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●房総逍遥       lundi 2 juin 2008 [■vie]

5月31日、6月1日と神楽坂矢来町OBの老人たちと紀尾井町組で、ふるさと房総を逍遥して来ました。

3.JPG内房線で館山まで行き、里見城(「館山市立博物館」分館)を訪問。
天守閣である博物館分館は甲冑類の展示は少しだけ。子どもの頃NHKで放送していた「新八犬伝」のビデオ、その時使用した辻村ジュサブローさんの人形を初め、瀧澤馬琴の「南総里見八犬伝」全106冊など、さながら「八犬伝」展示館でした。しかし太平洋と東京湾を睥睨できる要害として重要な要衝だったのだろうと思わせるお城でした。

 

 

DSC04337.JPG外房線を北上、日蓮宗の開祖日蓮を祀った誕生寺に寄り、太平洋を臨む天然温泉(美人温泉というのだそうだ)と日本全国の地酒を呑めるという温泉宿を謳い文句とする「元湯」旅館に投宿。

もう少しすると「蛍狩り」に行けるというのですが、「蛍」という地酒と鯛の船盛りが出てしまえば、そんな風流な催しに貸す耳は私たちにはありやしません。













翌日は、御宿海岸月の沙漠(砂漠)の銅像を見ながら、江戸初期、メキシコ(当時スペイン領か)の難破船を助けたというモニュメントのある丘に上り、眼下にマンタのごときサーファーを見下ろす。そして山のない千葉には珍しい酒蔵「岩瀬酒造」に訪い試飲に突入。「岩の井」の「秘蔵古酒二十年」、「山廃辛口」などをうだうだうだうだ戴く。

その後、大原から、JR時代の「木原線」、現在の「いすみ鉄道」に乗り、房総半島の深奥部へ。正しい房総の原風景である故郷の無人駅を少しばかりの感慨をもって通過。
木原線の名称の由来である、内房の木更津(「木」)と外房大原(「原」)を結ぶという計画は、牛が乳を出さなくなるとか東京から病気が入ってくるという沿線住民の反対にあい頓挫したのは房総の人は誰でも知っている話しですし、それが過疎の遠因であるとはいすみ鉄道沿線住民の共通の認識です。

大多喜城を右に見て上総中野に到着。(実は1978年当時ロペス・メキシコ大統領が御宿にあるモニュメントを訪問した際、慶長年間に御宿を藩領としていた本多氏の大多喜城に立ち寄ったのですが、城址二の丸にある大多喜高校も訪問しました。当時在学生だった僕は授業中にも拘わらす全校生徒がグラウンドに出て歓迎するなど、旧態依然、夜郎自大な土地柄に辟易としていたものです)

上総中野からバスで養老渓谷に移動。粟又の滝というゆるーい滝を見ながら、おにぎりをオカズに「岩の井」のワンカップ・4合瓶を戴く。小湊鉄道で五井に出た後、またまた蕎麦屋で痛飲。日本酒尽くしの鯨飲の旅となったのでした。

1.JPG御宿と大原の間のサーファーの来ない岸壁。文句があるならここで泳いでみなさい。


















DSC04360.JPG当然現在はこんな海女さんはいません。

岩瀬酒造敷地内にあるギャラリーAMAに展示されている先代社長岩瀬禎之氏が撮った戦前からの海女さんたちの写真。
目的を持った肉体で力強い。

 

 

 

 

 

 

 

 


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