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■「マタイ受難曲」    dimanche 1er fev, '09 [■Cinéma et Musique]

アマチュア合唱団「町田フィルハーモニー合唱団」の第10回演奏会、バッハ「マタイ受難曲」を新百合ヶ丘の昭和音楽大学・テアトロ ジーリオ ショウワに聴きに行く。

「マタイ受難曲」を宗教音楽の範疇ばかりでなく、音楽全体の最高峰と捉えることに異論はまったくない。故にマタイを演奏するには相応の鍛錬ばかりでなく精神の修練が要求される。その意味で今回の演奏会は如何であったろうか。

まず、福音史家のテノールが平凡で精彩がなかったのではないか。直截に言えば、声が擦れ夾雑感が感じられたのだ。進行を担当する福音史家の冷静な声色が聊か停滞しているようだった。(この方はプロの方だったのだろうか)

また、イエスが罪人として捕縛され、自身の安全のためイエスとの関係を知らぬ存ぜぬとペテロが裏切る場面。「憐れみたまえ、わが神よ。したたり落つるわが涙のゆえに。こを見たまえ、心も目も。汝の御前にいたく泣くなり。憐れみたまえ、憐れみたまえ」(杉山好・訳)。ペテロの裏切りを、バッハは人類の裏切りへと昇華させ、アルトとヴァイオリン・ソロで悲痛に歌いあげる。しかし、そのヴァイオリン・ソロに演歌が聞こえてしまったのだ。たっぷりと感情を込めて演奏するのだが、逆に冗漫すぎロ短調の初めの部分がもたつき、音が足りなくなっているようだった。

そして民衆の裏切りの場面。制度的欺瞞からピラトは赦免すべき人物はイエスかバラバか選ばせる。コーラス部分が物語に積極的に参加する大事なところである。「Barrabam」と許しを得るバラバの名を叫び、イエスの磔刑を求める「Laβ ihn kreuzigen!」(十字架につくべし!) は民衆の罪を暴き出す。昨年来日した聖トーマス教会合唱団は人類を糾弾せんとばかりに歌っていた。それに対し今回はまさに合唱団として後背に埋没してしまっていた。これも我々日本人の宗教音楽に対する無知であろうか、出るべきところは自らの罪をも暴くように現前せねばならぬのではないか。

もう一言付け加えるなら、アマチュア合唱団ゆえに許されるのであろうが、演奏が終わったあと壇上から観客席に知己を求めるのは止していただきたい。下品であり、なによりも今歌い上げた曲は、「マタイ受難曲」なのである。

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