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●第五福竜丸    dimanche 18 mars 2012 [■vie]

土曜日に奈良へ帰る和実くんを送りに東京駅に来た兄と合流し房総に帰る。兄貴と電車に乗ったのは1973年か74年だったか、現在復活してC58が駆っている只見線にC11を見に行って以来40年ぶりであろうか。父母の顔を見て、昼近くに里美くんの車で途中まで送ってもらう。
いつもは停車しない京葉線の駅なども偶には良いもの。で、新木場に停車した時はたと思い付き検索してみたら、其処は夢の島ではないか。即下車しました。

「第五福竜丸展示館」
木造マグロ漁船「第五福竜丸」は、1954年(昭和29年)3月1日マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカの水爆実験により被曝、3月14日焼津港に帰国。乗務員23人は全員急性放射能症で入院。9月23日無線長の久保山愛吉さこんんが死亡。

総トン数140.86トン。長さ28.56m、幅5.9m、高さ15m、深さ3m。
想像していたよりも大きなものであったが、大海に出れば木葉のようなものなのだろう。現在の船は軽量で硬い素材で出来ているのだろうが、木造の船体の横や底には腐食して修理した跡や貝の付着したらしい跡も見られ、非常に心もとないものだ。

小沢節子『第五福竜丸から「3.11」後へ 被爆者大石又七の旅路』(岩波ブックレット)によると、第五福竜丸の乗組員であった大石又七さんたちは被曝後見舞金を渡されただけだそうだ。現在もすぐれない体調であるが、政府からは被爆者として認定もされず、「被爆者手帳」を含めなんの補償もないそうである。

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