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■コロー展とアリアドネ    samedi 28 juin 08 [■Cinéma et Musique]

上野の西洋美術館の「コロー 光と追憶の変奏曲」に行く。
遠い昔ルーヴル美術館で見た“コローのモナリザ”「真珠の女」を日本で観られるとは、感慨も一入というものだ。人物画や号数の大きい作品も良いのだが、小さな作品でも手前に森の闇を配し、遠景に光をおく風景画は静寂のなかにも観るものの視点の移動をもたらし、深みのある作品となる。闇が強度を増せば遠くに見える風景への速度は増すことになる。対象の複数性で視点を移動させる古典的作品にあって、強度で深奥へと視点を向かせる方法は新鮮でもある。

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DSC03484.JPG一切の希望を捨てよ、我が門を過ぎる者

その後、公園内の通りを挟んだ東京文化会館で、二期会のオペラ公演『ナクソス島のアリアドネ』(フーゴー・フォン・ホフマンスタール台本、リヒャルト・ストラウス作曲)を観る。
「ナクソス島のアリアドネ」と道化劇をひとつの芝居で行うという突拍子もない設定を、ホフマンスタールはどのような発想から生み出したのか、或はどのような要請から書いたのか極めて興味深いものである。併しながらこの本は成功しているとは思わない。アテネのテセウスに捨てられたアリアドネに道化が纏わりつき、真理らしきものを語るという台本はいかにも陳腐なものである。我々は既にフーコーの『言葉と物』や『狂気の歴史』を知ってしまっている。重層的認識論をもつ現代人にとってこの20世紀初頭の作品は退屈そのもの、或は死んだ芸術と言わねばならない。

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→高円寺Ca
 


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