■「ドゥルーズ=ガタリの哲学」① mercredi 18 juillet 2012 [■Pensée]
新宿朝日カルチャーセンター
江川隆男『ドゥルーズ=ガタリの哲学』①「ドゥルーズの哲学―イマージュなき思考」
スピノザの3種の認識論
第1種 感情→別の仕方で感じること
第2種 概念→別の仕方で考えること
第3種 直観→別の仕方で知覚すること →善/悪で考えるのでなく、良い/悪いが発動
フーコー『快楽の活用』(田村訳 新潮社 pp15-16)
「はたして自分は、いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や思索をつづけるために不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ。(中略)しかし、哲学--哲学の活動、という意味での--が思索事態への批判作業でないとすれば、今日、哲学とはいったいなんであろう?自分がすでに知っていることを正当化するかわりに、別の方法で思索することが、いかに、どこまで可能であるかを知ろうとする企てに哲学が存立していないとすれば、哲学とは何であろう?
●反同一性の哲学
・同一性の哲学 → 差異の哲学
・経験論的超越論 → 超越論的経験論
超越論的圏閾は、カント的な可能的経験の〈条件付け〉の原理ではなく、経験されることしかできないような最もア・ポステオリな実在的経験論の〈条件〉、すなわち〈経験サレルベキモノ〉の〈条件〉である。
・多義的存在論 → 一義的存在論
●新たな批判哲学
・諸能力の調和的一致 → 諸能力の不調和的一致
・経験から複写された諸条件 → 経験からの複写が不可能な諸条件
・存在のヒエラルキー → 存在の内面的平面
●倫理学―反道徳主義の哲学
・イマージュなき思考
・批判と創造の条件
・20世紀の批判哲学から21世紀のエチカへ
書いておけば、このブログのタイトルの横のイタズラ書きは誰かというと…ガタリのものです。
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