■アンジェイ・ワイダ「カティン」 dimanche 15 juin 08 [■Cinéma et Musique]
NHK-HV「映画監督アンジェイ・ワイダ~祖国ポーランドを撮り続けた男」を観る。
昨年、第2次大戦中の1940年ソ連がポーランド軍将校4000人を虐殺した、所謂<カチンの森事件・カティンの森>を描いた「カティン KATYN Katyń」を製作したアンジェイ・ワイダ監督のインタヴューである。
ワイダ監督の父親は、実際に<カチンの森事件>で殺され、作中で夫の安否を気遣う女性主人公は母親を投影しているのだという。1939年9月のナチス・ドイツのポーランド侵攻でヨーロッパの戦端は切られ、独ソ不可侵条約によりソ連軍もポーランドに侵攻、ポーランドは分割占領された。その後ソ連は戦後処理・社会主義化を目的にポーランド人将校2万人を殺害した。1943年になってドイツ軍がソ連に侵攻、<カチンの森事件>はドイツの非難で露見した。しかし、ドイツの敗戦によってソ連の戦争犯罪は告発されること無く、ソ連・ポーランドの社会主義体制内のタブーとして言及されなかった。<カチンの森事件>を正式にソ連が謝罪したのはゴルバチョフ政権となった1990年代になってからである。
ワイダ監督が現代史を俎上に上せるのは、ワルシャワ蜂起を見捨てたソ連を弾劾する「地下水道」、ポーランド政権批判の「灰とダイヤモンド」、50年代を踏まえ1970年12月事件を描く「大理石の男」、そして80年のグダニスク、ワレサの「連帯」へと続く「鉄の男」などがあるが、「カティン」はワレサ監督のポーランド現代史連作の出発点になり、完結する作品だろう。
ワイダ監督作品を初めて観たのは1980年だったと思う。早稲田のACTで「地下水道」「灰とダイヤモンド」を観て、9月に岩波ホールで「大理石の男」を観る。そして3カ月後に、グダニスク造船所の「連帯」が始まった。その時は10年後にソ連が解体へと向かうなどと、誰が予想しただろうか。
「大理石の男」で女性主人公アグニェシカが、大きなザックを引き摺るように大股で歩く姿には(走っていたかも)、彼女の強烈な意思が溢れ、憧憬を憶えた。それは言い換えれば、東ヨーロッパの若い女性の力強さの象徴のようにみえた。叩き付け、搾り出すような女性の声で、「ヤネク・ヴィシニェフスキ・パドゥ(ヤネク・ヴィシニェフスキは死んだ)」と歌う東ヨーロッパの現実が、20歳の僕には出口のない閉塞した状況であるにも拘わらず、自由への渇望に満ちた希望の道程にみえたのだ。
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