルナール・アンリ・レヴィ Bernard-Henri vy とエルサレムでエマニュエル・レヴィナスの名を冠した「レヴィナス研究センター」 l'institut d'études Lévinassienne を設立して、完全にユダヤ思想に接近していた。

「完全」というのは、1980年の「ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」でのサルトルとの対談で、老いたサルトルにメシア思想を強要し、ボーヴォワールから痛烈に批判されていたことを踏まえてである。「リベラシオン」の記事ではレヴィナスを知ったのは1978年ということだから、「迫り来る時刻」(1980年4月18日付「朝日ジャーナル」掲載の「いま 希望とは」解説、海老坂武氏による)のなかにいるサルトルを悪意に依って回収せんとしていたようだ。サルトルの死後いち早く遺品、遺稿を持ち去ったことはボーヴォワールによって報告されているが、サルトルの思想は最後の最後でも変化(革命と蜂起)を語り、回収され切らずに踏みとどまった。

●レヴィは、フーコーとの対談「人民裁判について―マオイストたちとの討論」1972/2/5「レ・タン・モデルヌ」(1972/6)がある。(「フーコー思考集成6規範/社会」) 討論のなかの「ジル」はアンドレ・グリュックスマン

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プリゴジン死去      mercredi 28 juin 2003 [■追悼]

Ilya Prigogine 死去。
ブリュッセル自由大学によると、28日、ブリュッセル市内の病院で死去、86歳。死因などは明らかにされていない。モスクワで生まれ、ベルギーに移住。ブリュッセル自由大教授、米テキサス大学統計力学・熱力学センター所長など歴任。非可逆過程の熱力学を体系化し「散逸構造」の理論を提案した業績により77年ノーベル化学賞受賞(共同)/朝日0530


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■家永三郎さん逝去   lundi 2 dec.2002 [■追悼]

家永三郎さんが11月29日心不全で死去した。享年89。
三次に渡る教科書検定訴訟をとおして、戦後文部省の右傾教育を批判、阻止し続けた。1965年第一次訴訟は、62年度検定で高校教科書「新日本史」が不合格となり、翌年度検定で条件付合格となったことの損害賠償訴訟。67年第二次訴訟は検定不合格処分取り消し要求。この二次に渡る訴訟は敗訴したものの、「南京大虐殺」「731部隊」「侵略」の記述を削除するよう求めた80年度、83年度検定が違憲・違法だとしておこした84年の第三次訴訟は、1997年の最高裁判決が検定は合憲だとしながらも、記述削除を求めた文部省を「裁量権逸脱で違憲」と判断した。

『太平洋戦争』(岩波書店 1986年)、『戦争責任』(岩波書店 1985年)の2冊は、「戦争の惨禍」という現実から逃避している日本政府・右翼の無責任性を糾弾する戦争責任論の基本的文献だといえるだろう。今年になってから山田朗氏が天皇の統帥権について書いた『昭和天皇の軍事思想と戦略』(校倉書房)という立派な本が出版されたが、家永さんの『戦争責任』が多角的な論点から倫理的責任を体系的且つ具体的に追及していることに於いて重要性が失われることではない。井上清、大江志乃夫、藤原彰各氏の著書とともに重要な文献であり続ける。


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田中希代子さん      mardi 5 sept.2000 [■追悼]

調べものをしていたら偶然、本当に偶然、田中希代子さんの記事を見つけた。1959年の雑誌『日本』に「近況」(!)が出ていた。
田中希代子さんが亡くなられたのは96年の2月だった。そのあとユリ子さん(黒沼ユリ子さん)に、田中さんのことを聞いたことがある。当時海外に出たばかりで何ごとも不案内のヴァイオリンのユリ子さんに、ピアノの田中さんは「お姉さん」のように、色々教えてくれたのだと、懐かしげに語ってくれた。2人とも戦後まもなく場所を海外に求め成功した。ただ、田中さんは1970年を前に病魔に襲われた。
「日本」の編集者はかなり田中さんの才能に猜疑的な文章を書いている。勿論、20代前半のピアニストをその様に書くのは当り前なのだろうが、あまりに敵意が表出した文章で嫌悪を催させる。ただ、そのあとの田中さんのベートーベンやラフマニノフを聞けばその指摘が誤てるものであったことが分かる。
インタヴューは寡黙で成立していないが、それが彼女の繊細さを仄見せる。当時(羽田に帰った、翌日)、うまくない、嫌なインタヴューだから彼女のことがいろいろよくみえてくる。
しかし、やはり、できるものなら晩年の演奏を聴いてみたかった。ただ、写真は戦闘的で、亡くなったあと出されたCDより魅力的だ。ご冥福を祈るとともに、今でも田中希代子というピアニストを記憶しているものがいるということだけ銘記したい。


田中希代子~東洋の奇蹟~

田中希代子~東洋の奇蹟~

  • アーティスト: 田中希代子, ワルシャワ・フィルハーモニー交響楽団, グジニスキ(ズジスワフ), ショパン
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2006/02/22
  • メディア: CD
    2006年のものに改めました。


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