●2011早明戦 dimanche 4 dec,2011 [■早稲田ラグビー]
早明戦が快晴の国立競技場で行われた。
早稲田は筑波、帝京に敗れているため、この試合に敗れれば対抗戦4位となる。月末から始まる大学選手権では抽選次第で帝京と同じ山になる可能性があり、覇権を奪回するためには確実に勝って2位にしておかなくてはならない。これは選手にも徹底されているはずで、多少の緊張感が感じられた(早明戦で「緊張」するのは当然であるが)。
試合は前半PGで先制したもののトライを奪われ3-13。早稲田は明治陣営に入り込んで攻めるも得点できない状況が続きノートライで前半を終わる。
後半早々にペナルティから原田が左隅を走り込みトライ(コンバート成功で10-13)。その後も攻め続けるがラックからのボールが出なかったり、パスが繋がらなかったりとミスが続く。それでもグラウンドを大きく使い最後に井口、垣永、金と繋いでトライで逆転(15-13)。これで早稲田は調子に乗るかと思ったのだが、すぐにPGで再逆転される(15-16)。
慶応戦で見せた小倉の的確な判断もなく、井口の切れも見られず停滞が続き、ミスを誘われ嫌な雰囲気が漂う。
ようやく終了間際、密集で明治の反則があり原田のPGで再逆転で辛くも勝利を得た(18-16)。
二転三転する試合は得点経過を見れば緊迫した試合のようにみえるが、早稲田の単純な戦法が目立ちレヴェルの低い戦いとなったとみるべきだろう。もちろん明治の頑張りは賞賛すべきだが、早稲田の攻めの時間から見て、トライが2本というのは余りにも拙攻に堕したといえないか。帝京に勝ち覇権奪回を至上命令とするチームとして、この試合は反省すべき点が多かったと言えよう。
早稲田と明治の差をひとつ付け加えるなら、最後の明治選手のオブストラクションは明治ラグビーの致命的な瑕疵である。極度の緊張の中で自己をコントロールすることはチームの意志として厳しく訓練されなければならない。プレーヤーとして(学生として)ひとつの軽率な行為、ペナルティがどうなるか、チームは何にも優先して教えなければならない。(明治大学は2001年の早明戦を忘れてはいけない)
大西鉄之祐先生の著書にこうある。
「私がスポーツにおける闘争を教育上一番重要視するのは、例えばラグビーで今この敵の頭を蹴っていったならば勝てるというような場合、ちょっと待て、それはきたないことだ、と二律背反の心の葛藤を自分でコントロールできること、これがスポーツの最高の教育的価値ではないかと考えるからである。こうした闘争における心の葛藤をコントロールする訓練の積み重ねによって、こういうことを行ってはいけないとか、行ってもよいという、判断によらないで、パッとその時瞬間に正しく行為出来ることが重要ではないか、と考える。判断によらない判断以前の修練からくる正しい行動。判断する材料とか、判断することを教えることはできるが、判断した通りに行うということは、その場面、場面をあたえられた人間にしかできないのではないか。だから人間が人間を教育する場面に一番肝腎なことは、双方の間に絶対的な愛情と信頼があり、その時正しいと思うことを、死を賭しても断固として実行できる意志と習性をつくり上げることだと言うことができよう」
『闘争の倫理――スポーツの本源を問う』(二玄社 1987年)
●ラグビー対抗戦2011「早稲田×青山学院」 samedi 10 septembre 2012 [■早稲田ラグビー]
ラグビー2011年度関東大学対抗戦 早稲田×青山学院 (秩父宮ラグビー場13:00kichoff)
今シーズンの早稲田大学のオープニングゲーム。前半15分間と後半の一部青学に攻められる時間帯がつづいた。早稲田の失トライ2本はフォワードサイドを突かれたもので、その上ノックオンが多発、不甲斐ない試合となった。
山下キャプテンの動きは充分だし、原田・中靏のスピードは通用する。一列の伊東、垣永、FBの井口が戻り、黒木、布巻が絡んで来ればかたちにはなるだろう。(一昨年、山中を外してまで使った吉井がそのレヴェルだったかはまだ分からない)
昨年より戦力が落ちたとはいえ帝京は強力なことは変わらない。また例年に増し明治の出来が良いと仄聞する。12月4日の明治戦に取敢えずのピークを合わせるには物足りないスタートだ。
走る山下キャプテン(キャプテンは皆な走るんだ。たしか石塚さんも走ってました)
このあとワールドカップNZ大会。日本×フランスのパブリックビュー。
◆オール早慶明3大学ラグビー jeudi 5 mai 2011 [■早稲田ラグビー]
五月晴れとなればよかったが曇天のなか、震災で延期になったオール早慶明戦が秩父宮ラグビー場で行われた。試合は一試合ハーフずつ3チームがクロスして40分×3試合の形式でおこなわれた。
カザフ戦に行っている畠山、今村君を除き、山下大悟、大田尾竜彦から佐々木隆道、五郎丸歩くんまで、早稲田ファンには懐かしい名前が揃った。神戸製鋼を引退した後藤翔太君の動きはまだまだじゃないか。怪我とはいえ引退は寂しいね。
しかし、今回は釜石シーウェイブスの菅野朋幸くんの走りに大きな歓声が集まった。
慶明戦を見られるのも良いし、この形式も怪我や時間を考えたら一興だ。ただ社会人が1日だけ集まるのは無理かな。
▲トライして角刈りの監督に大笑いされるプロップ
◆大学選手権準決勝・早稲田×明治 dimanche 2 janv,2011 [■早稲田ラグビー]
第47回大学選手権準決勝・早稲田74×10明治(国立競技場 14:00)
早稲田は対抗戦に続き明治を破り、2009年12月27日ボンド、ツイを擁するフォワードに蹂躙され屈辱的な敗北を喫した帝京大学からの覇権奪還の挑戦権を得たと言っていいだろう。
昨シーズンの大学選手権帝京戦、怪我で欠場していた有田、中田、田辺。途中交代により退場した山中、6月のU20イングランド戦で怪我をしていた井口。1年生ながら出場したもののズタズタにされた上田、伊藤。今シーズンの対抗戦の勝利など忘れ、1年前のことを思い出せ。
帝京のフォワードは確かに強靭だ。しかし、この1年早稲田フォワード、バックス陣も辻監督のもと格段の成長をみせいてる(その結果が今日のトライ数に増すタックルの一つひとつだ)。
早稲田の「荒ぶる魂」をみせてくれんことを。
山中3本目のショットのとき、またまた明治ファンから汚らしい野次があった。むかし試合前に明治ファンがグラウンドでランパスをしていた頃が牧歌的で懐かしい。彼らは役員に捕まった後事務室で正座をさせられ試合を見られなかったという噂があったが、ある意味いい経験になったろう。今日の野次はウイットもない一発退場物の寂しいものだった。
◆大学選手権2回戦早稲田×関西学院 dimanche 26 decembre 2010 [■早稲田ラグビー]
◆早明戦 dimanche 5 decembre 2010 [■早稲田ラグビー]
関東大学対抗戦早稲田×明治(国立競技場 14:00キックオフ)
前半17-3 後半14-12 計31-15
慶応戦に8-10で負けたため、3校が6勝1負となった場合(当然勝つのが前提)、早稲田は4トライ以上、明治を1トライに抑えなければならない。
前半20分過ぎまで明治の攻撃に堪え、明治のキックの後のボールをバックスが回し坂井がトライ、先制した。その後も有田のゲインから山中が前に進み坂井が連続トライ。
後半はバックスで回して中靏が取り、終盤の35分今度はフォワード陣のモールで山下が4本目のトライ。
明治に2本のトライを許し、6勝1敗5トライと並んだため得失点差で対抗戦優勝となった。
同勝敗での優勝となったが、慶応戦の修正がなされれば他校との差は顕著である。東海のフォワードに対抗できるのは身を挺してのタックルだけと決っし継続すれば覇権は見えてこよう。
後半32分モールからのトライ。(なぜ右手を挙げる?)
グラウンドの点差とは関係なく例によって明治スタンドは「外せコール」が喧しく、学生のレヴェルの憐憫を催すのだが、今年は山中がキックの態勢に入ると「帰れ」という声も聞こえた。さらにレフェリーが明治に反則の笛を吹くとブーイングまでしている。Wスコアでもフィフティーンに優しいし。なんとも呑気だ。
◆対抗戦初戦 早稲田×立教 dimanche 12 sept. 2010 [■早稲田ラグビー]
◆東伏見で dimanche 20 juin 2010 [■早稲田ラグビー]
東伏見の旧ラグビー部グラウンド脇にある記念碑。
現在はラクロス部のグラウンドとなっており、コンクリートの遮蔽壁があるため通路のような場所となっている。
昭和緒年から21世紀になるまで、荒ぶる若き早稲田のラガーマンはここで汗を流した。清宮監督時代、上井草に移転する夏、ここで大々的なイベントが行われた。
その傍に昭和2年(1927年)の早稲田ラグビー部の「揺さぶり」、接近・展開・継続を決めるオーストラリア遠征の記念石碑があった。「昭和二年豪洲遠征記念」と読むことができる。周りの樹は50年記念の時に植樹されたもの。早稲田ラグビー部の発祥が静かに屹立していたのだ。昭和2年豪州遠征記念オーストラリア
学生の時はここに来ても気づくことがなかった。
<坂井クンは部活や城址めぐりの前にもう一度東伏見に行くべきだな>
◆オール早慶明 dimanche 18 avril 2010 [■早稲田ラグビー]
30回目を迎えたオール早慶明戦「早稲田×明治」
オール戦は現役がTLで活躍するOBと一緒に出来る唯一の試合ということに眼目がおかれ、その年の戦力を判定する場とはならない。今回も明治の元木、南條、元、早稲田の上村の引退試合となった。フォワード、バックスとも拘りがなく、楽しい試合となった。
しかし、今回は別の意味もあった。それは、後半途中から出場した田辺のキックが悉く決まり、昨年の慶応戦以降田辺の欠場で招いた得点力の減少を、田辺本人が補填することの目処が立ったことを現わしているのだ。