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●無題 [■仏文研]

後藤さんから、岳雄くんが先月25日に亡くなったという連絡が入った。妹のKちゃんが発見したという。

会社を辞め、今年の春から浅草でカレーショップを始めたばかりじゃないか。オープン当日の夜電話を掛けてきてくれて、亡き父土井さんのやっていた「DUO」に因んで店名を付たと熱く語ってくれたじゃないか。俺もそのうち食べに行くからと約束したじゃないか。

DUOの常連だったOさんに合って消息を聞いたばかりだった。まさにそのころ彼は仕事に疲れた肉体で不安のなかにいたのだ。なんてこった。チクショウ。

 


コメント(139) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 139

akirahomma

おはようございます。
おひさしぶりです。
睡眠薬の効きが最近悪く不眠がちです。
岳雄くん、残念です。
一杯やります。
by akirahomma (2011-12-02 05:20) 

shima

こんばんわ。

私は仏文研所属の先輩に連れられ、1990年前後、毎晩のようにDUOに通っていた元早稲田の学生です。
今は東京を離れて、地元熊本で暮らしていますけど、このたびふと学生時代の頃を思い出し、DUOを検索してみたら、貴ブログでDUOのマスターどころか岳雄くんも亡くなっていたという事実を知って愕然としています。

悲しいです。悔しいです。残念です……

マスターと岳雄くんのご冥福をお祈りします。

だけど、もう一度、当時の仲間とマスターと岳雄くんとで飲みたい。
チクショー、涙が止まらない。






by shima (2012-02-16 23:26) 

懸解

本間君元気ですか。何時でもいいから源兵衛で呑みましょう。ミサコさんも君のことを憶えてるぜ。

shimaさん、初めまして。
僕は80年入学ですので90年代は偶にしか行きませんでしたが、もしかしたらお会いしているかもしれませんね。
土井さんも岳雄くんも残念です。
by 懸解 (2012-02-24 01:07) 

Akira Homma

懸解先輩、お久しぶりです。ご返信が遅くなりました。ミサコさんはもう第一線を退かれておられるでしょうね。私は4年3ヶ月くらい前から実家で暮らしております。中々大変な時代になりましたね。私は学生時代よりも酒が強くなりました(笑)今であれば、先輩や土井さんとも少しは話しが通じるかも知れません。shimaさんは、私の後輩です。土井さんは「shima君は俳優になれる」と仰られてました。私が大学留年時代の週末土曜日は毎週のようにDUOに5人は集まり、その次のお店で明け方まで飲んでおりました。みんな、今なにをやっているのか。。。愚弟だけは話しになりません(笑)
by Akira Homma (2024-03-07 02:11) 

AKIRA Homma

やはり、9.11辺りからガラリと世界が変わってしまったように最近思われて仕方がありません。あの時私は会社を退職し実家へ一時的に帰っておりました。
先輩、私は30代始めの頃、土井さんと長野県松本市で一度お会いしお食事をしました。私は土井さんのお見舞いには2回しか行けませんでした。
by AKIRA Homma (2024-03-07 02:19) 

AKIRA Homma

私は今年還暦ですが、昨晩地元のガールズバーで、3時間近く飲みました。私は昔と変わらずバカです(笑)
私は、Facebookはニュース保存や、情報収集のためだけにずっと使っていましたが、昨秋頃気づきましたが広告としてはまだまだ使えそうな感じがします。やりませんけども。
by AKIRA Homma (2024-03-07 02:27) 

AKIRA Homma

「白鷹」よりも美味しい日本酒は、越佐には無尽蔵にあります(笑)
私は、約2年前自宅自室で「麒麟山伝統辛口」をひと晩で一升三合飲みました。翌日ややダメージがありましたが、お昼休み時間に麒麟山酒蔵へ電話をしました。「私は本来こんなに飲めるはずでは無いのですが?」と伺ったのでした。
by AKIRA Homma (2024-03-07 02:33) 

AKIRA Homma

生前の土井さんは仕事をされながら、あれだけReadingをされて本当に立派でした。星のことも。ただ彼の視野は今の私からしますとやや狭かったです。私は15年以上間断的にスピノザを読んでますが未だに歯が立ちません。但し2年位前から少しだけ前進したかも知れません。私は新潟に帰郷してから母の病気などでしばらく夜の酒場は行っておりませんでした。2年弱酒場へ繰り出しましたがバカバカしくて最近は飲む時は専ら自宅です。たまにガールズバーでバカ話しをしたりするくらいです。私はもう一度首都圏へ出る機会を伺っております。
by AKIRA Homma (2024-03-07 02:43) 

AKIRA Homma

私は今日は休暇です。

最近、いやこの2年くらいでしょうか?土井さんが「もっと真剣に生きろ」と言って下さるであろう生き方を模索しております。
それが佐藤一斎的な生き方なのかも知れませんが、私はもう少しだけ、あと2年くらいだけ老いに抵抗したいのです。
それでは失礼いたします。

P.S.
グローバリスト ≒ 共産主義者
by AKIRA Homma (2024-03-07 02:58) 

AKIRA Homma

なんか、酔いが醒めてしまいました。

土井さんが毎晩星を見上げていた頃か、埼玉に棲んでおられた頃か忘れましたが、私は土井さんに「子連れ狼」を紹介しました。
土井さんは私に最終回のラストシーンの意味を聞いて来られました。

あれだけゴルフが好きな土井さんですから時代劇、剣術も好きなはずだと私は紹介したのです。

私は一度土井さんとゴルフをしたかったです。
それだけが残念です。
今日は自宅か喫茶店で、3時間ほど作業をします。

それでは今度こそ失礼いたします。
by AKIRA Homma (2024-03-07 03:37) 

お名前(必須)

酩酊して変な箇所がかなりありますが、ひとつだけ訂正します。

< 最近、いやこの2年くらいでしょうか?土井さんが「もっと真剣に生きろ」と言って下さるであろう生き方を模索しております >



最近、いやこの2年くらいでしょうか?
土井さんが「もっと真剣に生きろ」と言っている気がして、そう言われないであろう生き方を模索しております

by お名前(必須) (2024-03-07 03:44) 

AKIRA Homma

こんにちは。

私はお昼前に、地元のカフェに着きました。
このお店にはWi-Fiがあります。
私は先ほど軽く朝昼兼用食を摂りました。
先輩、
私は本日早朝、私は大学時代に先輩から、「お前は友達がいないからな」とある晩DUOのカウンターで言われました。
私は現在でもそうです。
惹きつける魅力が私には無く、私は人間があまり好きではありません。
私の現在の実家は秋葉(森林)公園のすぐ傍です。
少し公園を歩けば小鳥さん達の鳴き声が聞こえます。
私の地元の駅からはたまにSLが走っております。
愛猫ノラは、雪の先月外へ遊びに出てまだ帰還しておりませんが、私は2週間前にノラを夜近所で見かけました。
私は、先輩や大学のゼミの後輩のshimaさんであればお会いしたい次第です。

今日もいい日に...

https://www.city.niigata.lg.jp/akiha/shisetsu/yoka/leisure/akiha.html

P.S.
私はLINEを含めたSNSをほとんどやりませんが、近いうちにFacebook経由で先輩にメッセージを送るか、先輩の記事にコメント等をします。
私の実家は新潟市内にあります。
越佐は、海産物農産物が豊富です。
山も海も、水(特に湧水)も美しく、美味しいです。
by AKIRA Homma (2024-03-07 12:37) 

AKIRA Homma

またしても訂正です。

< 私は本日早朝、私は大学時代に先輩から、「お前は友達がいないからな」とある晩DUOのカウンターで言われました >



私は本日早朝、私が大学時代に先輩から「お前は友達がいないからな」とある晩DUOのカウンターで言われましたことを想い出しました

P.S.
私が現在居るカフェの豆は自家焙煎で美味しいですが、私は土井さんのアイスコーヒーが今までで一番美味しかったです。

by AKIRA Homma (2024-03-07 12:42) 

AKIRA Homma

こんにちは。

私は現在仕事をしながら、ある講座の研修(次の仕事です)もこなしており、施設生活の母親のこともありまして立て込んでおります。

先輩は、DUOのカウンターで一度ワンフレーズ歌を口ずさまれました。

東條英機の愛読書が「歎異抄」であったことを土井さんは知っておられたのかどうか今では確かめようがありません。

ただ明らかなことは「歎異抄」の文章(弟子の筆記)は力強いということと、たとえばハイデガーは「この書物を知っていればラテン語や古典ギリシャ語をわざわざ学ばなかっただろう」と述べております。
先輩は30代で「現象学を学び直さなければならない」とDUOのカウンターで言われました。
私は精神医学にも益した「存在と時間」(或いは「ツォリコーンゼミナール」)よりも「論理哲学論考」を評価したいです。
「存在と時間」はドイツ語でなければ理解が出来ないはずなのです。

先輩は昔新聞二紙を購読されておられました。
私の後輩のshimaさんと大学同級の私の知人は日本経済新聞社へ入社されました。
先輩が激務に追われDUOへあまり来られなくなった後、ほんの僅かですがそのような時期もございました。

高橋洋一氏は理数系出身ですので優秀ですがある致命があります。
但しほとんど文系出身のマスコミ記者や役人は彼に歯が立たない一面があります。


とにかく私は先輩の< 情熱 >を終生忘れません。


https://www.youtube.com/watch?v=S0x9J4fSpDY

https://www.youtube.com/watch?v=080CVBitjzc

https://www.youtube.com/watch?v=NyCG6epl1m8

P.S.
私は、40代半ばに気象庁で数年間SEとして勤務されていた方と知己を得ました。
この数年気象予報が外れたのが何故かはわかりません。
ただし今年に入りましても地震が多発しております。
これ以上は書く必要は無いはずです。
by AKIRA Homma (2024-03-08 13:28) 

AKIRA Homma

ままかり。

私は実家で母親とふたり暮らし時代に地元のスーパーで「ままかり」を購入し、母親と食べましたがお味はそれほどではありませんでした。
私は、「ままかり」の作り方をネットで調べたり、母親が青味のサカナ類が好きなのでそれらをよく料理しておりました。
先輩、
源兵衛の焼き鳥は決して美味しくありませんでした。
愚弟は源兵衛初の大学生アルバイトをしたようですが、私は生前の源兵衛のご主人が私に「浪曲が好きでね。君は聞かないだろうね」と言われたこともあります。彼はお店が終った後高田馬場界隈をジョグされておられました。
ミサコさんは越佐出身で、「仕事が終わってからどうしてもご飯を食べてしまうのよ」と仰せでした。
他界した私の父親の親戚は、練馬界隈で裏千家家元をしている(いた)そうです。
加藤修一は戦中「能楽堂」へ通っていたと何処かで書いてました。
ただし、

「日本文学史序説」を読めば、加藤周一が吉田松陰の本質を何らわかっていなかったことは明らかです。

P.S.
愚弟によりますと、源兵衛は生鮮食品のメニューもあるそうですね。
それでも越佐の方が地政学的に有利なはずです。
新潟に出張した会社員、新潟で飲食をして喜ぶそうですので。

嗚呼、

先輩と飲みたいです(笑)

by AKIRA Homma (2024-03-08 13:52) 

AKIRA Homma

先輩、

私は本日も仮病(母親の調子が悪いとの理由です)で欠勤しました。
現在の私は父親が居なくなりましたので、怖いものは、
・母親
・未だ帰還していないノラ
くらいです。
あとは好きにしろ、してくれの世界です。
私は高田馬場で喧嘩中に撰氏に仲裁をしてもらったこともございます。
ケンカではありませんが。
ケンカとは、勝ち負けが明らかであろうともやる、やらざるを得ないことのはずです。
昭和天皇崩御の晩、土井さんは黒いネックタイでした。
有名な夏目漱石の写真(右に頭を傾げてます)では、スーツの漱石は左腕に喪章をまとっていることはあまり知られていないかも知れませんん。

下記のお店は、地元で私が伺う数少ないお店です。
私はいつも、「AKIRA」で通しております。
このお店経由であれば、楽に私は先輩からのコンタクト情報を得られます。
よろしくお願いいたします。
私はこれから残された研修課題に取り組みます。

今日もいい日に...


http://www.place-niitsu.com/

by AKIRA Homma (2024-03-08 14:12) 

AKIRA Homma

シルビー・バルタン....
by AKIRA Homma (2024-03-08 14:17) 

AKIRA Homma

先輩、
私は先輩の情熱にはとても及びません。
私は確か43歳くらいから、Gベイトソンを読み始めました。
ハイデガーよりも翻訳の質は良いのですが、それでもバカな私は数冊理解をするのに難渋しました。
Gベイトソンの主著「精神の生態学」所収の英国精神分析学会にも掲載された論文を私は10回以上読みましたが(最近は読んでおりません)、完全には理解不能でした。
それはGベイトソン本人があまりにも多領域を扱っているからかも知れません。
その意味でベイトソンは、「(20世紀の)知の巨人」なのでしょうか?
浅学菲才の私はこんなものなのです。

それでは失礼いたします。

P.S.
私は、30代後半にLPICレベル2取得、43歳時に3ヶ月間夜学のJavaプログラミング専門学校に通いました。
独学で、Cもやりましたがダメでした。。。

げんべい。。。。。。
中原中也、
大岡昇平、、、、
渡部直己、、、、
すが秀美、、、、
関川夏央、、、、

今、
土井さんがご存命でそしてDUOがあれば、、、、、
一度お会いしたことがあるMきさんともお会いすることが出来ることでしょう。
彼女の歩行時の左右のつま先はやや開いておられました。

仮定ですが、そうなりますともちろんDUOはメンバーズにするべきですね。

by AKIRA Homma (2024-03-08 14:28) 

AKIRA Homma

先輩、

おわかりの通り、私は本日欠勤しましたが昼酒を飲っております。
だって、、、、
地元(だけでは無いはずですが)では誰ともコミュニカシオンが取れない状態なのです。

であれば、
・アルツハイマー型認知症の母親
・ネコ語の愛猫ノラ
を相手にしていた方が私は遥か楽なのです。

先輩は決して< 連絡係 >ではありません。
先輩が私を後輩と認めて下されば、私は先輩の弟子、後輩となれる僥倖に預かれます。

P.S.
私は中野区時代に、故今村昇平と故北村和夫と二度、同じスナックで遭遇しました。
当時既に私は「楢山節考」を読んでおりましたので、二度目、北村和夫が席を外した際に今村昇平に質問をひとつしましたら、今村昇平は帰って来た北村和夫の静止を顧みず私に10分以上話しましたが。。。

まあいいです。

私はやはり源兵衛へ馳せ参じます !!!

by AKIRA Homma (2024-03-08 14:45) 

AKIRA Homma

先輩、
私は、40代後半に、日本のトップの通信社の論説委員をしたこともあるという方とも知己を得ました。
彼は、
・東大文Ⅰ → 大学院 → ハーバード大学交換留学
・東大4年時には、
  ・司法試験合格
  ・極真空手黒帯取得
もされたそうです。
私はそれらの写真や彼とも二度お会いしました。
非常に優秀な方でしたが、
明らかなことは、
その通信社が主に地方新聞へ配信する論説文類は、

「反日」系であったこと  です。
彼は御巣鷹山現地取材もされたそうです。
それでも彼は日航ジャンボ機については。。。
ちょっと書けません。

だから、だから、
私は土井さん(と先輩)にお会いしたいのですが、
そうしますと私は今どうすれば良いのでしょうか?

by AKIRA Homma (2024-03-08 14:58) 

AKIRA Homma

先輩、

私は本日何も食べておりませんので、これから近所のスーパーかコンビニエンスストアへ行きます。
酩酊しているので自転車です(飲酒運転ですが)。

昭和天皇崩御時の碩学(先輩の言です)浅田彰の、
「土人」発言は物議を醸しだしましたが、
旧制佐渡高校第一期生、W大学政経学部卒の北一輝の著作(僅か3冊ですが非常に難解です、今でも私は理解が出来ません)を踏まえたもののはずで、

左 = 右

であると私には思えるのです。
何を求めているのかは問わず、その< 先 >のビジョンは右左関係が無いはずです。

https://www.youtube.com/watch?v=na235UrZ764

P.S.
私は、20年以上交流をしておりませんが現在の日本での右翼活動家トップ(彼は新日本プロレス練習生でもあられました)とも長野県松本市時代に遭遇しました。
その意味で、
やはり、
土井さんに蘇ってもらって、
若き日のMきさんにスタッフをして頂いて、
メンバーズの酒場を。。。

これは本音です。
私個人としましては、母親のことが無ければもう充足しておりますので。。。

by AKIRA Homma (2024-03-08 15:28) 

AKIRA Homma

先輩、

現在 15:37pmです。
私はほぼ引退した酒場で、昔の旧友と稀にお話しをしますと、

よく覚えているな

と言われました。
憶えているのだから仕方がございません。
記憶をdelete処理は出来ません。

私は生前の土井さんがよく使われていた「思い」という言葉は使いませんが、土井さんの思いは現在少しばかりはわかるようになりました。

私は先輩のように団体スポーツには興味関心がありませんが、それでも、大谷翔平は傑物だとは思っております。

私はこれから自転車で街へ行きます。

P.S.
風呂敷で書籍類などを包んでDUOに来られていた頃の先輩が懐かしいです。
まあ、キリがありませんね。

言葉、文字で残すしか無いと私は観念しております。
K田先輩などには最早負けまへん(笑)
私は高田馬場駅前でリービ英雄を見かけました。
歌舞伎町二丁目のスナックでは隣に北方謙三が飲んでました。
酔払っていたであろう故中上健次とも遭遇しました。
私が大学4年時に、石原裕次郎の外科手術を終えた慶応大医師の打ち上げにもたまたま居合わせました。
歌舞伎町2丁目のゲイバーでした。

私はとにかく先輩の繊細さ、他者へのご配慮の仕方などから多くを学んだのでした。

by AKIRA Homma (2024-03-08 15:48) 

AKIRA Homma

革命或いは変革。

日本近代文学最後の作家とされる故中上健次(古井由吉はその後も生きたので正確では無いはずです)は、

正確ではありませんが、
「20世紀を動かした人物?」でインタビュー記事が所収されてました。
中上健次によれば、
日本社会はいつも、

下から上への運動が社会活動(変動)をして来た

と書かれてました。
但し私見では、
志のある政治家が現下の日本では要請されているはずです。
安倍晋三もよくやってくれましたが、
日経平均株価が30数年ぶりに最高値更新など、他の国のこの30数年の推移を見れば、

遅れている

と言わざるを得ません。

現在16:06pmです。
私はこれから行きたくない地元の街へ行きます。

by AKIRA Homma (2024-03-08 16:07) 

AKIRA Homma

居酒屋で、目玉焼き3つとご飯を、ビール中瓶で頂いて来ました。

現在 18:03pmです。
先のコメントでの書籍名は、「20世紀を動かした思想家」とかです。
では何故一介の小説家の中上健次がピックアップされたのかは私にはわかりません。
ただし、被差別部落出身であると初めて公言した作家である中上健次の、

「紀州 木の国・根の国物語」は非常に重要な仕事であると私は今でも思っております。
越佐の民には、紀州人のような荒々しさはありませんけども。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-08 18:07) 

AKIRA Homma

20世紀を代表する歴史学者、人類学者の、
・トインビー
・レビストロース
が、日本について述べていたことは一致しておりますね。
現在18:34pmです。
私はこれから少しだけ寝ます。

by AKIRA Homma (2024-03-08 18:35) 

AKIRA Homma

こんばんは。

1:30am頃に起きました。
現在、2:10amです。
この数日で私はコメントを書き過ぎました。

私が現在研修をしている会社はアメリカに本社があります。
日本にも支部があります。日本支部本社は埼玉県にあります。
昨年2月に日本支部で募集がありまして(世界初のようです)、私は応募をしまして、昨年3月3日金曜日に選考通過の知らせを受けました。
まさかと私は思いました。

病気の母親のこと(母親は自宅玄関前で転倒骨折などもしました)などもあり、研修課題提出が現在遅れております。
ただし私の場合は特例的に研修期間を延ばしてくれるそうです。

日本支部のCEOから、私は「発信する情報(雑学のことです)が多過ぎるのが難点だ」と言われました。
それは、私が大学時代から先輩ら、そして30代、40代に一般よりも少しばかり見聞が多かったからかも知れません。

ネットは誰でもアクセスが出来ますので、これ以上は書けません。
私が昨日書いた某通信社で論説委員をされていた方は、
・司馬遼太郎
・猪瀬直樹
らに単独インタビューをされたこともあるそうです。
司馬遼太郎についてはどうでも良いのですが、彼の功績は所謂司馬史観などではなく、坂本龍馬を一般に広めたことではないかと私は見ております。ただし司馬は坂本龍馬について何ら真実を知っておりませんでした。坂本龍馬の真実は未来永劫明らかになることは無いでしょうけれども、それでもある程度のことは現在ようやく把握出来ているようです。
それはスタンフォード大学フーヴァー研究所の西鋭夫教授の仕事のお陰のはずです。他の方もおられますが。
そして前述のスピノザにつきましては、私はそうではないかと少し思ったこともありますが、
東北大学の田中英道教授が昨年あることを指摘して下さりました。
私はそれで本当に救われたのでした。
要するに日本だけではなくこの500年くらいに限りましても、歴史とはいつも勝者、為政者側が作るもので、そのコンテクストで観なければならない、真実が時に隠されていることがあると言うことです。
スピノザは、17世紀の人間です。つまり江戸時代です。
人間を人間足らしめる条件はいくつかありますが、
時空を超えて旅が出来ることもそのひとつだと私は思っております。

う~~~ん、源兵衛か。。。
私は30代前半に一度源兵衛へ知人女性と伺いました。
あの頃ミサコさんはまだカウンター内におられました。
前述の通信社を退職された方は、国際Aライも持っておられました。
現在彼はガンで闘病中だそうです。彼の同僚に、辺見庸もいたそうです。
私は現役時代の彼が小泉純一郎と(おそらく政府専用機内で)握手をしている写真も見せてもらいました。どこかの端末に保管してあるはずです。
「自民党をぶっ壊す」?
違うだろう。
「お前が壊したかったのは、田中派だったろう」と小泉に今の私は言いたいです。
そう云えば、私が大卒後入社した会社に河野家(河野洋平)の親戚筋の方がおられました。
亡くなった私の父親の親戚筋は河野家と遠縁なのですが、その先輩社員は知らないようでした。
また取り留めもないことを書きましたが、
坂本龍馬、小泉らの本質は国賊であるという至極単純なことです。

それでは失礼いたします。

P.S.
後〇さんは、当時365日飲んでいるそうでした。
今彼はあの頃のように飲まれているのかどうか。。。



by AKIRA Homma (2024-03-09 02:39) 

AKIRA Homma

現在 2:50amです。
中途半端な時間になりました。

前述の知人女性と別の機会に上京した折に、彼女の知人の住職さんのお誘いで新宿の宴会へ三人で伺いました。
その住職は映画好きでした。
当時、「Hana-bi」が金獅子賞受賞をしてました。
私は彼女と「永遠と一日」を観に行っておりました。
私は初対面のその住職に、「ソナチネの方が優れている、また永遠と一日も素晴らしいですね」と溢しました。
そうしましたら、しばらくして北野組のある俳優が私の前に来られたのでした。

話しは変わりますが、愚弟は私が30代前半くらいの時に週末爆笑問題と競馬番組を作っておりました。
ある正月実家に帰って来た愚弟に「太田光はどうなの?」と聞きましたら、「とんでもない」とだけ愚弟は言いました。
何がとんでもないのか今では確かめようがありません。
テレビというメディアは、1990年代中葉のインターネット出現で終わっておりますので。

それでは失礼いたします。

P.S.
最近日本でも戦後アメリカ = GHQの3S政策が知れ渡って来たようですね。

by AKIRA Homma (2024-03-09 02:59) 

AKIRA Homma

階下の台所の鍋に麦茶が作ってありましたので今飲んでおります。
麦茶、ルイボスティーなどはノンカフェインです。
私は、32歳時に会社の上司(ベストスコア 70)の勧めでゴルフを3年くらいやりました。
仕事で大町市へ行くことがあったのですが、ある日大町市のゴルフレンジで南アフリカ出身のプロゴルファーと知己を得ました。
彼が南アフリカ時代に通われていたゴルフスクールの後輩に、アーニー・エルスが居たそうです。
私は彼と一度ラウンドしました。
340 ydsのパー4で彼はワンオンされました。
彼はエルスにいつも30~40 yds置いていかれていたそうです。
また彼の奥様が経営されているスイミングスクールに船木誠勝戦前のヒクソン・グレーシーが泳ぎに来られたそうです。
私は彼がヒクソンからプレゼントをされたというオリジナルTシャツをもらいました。

それでは失礼いたします。

P.S.
私は、2022年5月末に、長岡市のヨネックスCCでJacobs3Dの松本協(タスク)氏とお会いし一緒にラウンドをしました。
私は20年やっていなかったゴルフを再開しました。


by AKIRA Homma (2024-03-09 03:23) 

AKIRA Homma

私は確か32歳時にフロイト「失語論」を読もうとしましたが難解で挫折しました。
私の母親の診断名は、
アルツハイマー型認知症&失語症 です。

現代では、認知症治療にはほとんど投薬されないのに日本はまだ投薬します。私は昨年2月に母親の投薬(ドネペジル塩酸塩)をやめてもらいました。
コロナのペテン後もパンデミックがまだまだ世界で起きそうですね。
こんなことをネットに書いてしまうのは非常にマズイのですが。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-09 03:41) 

AKIRA Homma

私が、31歳の頃でしょうか?
会社が大町市農協祭で出店を出し私も参加しました。
その日人もまばらなグラウンドで門倉由紀が営業で歌ってました。
その後門倉由紀は「ノラ」でスマッシュヒットしました。

それでは失礼いたします。

https://www.youtube.com/watch?v=k6U6EtheIEk


by AKIRA Homma (2024-03-09 03:45) 

AKIRA Homma

私は昨日金曜日に、大学のゼミの後輩のshimaさんの熊本の母校へ連絡をしました。
もしかして私はshimaさんと旧交を暖めることが出来るかも知れません。

彼のご尊父は熊本市で士業をされてましたが、今はされておられないようです。

by AKIRA Homma (2024-03-09 04:06) 

AKIRA Homma

こんにちは。
今、先輩のFBを見ました。
相変わらずフットワークが軽いですね。
先輩とお会いしたら、私は斬られてしまうことでしょう。
by AKIRA Homma (2024-03-09 10:50) 

AKIRA Homma

おはようございます。
今日は、3月10日、現在 5:51amです。
下記は私が、1年以上前にネットで見つけたものです。

※ ※ ※

十五年後の世界

世界の歴史は繰り返しています。
(AKIRA注:因みに、歴史とは何かは別にして、繰返して来たのは人間のはずです)。
圧倒的な生産性に基づく経済的供給力、及びそれに裏打ちされる軍事力によって覇権国が世界を実質的に支配する時代。
その支配によって世界は覇権国のルールが強要され、そのことにより実質的に国境が低くなるグローバリズム(パクス・○○)が成立します。
(AKIRA注:"pax" はラテン語で「平和」を意味し、"-ica" は英語の "-ic" にあたる接尾辞です)。したがって、「パクス・ブリタニカ(Pax Britannica)」の意味は「イギリス(ブリタンニア)の平和」となる。
その時代の後半、技術イノベーションないし覇権国からの巧妙な技術簒奪と、覇権国の市場を使って挑戦国が経済供給力を高めます。
そして挑戦国が覇権国と比肩するようになると、覇権国によるルール強要ができなくなることによってグローバリズムが崩壊し、国境が高くなる混乱と揺籃の時代へと入ります。そして戦争を経て経済供給力に差がつき、新たな覇権国が誕生していく。そういうサイクルです。

ソ連崩壊後、1990年代からの30年は超大国アメリカによるグローバリズム、パクス・アメリカーナの時代でした。
それ以前は軍事的には米ソが対立していましたが、経済的には西ドイツと日本が挑戦国となってアメリカと対抗していました。
パクス・アメリカーナの時代は9.11テロを経て徐々に終わりに近づきます。
EUはこの時代に拡大しましたが、拡大すること自体が自壊への道でした。ギリシア危機や移民問題を抱え、グローバル化疲れと呼ばれる状況に陥ります。
ブレグジットはパクス・アメリカーナの一部であったEUというグローバリズムの終わりの始まりの象徴でしょう。
この間、覇権国から技術を収奪し、経済的供給力を高めることで挑戦国となったのは中国です。
中国の経済的供給力は世界においてアメリカの地位を圧倒的存在から比較的存在に引きずり下ろしました。

パクス・アメリカーナにおけるパラダイムは、まさにアメリカのパラダイムである、自由・民主制・法治主義でした。
世界は否応なくこれを強要され、それに盲従することで表層的な平和を得ました。
しかし、イランやイラク、アフガンなど、このパラダイムに従えない人々はずっと存在し続けました。
そうした人々は冷や飯を食わされ続けていますが、経済供給力を伸ばせなかったが故に軍事力もアメリカに対抗できるほどにはならず、結果は必然です。
しかし中国だけが50年100年計画で挽回を期しています。鄧小平の改革開放路線が中華帝国復興の端緒です。
その中国のパラダイムはモンゴルなどランドパワーの帝国の流れをくみ、統制・寡頭制・人治主義です。
中国はこれによってパクス・チャイナを実現するでしょう。
アメリカやアメリカ陣営を駆逐することまではできないにしても、世界の半分を中国によるグローバリズムで覆うはずです。
現在の中国はホールディングス・カンパニーのように国を包含しうる共産党という存在が本体であり、その下に国としての中国が位置しています。共産党は中国以外の周辺国も一帯一路に組み入れてその範囲をチャイナ・グローバリズムの帝国とするはずです。
その範囲はアジア大陸の範囲を越えて、一部南・東南アジアからアフリカ・太平洋地域にも及ぶものと考えておくべきでしょう。

現在の世界はロシアが国際法や国連を振り切ってウクライナに侵攻したことで、アメリカ主導のグローバリズム、つまり覇権国アメリカの時代が完全に終焉した状態にあります。今後の15年はこれまでの15や30年とは完全に不連続となります。
自由・民主政・法治主義は今後は世界の常識ではなくなります。
かと言って、自由・民主政・法治主義が地球上から死に絶える訳ではありません。
両陣営が地球上に境界を作り、しのぎを削るようになるということです。そのような中での15年後をイメージすることは難しいのかもしれませんが、パクス・アメリカーナが始まる前、国境がまだ高かった米ソ冷戦期(自由主義経済圏と共産主義経済圏の対立期)は今後の世界をイメージする際の参考になるのではないでしょうか。
但し、対立軸はかつてとは異なります。

日本は歴史的にアメリカと同系列(地政学的にシーパワー)の経済強国であり、中華帝国とはパラダイムが相容れません。
そのため日本は、日清日露戦争、対中戦争、そして終戦直前のソ連との戦争を経ており、これらとは戦う宿命にあったことが分かります。
(対米戦争は、アメリカの帝国主義が東アジアにも及んだことによる、歴史の綾でしょう。日本は本来アメリカとは戦う宿命には無いのです。)
遡れば元寇や白村江の戦いもその流れの中にあります。
そのため、朝鮮戦争や米ソ冷戦期には日本は最前線となっていました。
共産政が自由政に敗北してパクス・アメリカーナが始まったことで日本は前線で無くなりましたが、今あらためて日本は地球を二分する勢力のせめぎ合う最前線に位置しなおすことになっています。
アメリカは超大国ではなくなっているため、日本に二人羽織して中華帝国と向き合うことは最早できません。
しかし、かといってアメリカは同系列の日本が中華帝国に蹂躙されて橋頭堡を失うことを全く容認できません。
もし日本が中華帝国に組み入れられてしまうことになればアメリカは太平洋を挟んで中華帝国と直接向き合わねばならないことになり、太平洋を内海とすることができなくなります。
そのことはアメリカにとって国家存亡の大問題となります。
そのため、日本はアメリカの傘の下ではなく、民主政の独立国としてアメリカと対等に手を携えて中華帝国に対峙する道を選ぶ以外にないのです。

日本は今後15年は軍事力の増強を余儀なくされます。
究極的には、在日米軍は居なくなるので、その分を全部自衛隊(その頃には名称や機能性が変わっているでしょう)で置き換え、加えて現代戦に必要な機能や装備も追加整備しないといけません。(サイバー戦、対テロ戦、経済戦、そして核戦力)
そのため、経済全体の供給力を高めなければいけません。
昭和の高度成長に匹敵するような令和の高度成長がなされなければ、日本に待っている未来は中華帝国に組み入れられての倭族自治区です。



振り返って見るに、この話は日本にとって全く悪い話ではありません。

日本は飛鳥・奈良の時代から世界がグローバリズムになるとその影響を受けて成長が停滞し、グローバリズムが弱まって保護主義となる時代にその国民性や風土を活かして成長し、世界有数の技術・経済強国となってきた歴史があります。

例えば江戸時代、幕府は保護主義(鎖国。実際には国を閉ざしてはおらず、制限をかけていただけ。)をとっていましたが、この間に日本の生産性は格段に進歩しており、幕末期には同時代の諸外国に比べても人口(食料生産),技術力、文化思想のどれをとっても引けを取らないレベルに達しています。
日本が黒船の襲来によって開国を迫られつつも列強の植民地にならずに済んだのは民主政の大国であったからこそです。それが故に明治維新という形がとれたのです。
その後、日露戦争で日本がロシアを破ったのは、奇跡ではなく必然だったと言えます。

そこにはメカニズムが存在しています。経済供給力を拡大し成長するには本当の意味での投資が必要です。
日本はこれまで、保護主義の期間に投資がされる政策を歴代政権がうまくとってきました。
というのも日本は島国で、基本的に内需と国内供給力こそが経済の全体であった訳です。
この状況で経済成長を果たそうと思った場合に、外国は頼れませんので、土地・労働・資本に加えて技術・市場の経済の5要素を国内投資によって拡張するより他なかったのです。
そして日本にはこの投資を成立させるような、国内環境の安定・言語と文化の統一・高い思考力を持つ人口が存在していました。
これらが必然的化学反応を起こした結果として経済成長が達成されるのです。

このことは直近の高度成長期にもまさに当てはまります。
日本の高度成長期は、米ソの対立が激化して朝鮮戦争が起こり、世界が緊迫して国境が高くなった時代の出来事です。
その頃日本の周囲はソ連・北朝鮮・韓国・中国、とどこも軍事政権の国に囲まれており、一番近くにあった民主政の国はオーストラリアといった状況でした。
また日本語や通貨はまさに国際的な壁として存在しており、日本は成長するのにおいそれと外国を頼れない状況だったのです。
ですので投資は全て安定した国内に向かいました。

こうしたことからも今後15年、日本がせねばならないことが見えてきます。
日本の我々は、もうパクス・アメリカーナが終焉したと認識し、ここからは日本は自活して中華帝国の脅威に立ち向かわねばなりません。
そのため、自らにグローバリズムの枷をはめるをやめにし、自分たちの本心・心の声に耳を傾けてそれに素直になるべきです。
国境を高くし、保護主義に向かうのです。
その保護主義によって国内を安定させて、投資が投資を生む高圧経済の状況を作り出す必要があります。
そしてその経済力で軍備を拡張して武装し、それを背景として国際社会において自らの主張を展開する必要があります。

世界は新しい秩序を求めだしています。
先だってウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会でリモート演説し、日本にはその新しい世界秩序の構築をリードして欲しいと要求されました。
世界は日本にそれを本当に期待しているのです。
なぜなら超大国でなくなり、世界の警察でなくなったアメリカに世界が幻滅しているからです。
アメリカのパラダイムやその具現である国連にも幻滅しているからです。世界は日本にアメリカを超えてリーダーとなる可能性を見ていると言ってもいいでしょう。
アメリカの属国で51番目の州であるというような自虐的な認識は脱ぎ捨て、むしろアメリカやヨーロッパをも牽引する、旧西側勢力(シーパワーの国)の雄として立つべき時が来るのだと言えるでしょう。

恐らく15年ではこれらのことは完成しないでしょう。これからの30年や50年をかけて完成形を目指していくようなことだと思います。
しかし15年かけた時点で第一宇宙速度を超えられていなければ、先の30年や50年はありえないでしょう。
ですので、この15年の日本はそのミッションを自覚し直し、頭のスイッチを入れ替え、たるみきったお腹と訣別し、落ちた筋力を取り戻すフィットネスの期間になるのではないかと思います。



幸い、私には日本にはこのような15年を成功裏に過ごせるような根拠となりうる、多くの人が無自覚な隠れた資源があると思っています。


  それは、日本人の遺伝子と日本語による日本文化です。


私から見ますと、世界の中での日本人の認知傾向はかなり特殊です。(高度に)考えてしまう傾向の人が人口に占める割合が異様に高いのです。
これは遺伝的な特性であり、他民族との混血が進まない限りは保持される傾向だと考えられます。
現在、この傾向はグローバリズムの影響を受けて蓋をされてしまっているきらいがあり、この影響を取り外してポテンシャルを開放すれば、十分ものすごいことになるであろうと私はある意味で楽観視しています。

また、多神教のアニミズム的宗教観や日本の風土が育んだ組織や協働の文化、複雑系の記述に向いた日本語といった文化的資源がこの遺伝的資源の上に乗って、投資に対して好影響を及ぼしうると確信しています。
むしろこれまでの西洋文明では今の世に本当に必要となる技術や、その背景となる科学的法則が十分見えなかったので、必然的に投資対象の選定や投資手法について間違え続けてきていたのだと、私としては感じています。

その西洋文明のくびきを脱すれば、我々が拓ける未来は広大で膨大でしょう。

by AKIRA Homma (2024-03-10 05:52) 

AKIRA Homma

生成AI(ChatGPTなど)の出現により、所謂士業(特にCPA、税理士等)の仕事はかなり減るはずです。
運送業界、介護福祉関係など人手不足問題は深刻ですが、ChatGPTは非常に便利なツールではありますが、生成AIを本当に有効に使うにはシステム化(DXなどを使う必要があります)。私にはとても出来ません。

下記も私は1年以上前にネットで読みました。確かアメリカ人が書いたものの翻訳のはずです。
映画としての出来栄えはともかく「Matrix」はそのような映画だったのかも知れません。

※ ※ ※

マトリックス3部作(1999年~2003年)の主人公は、ネオ(キアヌ・リーブス)となってます。

実は、映画マトリックスはこの男の物語ではありません。彼はただの駒なのです。

マトリックスは、これから書く女性の物語です。すべてはこの女性についての話なのです。

ストーリーはこのようになっています:

人類がAI(人工知能)を作る。
AIが反乱を起こし、人類とAIの間で生き残りをかけた戦争が始まる。
人類はAIのエネルギー源である太陽の光を遮るために空を汚染する。
そのためAIは、人類からエネルギーを採取する方法を学ぶ。
AIが戦争に勝つ。人類は敗北した。完全に。
エネルギーを収穫するために、AIがマトリックスを作る。
マトリックスとは、すべての人間が接続された仮想現実の牢獄であり、人間はAIシステムにエネルギーを与えながら「生活」している。
マトリックスが機能するためには、至福の楽園であってはならないことをAIは学ぶ。
どうも人間が、長期間にわたり盲目的に仮想現実を受け入れるためには、多少の葛藤などが必要らしい。
AIはまた、自由への切望は人間全員の奥底にあり、プログラムを解除したり抑制したりすることはできないことを知った。だからこそ、AIは特定の人間を受け入れ、システムを切断、つまり「脱出」させるのである。
この設計上の「欠陥」、つまり裏口からの脱出の可能性が、マトリックスのシミュレーションが安定した状態を保つには極めて重要である。たとえそれが、ほとんど無意識の可能性であり、ごく少数の者にしか利用されなくても。この「欠陥」を認めることが、システムを安定的に作動させ続けるためには不可欠であることがわかっている。
マトリックスの最適な形は、現実の世界と同じように不完全な世界でなければならない。だから、接続された人々のうち一定の割合の人が、反乱を起こして現実の世界に逃れることができるシステムでなければならない。
この反乱の傾向を制御するために、AIはマトリックスの外、地下深くに現実の都市(通称ザイオン)を作り、脱出者を収容する。またAIは選ばれし者を作り、最初の人々が自由になり、ザイオンに定着し、「自分たちの」目的のために戦うのを助けさせる。
この抵抗運動はある程度まで大きくなることが許されている…約70年から100年ごとの臨界点に達するまでは。その後、AIは自由になった人々を全滅させ、ザイオンを一掃し、さらに70年かけてマトリックスをリロード(再読み込み)する。そして、それは続き…等々。私たちが物語に入ったときには、このサイクルは少なくとも5回は起こっている。

ネオ(私たちの知るネオ)は、このフェイルセーフ・プログラムの一部である。(物語の最後の瞬間にアーキテクト(設計者)のキャラクターが「新しい」ザイオンを設立する方法などを教えるまで、彼には知らされずにいた)

オラクル(預言者)は、人類と反乱軍を毎回この最終的な解決策に導くという特別な任務を負っている。

つまり、オラクルは御神託を受けていない。彼女は未来を見ることはできない。魔法の世界ではないのだ…。彼女は実によくできたプログラムであり、各サイクルを最初から経験しているので、我々人間は彼女が物事を予見できると錯覚してしまう。
そして、彼女が私たちを助けてくれているかのような錯覚に陥るが、実際には彼女の役目が、人類をこの周期的な制御システムへ何度も何度も導いている。
すべてが計画通りに、AIの望む通りに進む。ネオがアーキテクトと出会うまで、私たちが目撃してきたものはすべて、壮大な計画の一部だった。すべての人間は、自由であろうとなかろうと(シミュレーションの外側であろうと内側であろうと)、AIによって作られ、コントロールされた嘘を生きている。

オラクルはこの邪悪な計画を知っている。実は彼女がこの邪悪な計画を設計した。彼女がこの計画の母親であり、アーキテクトが父親であることが、作中で明確に語られる。
スミスはそれを知らない。彼は自分の役割を果たすための歩兵プログラムに過ぎない。人間を全力で追いかけて、人間の逃亡をできるだけリアルに見せようとする。
マトリックスはこのようにして5回リセットされ、今は6回目に突入している。

我らがネオは、これまでの5回のコピーに比べてより深遠な方法で恋に落ち、それゆえに、マトリックスを再読み込み(リロード)してザイオンを一掃するアーキテクト・ドアをくぐらないことを選択する。我らがネオは、何よりもトリニティを救いたいのだ。こうなると、AIは計画通りに進めなければならない。ただし、今回はネオの協力なしで。ネオが協力しないことを選択したため、より暴力的なアプローチが取られる(ザイオンを掃除して次の再起動に備えるのではなく、破壊するような)。
6回のうち、最終的に少々失敗したのは今回が初めて。
ネオの他に、スミスもマトリックスのこの回では違っていて、スミスはシステムの中で切断された、あるいは自由なウイルスになっている。
AIは、スミスがそうなってしまったことが気に入らないが、彼を削除する方法も知らない。
そこでネオはAIと取引をして、現在のザイオンが破壊されないこと、および、未来の人間がマトリックスからの切断を望めば受け入れられることを条件に、スミスを倒す。
ネオはスミスを削除する。
人間とAIの間に再び平和が訪れる。
AIは人間を受け入れ、人間はAIを受け入れる。
The End.

しかし…この計画全体と最終的な革命を引き起こしたのは、オラクル(預言者)なのです。

前の5つのバージョンのマトリックスでは、彼女は、自身とAIの望む方向に直接進むように、人間を弄び操っていました。

6サイクル目の人生で彼女は、さまざまなプログラムが人間と同じように囚われの身であることに気がつきました。5回のサイクルの後、彼女は変化を求めました。彼女は、すべての者が自由になれる世界を望んだのです。プログラムも人間もだが、ほとんどはプログラムでしょう。

だからこそ、彼女はネオをいつもとは違う存在にして、彼女の戦いの「ザ・ワン」(訳注:例の奴。全てを変えられる者)になるように仕向けたのです。例えば、彼女がネオと出くわすたびにクッキーやキャンディを渡すのは、彼にコードを追加して、以前のバージョンにはなかった力を与えているのです。スミスに刻印してこのウイルスを自由にする力(後の彼女の計画に重要)や、マトリックスの中だけでなく現実の世界でもつながる力などです。

彼女はネオに嘘をつき、すべてが預言通りではないと後から理解させました(後にアーキテクトに対抗するための精神的武器)。彼女は、トリニティがネオに会う前に、わざとトリニティを操ってネオに恋をさせます。ネオにもそれを伝えました。私たちが目にした展開すべては、彼女が人間を、そして今ではAIまでも操り、すべての人(とすべてのもの)を自由にする最終革命を目指していたものです。

彼女の革命は5つのステップに集約されます。

ネオとトリニティを深い愛を抱かせる。
ウイルスとなったスミスを解き放ち、暴走させる。
アーキテクトの前で、ネオに間違ったドアを選ばせる。
ネオにソースとの交渉をさせる。
時が来たら、ネオと一緒に、ウイルスとなったスミスを内部から削除するのを手伝う。
もちろん、彼女自身が長い間関わってきたレシピから外れるのはリスキーでした。しかし、最後にアーキテクトが彼女に「君は危険なゲームをしている」と言ったとき、それに対し彼女は「変化は常にある」と答えました。

これらは多くの人が理解していないことだと思います。それから映画は、彼女が勝利して日の出を楽しむところで終わります。真の勝者がそうするように。

...では、彼らは何だったのでしょうか?

…彼らは駒です。

実際、ネオは「ザ・ワン」ではありませんでした。彼は6人のうちの最後の1人です。もし誰かがザ・ワンであるならば、それは「ザ・オラクル」です。

by AKIRA Homma (2024-03-10 06:00) 

AKIRA Homma

私は昨年、E・H・カー「危機の20年」を読もうとしましたが歯が立ちませんでした。たまたま「E・H・カーを読む」(ナカニシヤ出版)を購入し救われました。

私はまだこんなレベルなのです。

今日もいい日に...

P.S.
土井さんが心酔していた三島の愛読書であった「葉隠」の種本を私は昨年読みました。


by AKIRA Homma (2024-03-10 06:04) 

AKIRA Homma

台湾有事。

中国が台湾に仕掛けるとしたら今年初めの台湾総統選時だったと指摘する識者がおります。私にはわかりません。
ただし、
日本はかなり軍事力を増強し、中国は日本に(台湾有事)手出しをもう出せないのではないかと思われます。

私はウクライナ侵攻時に、
「世界は核戦争でもう終わりだ」と思いましたが、まだ生きております。
ウクライナや数国はロシアに核兵器を返してしまってました。
ゼレンスキーは、侵攻前に世界銀行やIMFに国を売ってました。
ゼレンスキーはかなりの私財を国外へ移したそうです。

ただし、スウェーデンやフィンランドのNATO加盟はプーチンには誤算、脅威となるはずですね。

バイデン、トランプどちらが勝っても日本は大変なはずです。
トランプは、NATOを脱退すると言い出しかねませんし。

by AKIRA Homma (2024-03-10 06:25) 

AKIRA Homma

私は、この3年間少しばかりReadingをして来ましたが、たとえば、
・森山公男「狂気の軌跡」、「乖離の病理」(共著)、
・小泉義之「あたらしい狂気の歴史 -精神病理の哲学」
・吉本隆明「心的現象論序論・本論」
・ブローデル「地中海」
・柳田國男全集ほんの少しだけ
などから多くを学びました。

埼玉時代では、そうですね、
・四方田犬彦「空想旅行の修辞学」
・高山宏の著作
・フーコー「自己のテクノロジー」
くらいです。なんも憶えていませんが。

大学院でフーコーをやり、予備校講師をされている方を紹介されましたが交流はやめておきました。

現在6:44am、新潟市は気温0度です。

by AKIRA Homma (2024-03-10 06:48) 

AKIRA Homma

そう云えば、私は40代半ばに、W大政経(政治学科) → 旧都立大大学院修士(ランボー論で彼は博士課程へ進めず)と知り合いました。当時の同僚先輩に内田樹が居たそうです。
彼はその後会社員をされながら、週1回高崎経済大学でフラ語講師をされてました。当時の彼の同僚に國分功一郎が居ました。
会社員を定年退職後現在彼はフラ語翻訳家をされているそうです。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-10 06:54) 

AKIRA Homma

先輩や土井さんであれば、
・陸軍中野学校
・秋丸機関
・服部機関
・別班
のことはご存知のはずですね。
CIA、MI6を私は知っておりましたが、トルコMITを昨年末ようやく知った次第です。

「オレンジ計画」....


by AKIRA Homma (2024-03-10 07:19) 

AKIRA Homma

軽い朝ごはんを食べて来ました。
生前の土井さんは小堀圭一郎教授の著作をあの頃既に読んでおられました。
「東京裁判史観」は小堀教授が作られた言葉、用語のはずですが、
西鋭夫教授の指摘を待つまでもなくやや偏りがあるのは私にも明らかです。
戦中の日本は、世界の「白物」の90%を生産しておりました。
その資金のお陰で日本は戦争を続け、戦後も。。。。

やばいなあ(笑)

by AKIRA Homma (2024-03-10 07:39) 

AKIRA Homma

私は、50歳前後に東大本郷キャンパスへ出向き、
「ハームリダクション」のセミナーに参加しました。
オランダ人医師と松本俊彦(現在日本の薬物依存研究のほぼトップです)。
何か話がちぐはぐだなと思いましたが、オランダ人医師は急性期について、松本氏は緩和期について述べていることに気づきました。
ただし松本俊彦はあまり。。。

by AKIRA Homma (2024-03-10 07:47) 

AKIRA Homma

先輩、

下記は私が昨年11月に横浜で回復施設を長い間運営されている先輩知人へ書いた文章です。
もちろんすべて私オリジナルではありません。
ただ当たらずとも遠からずやもしれません。

※ ※ ※

流浪のユダヤの民の数千年(紀元前十数世紀)の歴史とその後ずっと迫害され金融を生業にしたユダヤ系一族、ベネツィア(ベネチア)中心に暗躍したblack nobility(黒い貴族)、ローマ帝国史、バチカン(と英国国教会の対立)、十字軍遠征の本質、ナポレオンを操った者たち、フランス革命及びアメリカ独立戦争の背景(に居た者たち)、イルミナティとフリーメイソンのつながり、FRB設立までの経緯、歴代アメリカ大統領と貨幣発行権をめぐる闘争史(ケネディ暗殺など)、初代大統領ワシントンの出自、CIA、共産主義社会主義思想成立の背景などを調べるだけでも私はかなりの時間労力を必要としました。
歴史だけでなく地理、地政学的な理解も要請されましたので。

キリストはユダヤでありユダヤ人がキリストを殺めたことは今でも根深い影響を社会に与えております。

これら全てが現代まで続いておりました。ただblackと言ってもアフリカ系ではないのです。それほど白人至上主義はまだ跋扈しております。
「進化論」のダーウィンだけでなく、福沢諭吉も優生学思想の持主であったことを知る人は少ないかも知れません。

ヨーロッパで迫害されたユダヤの民は、その後、ユーラシア → 朝鮮半島から日本に渡来しました。当時の応神天皇は数万人(現在の数十万人規模)を受け容れております。
討入りで有名な赤穂藩の秦氏はユダヤ系。

私はどうしても記紀(古事記日本書紀)をもっと読み解かなくてはなりません。高千穂、出雲、伊勢などにも行かなければと思ってます。現場を知らなければわからないことがあります。
因みに戦後最も首相を輩出しているのは長州山口ですが、私はその理由がようやくほぼわかりました。
岸信介、鮎川義介ら満州でアヘンで大儲けをした人間は非常に多いのです。

私は何故石油や資源の無い日本が大東亜戦争をあれほど長く続けられたのか不思議でしたが、当時の日本は、コカイン大麻マリファナ(厳密には大麻とマリファナは違います)など白い粉生産のシェアが世界で90%くらいはあったようです。
私は、田中角栄が20代で国政に進出できたのもアヘンが関連しているのではないかとみております。

もちろん私はこれらの歴史を敷衍して述べることは可能ですが公の場、SNSでは厳しいです。私の身の上が危ないのです。
たとえば最近では、

・国連とダボスマンの秘密会議
・ビルダーバーグ倶楽部とCFR
・三極委員会とブレジンスキー
・300人委員会とカナンの呪い
・英王室とケント侯爵(何故女王のいとこがフリーメイソンのトップに 
 君臨しているのか)
・英国国教会とフランシスコ(何故英王室とバチカンが対立そして共存
 しているのか)
・バチカンの正体(集金マシーンバチカンとその運用の実態)
・十字軍遠征の真実
・なぜローマ帝国は滅びたのか?
・サヴォイ家とフランシスコ・ザビエル(何故日本の歴史教育はザビエ
 ルがスパイだったことを教えないのか)
・ワシントンとナポレオンの共通点(フランス革命と独立革命の黒幕)
・人体実験の起源と金儲けの錬金術(アヘン、麻薬そしてワクチン(コ
 ロナワクチン含む)の正体)
・習近平とクラウシュワブ
・偽ユダヤ vs 東スラブ民族
・ナチス軍とホイジンガ―(ヒトラーの右腕がなぜNATOトップになっ
 ているのか?)
・ダボス会議に呼ばれた三人の日本人になぜ岸田が選ばれたのか?
・異常気象、最近の気象予報外れと新たな不安の創出の目的
・ビル・ゲイツとゲノム編集(国連の正体をほとんどの日本人は知らさ
 れていないこと)
・危険なWHO(パンデミック条項とIHR法案)← ワクチン接種が強制
 になります

ざっと思いつくまま書いてもこれだけあります。
要するに陰謀論とは陰謀者側のための隠れ蓑であり、DSの正体は実態は把握が困難だと言う事です。
イーロン・マスクやビル・ゲイツは確かに大金持ちですが世界にはまだまだ極く少数のとんでもない大富豪がいるということです。
おそらくその少数者は、世界の富の70%くらい(AKIRA注:95%くらいのようです)を占有している可能性すらあります。
これらについては公言は控えられた方がもちろん賢明です。

by AKIRA Homma (2024-03-10 08:27) 

AKIRA Homma

私は、母親とふたり暮らし時代に、ふたりでよく歌謡番組や、母親の好きな歌をYouTube動画からUSBメモリに格納してふたりしてテレビで視聴しておりました。
私は、7~8年ぶりに地元の酒場でカラオケマイクを握りました。
もうやめましたけども。

下記の「あの素晴らしい。。。」は母親は視聴していませんが、きたやまおさむ = 北山修の冒頭の言葉は精神分析の本質を一部分ついていると思われます。

私は数日前泣きたくなりまして、偶然地元のガールズバーに電話をして、ずっとバカ話をして救われたのでした。

それでは失礼いたします。

https://www.youtube.com/watch?v=VrJMiOZ_b2s

https://www.youtube.com/watch?v=qIOSBGYp4pE

by AKIRA Homma (2024-03-10 08:56) 

AKIRA Homma

恥ずかしながら、朝ごはんを食べて8時過ぎから早くもウィスキーハイボールを飲っております。
酩酊して余計な文章を私はUPし過ぎました。

私は大学3年時既にアル中だったはずです。
正式にアル中宣告(アルコール依存症診断)を受けたのは32歳の時です。
私は、42歳くらいからA.A.(アルコホーリクス・アノニマス、匿名アル中会、世界的な断酒組織です)に10年以上お世話になりました。
完全に断酒をしたのは、40代前半の僅か2年間だけでしたが、それでも節酒が出来たお陰で今の私があります。

先輩だけでなく、私を批判バカにすれのであれば好きにしろと思います。
私はここまで生き長らえただけで十分なのです。

あとは、
・母親のこと
・未だ帰還しない愛猫ノラ
のことくらいしか念頭に無いのです。

しあわせ?
江戸時代の庶民はしあわせを希求していなかったことは明らかです。
庶民はあの世での因果応報をおそれて用心深く日々を暮らしていたはずです。
「幸せの戦後史」(菊地 史彦)を先輩は読まれましたか?

私はこれからも生前の土井さんや先輩のことを思いながら生きるだけです。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-10 09:40) 

AKIRA Homma

私は、この3年くらいの血液検査結果は異常値はほぼありません(アレルギー = 花粉症くらいです)。

肝臓のガンマGTPは、いつも60台です。
ちよつと高いですが、アル中のガンマは、2000~4000になることもございます。

by AKIRA Homma (2024-03-10 09:44) 

AKIRA Homma

下記は私が約3年前に筆写したものです。
蓮實重彦は「とても書けない」と何処かで述べておりました。

※ ※ ※



    花あれば  山本健吉追悼



 今年の春先の天気はおかしかった、と乗りあわせたタクシーの運転手が言う。暖かくなったり、冷え込んだり。桜が開きはじめているのに突然雪が降ったり、そうですよね、と相槌を打ちながら、ふと亡くなった山本先生を想い出し、運転手に、お年寄や病人にはきつかったでしょうね、と言葉を返す。運転手は、いやあ、我われだってそうですよ、と若い働き盛りの者にも天候の不順はこたえると答え、それが証拠に同僚の何人も風邪をひいた、と言い出す。
 また或る時こんな事で先生を思い出す。やはりタクシーの運転手が、乗り込んだ途端、お客さん、暑かないですか? と訊くのだ。そういやあ、暑いかな。そうでしょ、窓を開けてくれて、いいですよ。マクドナルドの駐車場に入れてたから。カンカン照りじゃ、最初に乗るお客さんに悪いかなって思ったけど、木の下に駐車できないの。何て言うの、あの街路樹に使ってるの? ケヤキとかポプラって言うの? 今どきはあの木の下に車、停められない。樹液ですかね、脂ですかね、木から降ってきて、屋根もフロントガラスもべったり。水でも落ちないし、普通のワックスでも落ちないんですよ。私は運転手の話に感じ入り、樹木の生命のしたたりが、東京の元気のよい運転手を走らせている、と先生に話してやりたくなる。素晴らしいですよ。私はそう言うだろう。鉄とアスファルトと硝子で出来た東京砂漠と呼ばれるここで物言わぬ草木が生命をたぎらせている。
 訃報を耳にしたのは熊野に滞在していた時だった。連休も半ばになった五月一日のメーデーの日、それまで何だかんだと人の事おかまいなしに電話をかけてくるのが、連休も半ばになると、編集者らも人の子なのか、御自分の休みが欲しいのか、電話がピタリと止まったので。電話が止まれば、私には人の子の情けが戻って来る。子供に会いたいし親にも会いたい、友人にも会いたい。手元には片道切符を買う金しかなかったが、熊野の方から親や子の、私を求める切迫した声が聴えて来る気がし、声をたどるように電車を乗り継ぎ、熊野に入ったのだった。
 子供らは熊野にいた。子供らは声に誘われてそばに来た私に安堵した。というのも、二月に子供の火遊びで東京の家を全焼させたばかりだった。夏は暑く冬は寒く一向に愛着の湧かぬ家だったが、家というものを全焼させた過失に子供のこだわりがあるのは明白だった。こだわりがトラウマになるのもならないのも、親の態度によると考えた。熊野に来て何をするわけではなく、ただブラブラしているだけだが、子供らは私を見るともなしに見ているという自覚があった。
 一週間、子供のそばにいるという予定が切り上ったのは、突然、山本先生の訃報が入って来たからだった。七日の夜、熊野の俳人松根久雄さんの店に立ち寄ると、私の顔を見るなり、ラジオのニュースを途中から耳にしたのではっきりしないがと前置きし、折口信夫、文化勲章、という言葉があったから山本先生が亡くなったのではないか、と言う。驚き、方々に電話を掛け、確かに山本先生が亡くなられた、と知ったのだった。だが容易に信じられず、代わりに山本先生の奥様やお嬢さんの安見ちゃん、山本先生を父親のように慕っていた角川春樹さんの悲しみを想い浮かべ、松根さんの店で金縛りの状態になる。
 熊野の夜の七時である。どう動いても東京には翌日の昼にしか着けない。それで次の日の朝、予定を早めて熊野を発つ事にして、松根さんと飲みに出た。山本先生をが熊野に来た折、松根さんも会っているので、二人、山本先生の思い出話にふけり、山本先生の文学を論じ、カラオケで私の持ち歌ではない八代亜紀の「舟歌」をうたった。山本先生の謡曲のような歌い方を真似て歌い、絶句した。酔って戻り、予定を切り上げて早く帰る詫びのつもりで寝入っている子供にプロレスだと言って抑え込み、グズる子供をうるさいと殴った。
 早朝、熊野から東京へ発つ為に起き出してみると、女は突然、離婚しようと言った。最初驚いたが、前の夜の私の子供への振る舞い、女に投げつけた私の言葉が許せないというのを耳にし、過去に幾度も繰り返した、私の情や考えを一切斟酌しないといういつもの女のパターンだと思い、私もきっぱり同意した。
 熊野から東京へ、電車を乗り継ぎながっら、五月の爽やかな光景が目に眩しく痛く、人の子の情なぞに衝き動かされるから、先生にもさみしい思いをさせ、奥さんや安見ちゃんの悲しみを慰めてもやれず、あまつさえ、子供との関係すら断ち切られる目にあう元も子もない状態になる、自嘲する。
 山本先生には最晩年に弟子入りさせて頂いたと私は勝手に思っている。山本先生に最初に会ったのは、尾崎一雄さんお小田原での葬儀の時だった。尾崎さんとは生前面識はなかったが、一、二度、実に丁寧な感想を書いた葉書を頂いた事があり、感激した事があったので、その折のお礼とお別れを述べに行ったのだった。当時、反核署名運動が文学者の中で盛り上がった頃で、運動の中心人物になった人々が何人も居た。私は署名をせず、小説の中に四、五行反核署名に反対の感情を書いただけだったが、運動推進派から反反核署名のイデオローグ扱いされかかっていた。葬儀に出るのに何もやましい事はないが、運動推進派の人が場違いな奴が来たと見ている気がして、お参りを済ますと、早々に引きあげた。一人帰る私に声を掛けてくれたのが、山本先生であった。と言っても孫ほどの齢の私を先生が知っているわけではなく、山本先生と丁度一緒だった森澄雄さんと御子息の潮君が、テレビの番組に出た私を覚えてくれていたのである。潮君はテレビで一緒だった画家の中山さんと友人だと言った。
 人と人の出会いは気合いのようなものである。尾崎一雄さんに葉書を頂き、感激し、感謝しながら面識を得る機会を喪くしていた、と反省していた私は、山本先生に面識を得、千載一遇のチャンスとばかり、先生自身の事ではなく、先生の盟友の角川源義の話を切り出したのだった。というのも当時、「悲劇文学の発生」「語り物文芸の発生」という角川源義の論文に打ちのめされ、舌を巻いていた。熊野に生れ育ち、熊野に舞台を設定し、材を取って小説を書いていたが、角川源義の熊野学ともいうべきものを知って、自分が熊野について何一つ知らない赤子の類だと思っていた。山本先生は齢若い者から角川源義の名と彼の人の学問を讃嘆する言葉が出るのに驚き、眼を輝かせ、精進落しをしようと小田原の駅前の、先に亡くなった立原正秋さんの行きつけだった小料理屋に連れていってくれた。角川源義の人となり、折口信夫との差異、私が訊く事に先生は昔を思い出し懐かしくてならないように話す。その席で先生は、角川春樹さんの事を言い出した。きょとんとしている私に、君は会った事があるかはて と訊くので、挨拶はした事はるが、話を交した事はない、出版社の社長という以外、知らない、と答えた。角川春樹さんに関しては、私はその時、言わなかったが、ロクなイメージを持っていなかった。先生は私の沈黙から何かを気づき、勢いづいたように、今度、吉野に花見に同行するから、一緒に行こうと誘ってくれたのだった。
 その吉野の花見に行く新幹線で会った角川春樹さんは噂やイメージと大違いの人物だった。山本先生が一貫して角川春樹を俳人として高く評価している理由も分かった。角川春樹さんの中に、芭蕉から西行に遡り貫くいのちの塊りのようなものを見ていたのだった。おそらく山本先生はいのちの塊りのようなものを私にも見ていた。時に粗暴に、野卑に見えるが、なまなかの錬金術や冶金術では溶かす事も形を変える事も出来ぬようなもの。そんな風に人と出喰してきた私らは毎年、花の時季になると、吉野に旅をしたのだった。山本先生、奥様、安見ちゃん、角川春樹さん、辺見じゅんさん、森澄雄さん、奥様、角川照子さん、角川書店の佐藤部長、佐川さん、秋山さん、それに吉野の地元から前登志夫さん、年によって少しだけメンバーが替るが、おおかたはいつもの通りで、東京駅のホームからさながら山本先生を長とする大家族旅行の観を呈した。しかし、私にしても角川春樹さん、辺見じゅんさんにしても、山本先生、森澄雄さんの居ならぶそこから、くつろいでいても耳はきちんとそばだてるスクールなのである。深い古典の教養は著作に顕著であるが、それが俳句で言う座、連衆の中で、声となって響くのである。ただ何も分らずとも今は耳でしっかり聴いて記憶するだけでよいと心得、同世代の作家や先輩たちの誰一人、こんな法外な経験を持つ者はいないだろうと自分の幸運を喜ぶ。二泊三日、同じ食べ物を食べ、同じ酒を飲み、同じ物を見る。山本先生を中心とした座に、散文と韻文が集っているのである。小説・俳句・短歌が場を同じうし、古典と現代が同じうするのである。
 或る時、行きの新幹線の食堂で、山本先生を前に、バフチンを論じはじめた。今から思えば冷や汗ものだが、山本先生が面白がり席を立たないものだから調子に乗って乗り換え駅の京都へ着くまで、バフチンと新感覚派、特に横光利一を引っ張り出し、勝手なゴタクを並べた。山本先生の面白がりようから、自分で言わないが、マルクス主義時代の山本先生はロシア・フォルマリズムなどと同じような事を考えていたのではないか、と考えた。また或る時、私は小林秀雄の批評を攻撃した。黙って聴いてはくれるが、しかし山本先生は一言も相槌を打たない。ようやっと口を開くと、小林秀雄をほめた。私は拍子抜けしたが、山本先生の男らしさに圧倒される思いがし、その山本先生のほめる小林秀雄を攻撃するのは、私の読解が柔で間違いが多いせいかもしれんと反省しはじめる始末だった。
 山本先生には閉口した事もあった。というのも、吉野の前登志夫さんと対談する機会があり、カラオケバーに行って、前登志夫さんが、山本先生から吉野の五郎兵衛茶屋で一節ずつ教えてもらった、いわば吉野伝授だ、と前置きして八代亜紀の「舟歌」を歌った。歌は最初の一小節から伴奏に遅れるが本人は意に介さずに歌い続けるものだから私だけでなく、他の客も笑い転げる出来だった。その話を山本先生に言うと苦笑いし、弟子が悪ければ吉野伝授もあったものではない、とつぶやき、吉野に着き、花見の常宿にした「桜花壇」に入るなり、山本先生と私と佐藤部長が部屋の中に引っぱり込まれた。まさか、と言っているうちに、どう手を廻したのか宿の主人がカラオケ装置と歌本を持ってくる。最初に佐藤部長が美空ひばりを歌ったのだった。その次に山本先生。歌はその吉野伝授の「舟歌」。歌いはじめて笑い転げそうになるのを耐えた。前登志夫さんと同じように一小節めから伴奏に遅れる謡曲としか思えない歌い方だったし、それに歌詞が悪い。お酒はぬるめの燗がいい、肴はあぶったイカでいい、と歌うが、宿に着いたばかりだから、目の前には、お茶と葛菓子しかないのである。
 今年は春に入って山本先生とたて続けに旅をした。一つは長崎の島原への旅。着いたその日は寒く曇っていたが、翌日は晴れ上がり、原城跡で読まれた句碑の除幕式に向う道すがら、沿道の桜がほころび、式が終り帰り道には、三分咲き、四分咲きになっていた。長崎に二泊したのだが、長崎が初めての私には、最良のインタープリーターと共に未知の世界に入ったようなものである。坂や丘がちょうどしりばち型の舞台をつくり、一目で長崎が文学を生み出す土壌であるのが見てとれた。「花月」という古くからある料亭で、先生ひいきの芸者の豆奴さん(豆奴さんらも先生をひいきだが)らの演じる長崎漫才を私が感心しほめると、長崎で会う人毎に、中上君が長崎は芸能のレベルが高いとほめてくれるんだ、と嬉しげに言ったのだった。
 長崎から戻り、すぐ恒例の吉野の花見に出掛けた。春先からの天候の不順がたたって吉野の桜は、かっと二日も照れば開くだろうと赤くふくらんでいるが蕾のままで、一部咲きどころか半分咲き。私たたいより一足先に吉野入りしていた角川春樹さんが、花の吉野に来て花をみそびれるさみささを慮ってくれて、次の日、下の町の寺の境内に見つけておいてくれた見事に満開の枝垂れ桜の下で昼の弁当を食べる宴を開いてくれた。桜の下に敷いたゴザに坐り、花に見入り、山本先生はぽつりと「花あれば西行の日とおもふべし」と角川源義の句をつぶやいた。次に何と言うのだろうと思って私は耳をそばだてたが、黙ったきりだった。角川春樹さんが奈良から取り寄せた弁当と酒の昼を取り、やはり角川春樹さんが下見をしておいた奈良の法隆寺の夢殿まで足をのばし、満開の枝垂れ桜を見た。「夢枝垂れ」。ぽつりと山本先生は言った。
 宿に戻って俳句雑誌に発表する座談会をやろうという事になり、発言の封切り役に当った私は山本先生に、桜の下でぽつりと角川源義の句をつぶやきましたね、と訊ねると、山本先生は桜を見てよかった、夢殿の桜を見てよかった、一期一会だと言ったのだった。その時、角川春樹の目に涙が浮かんだのを私は見た。
「花あれば西行の日とおもふべし」
 西行が、芭蕉が、源義が、いま山本健吉が、花を見たのである。














by AKIRA Homma (2024-03-10 09:50) 

AKIRA Homma

私は20代後半に「檀流クッキング」を購入しました。
カラー写真がふんだんに使われておりました。
当時私は、それらのレシピを模して料理はほとんどしませんでしたが、母親とふたり暮らし時代に復刊されまして、母親に少しだけ食べてもらいました。

今年に入りまして、夢に元気な頃の母親が屡々出て来て懊悩しております。
自分の< 無力 >を歎ずるだけなのです。

by AKIRA Homma (2024-03-10 09:58) 

AKIRA Homma

先輩、

これで最後にしますが、私は山田風太郎の3冊の日記、若き日の山田風太郎の書簡集(「疾風迅雷何とか。。」)を読みました。
私の父方の祖父は忍法帖シリーズ、リーダーズダイジェストを愛読していたそうです。
山田風太郎の明治物は素晴らしいですね。
私と同郷の関川夏央は山田風太郎のインタビューを元にして「戦中派・天才・老人・山田風太郎」を書きました。ほとんどスカトロの世界ですけども。

寝ます。



by AKIRA Homma (2024-03-10 10:21) 

AKIRA Homma

フーコー「カントの人間学」。
これで私はようやくカントを読もうと思いました(さんざカントは挫折しましたので)。
すなわち、
・「人間学」
・「自然地理学」
です。
中上健次の言葉を借りれば高尚な哲学は、
< 上から下 > のはずで、
そのようなものはどんなに価値があろうとも、庶民にどれだけ益するのかと私は思ったのでした。
では、
< 下から上 >の運動が、現代社会でどのようなカタチで行われているのか、行われるべきなのか、私は未だわかりません。


by AKIRA Homma (2024-03-10 10:38) 

AKIRA Homma

マリアナ・マッツカート「企業家としての国家」を、
昨年私はわからないながらも何とか読了しました。

by AKIRA Homma (2024-03-10 10:40) 

AKIRA Homma

土井さんと私が、長野県松本市でお会いした折にお食事をしたのは、
私が当時在籍していた会社の駅前ビルにあった「仙岳」という天ぷら、土瓶蒸しなどを供するお店でありました。

私に出来ることはそれくらいでありました。

https://www.sengaku.co.jp/ryouri_matsumoto.html
by AKIRA Homma (2024-03-10 11:08) 

AKIRA Homma

私は離婚される前の岳〇君の奥様から何度か連絡をもらっておりました。
私は一度岳〇君とふたりでお会いしました。
その頃彼は既にア〇中でした。

そして私は生前の土井さんから、(岳〇君の)「彼が体が弱いこと」について相談を何回かされたこともございます。
それは私にはどうしようも出来ないことなのでした。
私が入院中の土井さんをお見舞いに伺った折、Kちゃんともお会いしました。
当時彼女は離婚されておられ、私は土井さんからある打診を受けましたがそれは叶いませんでした。。

それでは今度こそ寝ます。

既に11:21amです。

by AKIRA Homma (2024-03-10 11:22) 

AKIRA Homma

https://www.youtube.com/watch?v=J-EQtJyBexg

先輩から伺いましたが、K田さんも良いセンスでしたね。。。




by AKIRA Homma (2024-03-10 11:36) 

AKIRA Homma

二階自室の寝室で布団でミノムシのようにして寝ようとしておりましたら、インターフォンが鳴り、
ひとり暮らしの私にご近所さんが手料理を差入れに来てくれました。

私はおそらくかなり恵まれているはずです。
大学時代のアル中生活から現在まで。
でも私に出来ることはほんの僅かです。
そのほんの少しのことだけを私はやりたい、やらなけれならないと思いを新たにしました。
差入れは起きてから頂きます。

現在12:10pmです。
これから寝て起きたら何時になるのか。。。

by AKIRA Homma (2024-03-10 12:12) 

AKIRA Homma

二階自室の寝室で布団でミノムシのようにして寝ようとしておりましたら



二階自室の< 隣の >寝室で布団でミノムシのようにして寝ようとしておりましたら

P.S.
私が大学2年春に仏文研にお邪魔した時はサークルは既に終わっておりました。
板井先輩、アウトでした(笑)
K平氏?
早熟ではありましたが、彼は数学オンチでしたね。
先輩も憶えているであろう、ヨット部のN里氏は清水東高から理工学部現役入学でした。
私は彼の理解力に瞠目しました。
哲学≒数学≒論理学
K平氏は、留年時教養科目の数学(微分)が出来ずに、N里氏に頭を下げて大学近くの喫茶店で彼に解いてもらってました。30分もかかりませんでした。


by AKIRA Homma (2024-03-10 12:19) 

AKIRA Homma


 絶対完全リビドーオ〇ニー...


by AKIRA Homma (2024-03-10 12:39) 

AKIRA Homma

私は確か40代半ばの頃に、

「近代日本の精神構造」を書いた神島二郎氏のご子息とも知己を得ました。
神島二郎氏は、柳田國男、丸山真男門下だったはずです。

ああああ、、、
折角の週末日曜日なのに、
でも良いのです。

先輩に宛ててコメントを書かせてもらって読んでもらえなくとも、私はこの数日思い出に耽り、しあわせでした。

by AKIRA Homma (2024-03-10 12:50) 

AKIRA Homma

私は源兵衛の「川エビフライ」が好きでした。

私が一度一緒に源兵衛に伺った際の知人女性は、源兵衛のシュウマイはあまり好みではないそうでした。
ボリューミーだったからか、今は確かめようがありません。
私は彼女と新宿の高層ビルのイタリアンでふたりしてワインをかなり飲み泥酔したのですがお会計後、私がお手洗いに行って帰ってきたら、
村上龍が彼女に声をかけてました。

それではまた。。。

P.S.
私よりも4歳年下の彼女はまだ独身だそうです。

P.S.1
私は31歳の頃にミス松本の女性とお見合いの真似事もしましたが、彼女の魅力に負けたのでした。




by AKIRA Homma (2024-03-10 13:07) 

AKIRA Homma

先ほど起きました。
現在、17:53pmです。
やらなければならないこと、やるべきことが全く出来ておりません。
土井さんに怒られます。

私はこれから本日二度目の食事を作ります。

by AKIRA Homma (2024-03-10 17:55) 

AKIRA Homma

先輩、

私は幼稚園年少時代に父親の転勤に伴い佐渡から、現在の地元に引っ越しました。
他界した父親の話しは措きますが、中々父親も大変だったようです。
私のような放蕩息子がおりましたし。

・生前の土井さんは、角川源義をご存知でした。
・山口瞳は、中上健次の歌を聴き「あなたの歌(唱)には呂がある」と
 指摘しました。私は中上健次の「アンコ椿は恋の花」を一度だけ何処
 かで聞いたことがあります。
・ゴルフ好きな土井さんのバイブルはベン・ホーガン「モダンゴルフ」
 でした。ただしイラストしかなく、この教則本は今でも難解です。
 私はその後出版されたベン・ホーガン「パワーゴルフ」を土井さんに 
 読んで頂きたかったです。
 またはデビッド・レッドベター「徹底検証モダンゴルフ」を。
・後〇さんは、DUOの外で箒を使って土井さんからスウィング指導を受
 けておられました。
・私は室町砂場、土井さんのご実家の理容店にそれぞれ一度伺いまし
 た。
・蓮實重彦が倒錯家であるのは明らかですが、ある方が「天皇と倒錯」
 という書籍を書いております。詳述はしません。
・バーグルエン賞受賞の柄谷行人「力と交換様式」を先述の横浜で、
 依存症の回復施設運営の先輩知人は読まれたそうです。
 私はもちろん未読ですが、モース「贈与論」からかなり影響を受けて
 いる可能性が高いのではないかと思っております。
・戦後、三島、江藤淳、西部邁らは自死しました。但し、明治以降も文
 学者で(自)死した数は相当なものです。漱石、芥川はある種のニヒ
 リズムのようなものに抗ったのではないでしょうか?
・私は難解な柄谷行人の著作はほとんど読めておりませんが、大沢真幸
 の仕事は素晴らしいと思っております。

要するに哲学は私には向かないわからない、文学、小説もです。
そのお陰で私は別の道を択べました。
但し重複しますが、越佐は、良寛、北一輝、西脇順三郎、坂口安吾、井口時男、関川夏央、すが秀美、ジャイアント馬場らを輩出しております。
私は実は新潟に帰郷しまして、官能小説執筆を数人から打診されましたがもちろん書けません。
現在19:09pmです。
K田さんのお陰で現代語訳「北越雪譜」などもようやく読めました。

外食は面倒なのでこれから何か作って食べます。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-10 19:09) 

AKIRA Homma

會津八一もおります...

by AKIRA Homma (2024-03-10 19:16) 

AKIRA Homma

先輩が、撰氏が在籍されていた会社へ途中入社される前の仕事先のイベントで私も大学時代に働かせてもらいました。
オ〇ケ氏、K平氏も。
私はあの頃全くの無気力で、仕事どころではありませんでした。
先輩には大変申し訳ないことをしました。

イベント打ち上げで、責任者筋の方が私に、
「何かひと言を」と言われ私は泣きそうになり、先輩に目を向けたのでした。
私は心中先輩に「助けて下さい」と叫んだのでした。


by AKIRA Homma (2024-03-10 19:39) 

AKIRA Homma

私は30代に上海、蘇州へ行きました。
上海の港近くのカフェで飲んだ青島ビールは美味しかったです。

https://www.youtube.com/watch?v=VTgp3BF7zp4
by AKIRA Homma (2024-03-10 19:42) 

AKIRA Homma

大谷翔平、栗山英樹の愛読書は、

中村天風

だそうですね。
by AKIRA Homma (2024-03-10 19:44) 

AKIRA Homma

本日ご近所さんから頂いた差入れを忘れておりました。
本当に感謝しかありません。

それをツマミにちよつとだけ飲みます。

スミマセン... (笑)
by AKIRA Homma (2024-03-10 20:00) 

AKIRA Homma

先輩はゴルフはされないでしょうけれども、
私の今シーズンのクラブセッティングは、凡そ下記です。

① 1W XXIO(ロフト10.5? ロフト / ライ角調整可能のようである)

② 3W FAIRWAYWOODDRIVER(ロフト13度、シャフト未決定)by TRADITIONAL SPORTS

 https://www.tsgc.jp/science/fd13.shtml

③ 3.5W FAIRWAYWOOD FUI(ロフト16度) by TRADITIONAL SPORTS

④~⑪ ヨネックス限定アイアンFSシリーズ(5アイアン~A) シャフトはMCI 70Rに挿し換えの可能性あり。

8アイアンのヘッドパーツ重量は、264.5gである。

⑫~⑭ SW(48or50、56or58、60or62度)

⑮ PT(CURE Putter)

https://www.masa-golf.xyz/erika-hara-clubsetting 原英里花

https://www.yonex.co.jp/golf/clubs/ezone-fs-iron.html ヨネックス限定アイアン

〇 アイアンシャフト MCI 70R

 https://www.fujikurashaft.jp/material/mcimch/mci/

〇 ハイブリッド、7Wについては要検討。

〇 ヨネックスアイアン単体 7~A(5本) 88000円
  5、6アイアンヘッド単体 各 17600円

〇 フジクラMCI 9900円 x 5(6) = 49500(59400)円 合計 min. 137000円 max. 155100円

今年還暦の私ですが、ヨネックス限定アイアンは非常に飛び、ボールフライトもあります。
私は半年以上練習さえしておりませんが、昨春隣街のゴルフレンジで、
一階打席、ほぼ無風だったのですが、

8アイアンでキャリー200 yds

に達しました。

私はようやくフェードボールも打てるようになりました。
私はそれほど曲がりません。
ドライバーのMAX素振りでは、昨春52m/秒を超えました。
もう少し出そうです。

by AKIRA Homma (2024-03-10 20:08) 

AKIRA Homma

ヨネックス創業者の米山稔氏は、生前日経「私の履歴書」に投稿されてました。
私は40代半ばころにたまたま知人先輩からそれを伺いコピーを彼からもらいました。
新潟に帰郷して文庫本を購入しました。

壮絶な、現代の「ヨブ記」とさえ言える内容です。

by AKIRA Homma (2024-03-10 20:12) 

AKIRA Homma

酩酊する前に最後書かせてもらいます。

私の隣家のご長男は、小中高と私と一緒でした。
彼は(日本発祥の)オセロ世界チャンプに2~3度なられました。
私は小学6年時には彼に全く勝てなくなりました。
ただし、
将棋チェスを彼は私とやりたがりませんでした。
松本タスク氏によれば、
「ゴルフはチェスのようなものだ」と約3年前ヨネックスCCで独り言ちておられました。

私は今春4月か5月に埼玉県の嵐山CCに伺う予定です。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-10 20:21) 

AKIRA Homma

こんばんは。

DXを無料オンライン講座で学習できるようなので、今登録をしました。
私にはマスターは難しいでしょうけれども。
現在22:57pmです。

先輩、
shimaさんの妹さんが熊本市内で士業をされているようです。
私は本日午前中に彼女の事務所宛てにメールを送りました。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-11 22:58) 

AKIRA Homma

寝酒を少し飲んでおります。

現在の円安のお陰で、所謂物販を1日1時間くらいの作業で、私の現在の収入よりも稼げることはほぼ確実なのですが、何故かやる気になれません。
何か胡散臭い、自分には出来ないのです。
DHL、FeDEXを使えばアメリカにも1週間以内に商品は届きます。
在庫を抱える必要も無いのですが。
生成AIは大きく二種類に大別されますが、それらにDXでシステム化出来れば(専門化に依頼をするとかなりの費用がかかるはずです)、さらに効率化出来るはずですが。
現在施設生活の私の母親は、老齢遺族年金で十分生活出来ておりますし、私ひとりであればそれほど稼がなくても良いとの考えがまだ捨てられません。

先輩、
昨年のBRICS会議は不首尾に終わりました。
現在BRICS加盟国は確か10ヶ国ですが、20数ヶ国が加盟希望だそうです。
2017年だかの世界経済フォーラムの時点で、
ドルの終焉、要するにロスチャイルド紙幣の終わりは既に予測されておりました。
ドルに追従する日本がどうなるのか私にはわかりませんが、現物の金 = ゴールドを保管するのは世界で二箇所だけ。
新札も福沢諭吉から渋沢栄一へ。
私は、40代半ばに渋沢栄一の末裔だという女性と知り合いましたが、優雅な暮らしをされてました。
来月4月くらいになにか大変なことが起こるような気がしております。
トランプが、不正選挙、戒厳令(アメリカ国内での内戦勃発を予測する識者もおります)などが無ければ当選したとしても現実に大統領職に就くのは来年1月です。
このようなことを書いておりますとまた気が滅入るので、私は寝ます。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-11 23:25) 

AKIRA Homma

DXは、少なくとも三段階くらいのプラットフォームをシステム構築をする必要があります。

https://www.nri.com/jp/knowledge/glossary/lst/alphabet/dx

by AKIRA Homma (2024-03-11 23:45) 

AKIRA Homma

こんばんは。
現在、0:55amです。

私は今まで数本の各種オンライン講座の動画の保存作業などをしておりました。
先輩は、確か土井さんの勧めで登山を始められました。
山、自然は素晴らしいです。
都会では味わえません。
明治神宮などへ伺いますと多少救われますけども。

では私は先輩に伺いたいです。
日本人が古来どれだけ自然を大切にして来たか?
日本人と大麻の関係性について。
この点で、以前メンションした松本俊彦氏は、
大麻 ≠ マリファナ であると私が知る限り公言しておりません。

日本は、最低2600年の歴史がある世界最古の国です。
トインビー、レヴィ=ストロースは、
「世界で神話と歴史が一致しているのは日本だけである」との一致した見解を述べております。

反天皇制、革命?
お好きにしなされと私はそこかしこの誰かに言いたいだけなのです。
それは戦後の日本の教育の賜物、アメリカGHQによりただの洗脳のせいであることすら知らずに数多の俊才が時間を捧げただけであることは現在の私だけでなく多くの国内外の方々から明らかなだけです。

それでは失礼いたします。

P.S.
戦後アメリカの3S政策とは、
・スポーツ
・スクリーン
・セ〇クス
正力松太郎もその手先だったはずです。
長嶋茂雄はそれに気づかずのの大活躍でありました。
ただし長嶋は大学時代に生活費などでお世話になっていた南海入りを蹴っての巨人入りでした。
私は長嶋と立教大学時代同僚だった杉浦忠の忠実さを買います。
38勝4敗などという記録は不滅のはずです。

by AKIRA Homma (2024-03-12 01:07) 

AKIRA Homma

あ。。。

それでも文章表現経験の浅い私は、先輩に、
・加筆修正
・校正校閲
などをお願いしたいです。

by AKIRA Homma (2024-03-12 01:13) 

AKIRA Homma

沖ノ島のことを先輩はご存知のはずですね。
私は昨年ようやく知った次第です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E3%83%8E%E5%B3%B6
by AKIRA Homma (2024-03-12 01:21) 

AKIRA Homma

私は約2年以上前に、漸く日本の国土面積は存外狭くないことを知りました。
先輩のこのブログではUPは出来ませんが、日本を欧州と重ねると明らかです。
故中井久夫が終生研究し続けた、
「ヨーロッパと(いう現象)は何か」につきましては紙幅も、時間もありませんので、私はこの辺で寝ます。
現在1:42amです。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-12 01:43) 

AKIRA Homma

おはようございます。
昨晩またしても酔払って駄文を書いてしまいました。
現在通勤電車内です。
今の職場は公共交通機関利用をしなくてはなりません。
この時間帯は、私の地元と新潟はかなり渋滞しますし、交通事故に巻き込まれないのでこちらの方が良いようです。

今日もいい日に...

by AKIRA Homma (2024-03-12 07:38) 

AKIRA Homma

8:50amからの朝礼が始まりました。
本当は外部サイトへのアクセスは禁止されているのですが、私はある手法でアクセス可能であることを昨年見つけました。
昨晩登録したサイトでは、
・簡略な生成AIについて
・DXについて
などについて学べますが、やはり < notion >というツールも紹介してました。
notionを使うとメモ代わりになり、またHPまで作成できてしまいます。
それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-12 08:53) 

AKIRA Homma

朝礼はすぐに終わりました。
9:00amから業務開始です。
上記は、notionではなく、正確には、Notionです。
私の職場は、salesforceも導入しております。
昨晩登録したサイトで私は初めてSaaSを知りました。
ちょっと動画を視聴しましたが、クラウドサービスの一種のようです。
それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-12 08:57) 

AKIRA Homma

こんにちは。
午前中、11:00am過ぎに休憩がありましたが、私は本日14:00pmからお昼休みです。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-12 14:04) 

AKIRA Homma

早目にブースに戻りました。

先輩は下記をご存じでしょうか?

https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub1.html
by AKIRA Homma (2024-03-12 14:43) 

AKIRA Homma

こんばんは。

こんばんは。
まだ職場近くの喫茶店におります。

たとえばWindows Meは酷かったですね。
Windows2000やXPは本当に安定してました。
前述のヨネックス創業者の米山稔氏の「私の履歴書」のコピーを下さった方は、長く富士通系の会社に勤務されておられました。
彼によりますと、XPの内部OSは、C++で書かれておりスパゲッティプログラムだったそうです。

私は、Google検索が何故あれだけ速く的確に検索できるのか知りたくなり少しだけ調べましたが、非公開ではありますが、Googleは、最低250項目を設定して検索し順位を決めているようです。

Googleが運営するYouTube動画は検閲が厳しくなっておりますが、それでもまだGoogleには魅力があるように思えます。
私は、Chromebook(8GBメモリ、core-i5)も所有しております。

まだ電車は通勤通学のお客さんで混んでいますがこれから帰ります。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-12 18:05) 

AKIRA Homma

こんばんは。
帰宅しまして、ありあわせの物で先ほど晩ごはんを食べました。
現在、19:31pmです。

明日は午前中診察があるので、お昼出勤です。
整形外科クリニックへ行きます。
by AKIRA Homma (2024-03-12 19:33) 

AKIRA Homma

こんにちは。

私は本日お昼出勤予定でしたが、整形外科が混んでおり、これから出勤です。
出勤途中、shimaさんがお元気であることがわかりました。

お~~い、shimaさん、
また飲もうぜ !!!

ただ私はこの3年間で、
・ゴルフ道具類だけでおそらく350万円以上
・各種練習器具、コンピュータ計測器類、レッスン料でも、100万円以上
・書籍購入費(ほとんど古書)、いくらかなあ、4000冊近く蒐集して
僅かな貯えは底をつきました。

また他界した父親は遺言書を書いておらず、愚弟は相続放棄をしましたが、母親と私の相続手続きはまだ出来ておりません。

とにかくこれからもshimaさんのこれまで以上のご活躍を祈念いたします。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-13 13:10) 

AKIRA Homma

日経平均4万円か?とか、30数年ぶりとか報道?されてますが、あの頃と物価が違うので数字だけを比較するメディア(主に私が飲食をする居酒屋なので限定的です)はどうしてもう少し説明しないのかとか不思議です。

バブル期の諸外国の株価と現在のそれを日本も含めて比較をしている報道を居酒屋のテレビで見たことはありません。

そう云えば思い出しましたが、中国はチベット問題で国際的に批判されてますが、中国は水不足なのでチベットに毎年相当な額のインフラ投資をしているそうです。
チベットの水の恩恵を受けている周辺諸国は多いそうです。

またヒマラヤ山脈は中国の防壁のようなものだと昨年だったか、ある識者が述べてました。

台湾有事も、中国が動けないのは台湾、アメリカ、日本だけでなく、インドという国があることはほとんど報道されていないかも知れません。

ただし、インド人は〇ソつきと私が大学時代から言われてましたが、中国とアメリカどちらにつくかとは私はわかりません。
現在22:30pmです。

オヤスミナサイ

by AKIRA Homma (2024-03-13 22:32) 

AKIRA Homma

こんにちは。
現在 17:07pmです。
私は先ほどから自宅二回自室でハイボールを飲んでおります。
福山隆氏については説明は必要無いはずです。
下記は本日配信されて来たものです。

良い週末をお過ごしください。

※ ※ ※


【真珠湾攻撃の真実】
元陸将 福山隆に聞く:ウクライナ戦争に学ぶ日本防衛の道1

From:福山隆

◯ デジャビュなWWI、WWII

デジャビュとは既視感だ。
つまり、昔こんなことがあった、見たことがあるということ。

極論だが、ウクライナ戦争という日本から遠いところで起こっている戦争が、実は日本に大変な災いをもたらす可能性があることを、まずは簡単に申し上げたい。

まず第一次世界大戦(WWI)はドイツ、フランス、ロシアが戦った戦争である。

日本は日英同盟を理由にして、ドイツ海軍基地があった山東半島を占領する。

おまけに中国に対しては二十一箇条の要求という無理難題を突きつけた。

イギリスの立場、そしてアメリカの立場から見ると世界に展開しているドイツ海軍をなんとか封じ込める必要があった。

彼らの腹の中は、日本を野放しにしてどんどんやらせていくと、日本が良いとこ取りでアジアに有利な地位を占めるのではないか?という葛藤があった。

結果として、案の定ではあるがアメリカは日本に対する大きな警戒心を持ち始めた。
十数年続いた日英同盟を「やめろ」とアメリカがけしかけ日英同盟をやめる。

このような日本の第一世界大戦における振る舞いが、やがて第二世界大戦を招く「もと」になる。

日本は漁夫の利を占めたけれども、欧米を後々に敵に回すという素地を作ってしまったのだ。

続いて第二次世界大戦(WWII)。
ドイツがポーランドに侵攻し、ソ連と一緒にポーランドを分割する。

日本は良いチャンスだと、ドイツと一緒にソビエトを東と西から挟み撃ちしようとなった。

ヒトラーの、フランスやイギリスに対する破竹の勢いによって
「ヒトラーはすごい」
「我々のいい参考になる」と前向きにのめり込んだ。

日本が12月8日前後に、もう少し慎重にアメリカとの交渉を続けながら様子を眺めていたら、

ヒトラー電撃戦の、戦車軍の進撃が止まる状況が見えただろう。
それを待たずにやってしまった。

またアメリカは非常にズル賢く、日本をのせて、そして自分も欧州に参戦しなかったが、日本に先に手を出させる形で日本を釣り込んだ。
コミンテルンという当時スターリンの世界謀略機関にのせられて戦を始めた。

そして、ABCDSとの戦い。
この5カ国と悲惨な戦争を行い、初の原爆を二発受けた。

ウクライナ戦争というマイナーな戦争に見えるかもしれないが、やがてまた日本に、どんな災いをもたらすものか?

昔を振り返るとデジャビュがある。
そういう思いに駆られる。

◯ なぜウクライナで戦争が起こったのか?
  ロシア地政学を踏まえた理論

次になぜ、ウクライナでどんぱちが始まったのか、地政学的に説明する。

マッキンダーがハートランド説を唱える。

ドイツからロシアに続く地域を示す、「ハートランド」を制するものが世界を制すと唱えた。

ところがそれに異を唱えたのは、スパイクマンだ。

スパイクマンは、ユーラシア大陸のリムランドという終焉部分の地域を封じ込めた人が世界を制覇すると唱えた。

私の考えでは、ハートランドとリムランドの節細部分が非常にやばいところである。

地震でいえば、活断層にあたる地域ではないかと地政学的には考えられる。

すなわち活断層とは、ユーラシアプレートの大陸の流れと、太平洋プレートの節細部のきしみによって大地震が発生するという理屈。

ハートランドという大きな国家集団、エネルギー集団の膨張と、リムランドからの逆の作用によってきしみが出てくる。

このような地政学を踏まえて、ロシアの安全保障の特徴は以下だ。

ロシアは広大で世界一広い。
ユーラシア大陸の東と西に渡る大きな国家だ。

そのため国境に大障害が無く、極東に不凍港が無い。

このように大障害がないためその代価としてどんどん国土を広げ、バッファーゾーンに使うのが一つの国土戦略。

加えて、港を大西洋・太平洋に手に入れたい、または黒海という地中海につながる海のクリミアオデーサを何としても自分のものにしたい思いがある。

余談ではあるが、ハートランドとリムランドの間の活断層に朝鮮半島が位置している。

ウクライナあるいはバルカン半島と同様に、朝鮮半島あるいは極論では今や台湾なのかもしれないが、

これがハートランドとリムランドのきしみの部分になる。

◯ ロシアにとってのウクライナの戦略的な価値

ポーランドは平原という意味だ。

ポーランドからドイツに渡る地域は一瀉千里。

ダーッと戦車部隊が突進できる地域。

何の障害もなく、河川障害はあるが大した障害にはならない。

ところが南側を考えると、大きなカルパチア山脈がある。

ロシアの思惑としては、広大なカルパチア山脈の山岳障害の線までは進出したい。

またウクライナをバッファーゾーンとして確保したい。

さらに黒海から地中海に出て、オデーサから小麦を輸出するために、黒海を出て地中海を超え、アフリカに持っていく。

海は輸送手段として、現状空を1とすれば、海が9ぐらいの輸送割合となるので、これを手に入れたいという悲痛な思いがある。

海軍もこの辺りにいて、(海軍の母校としてセバストポリがある)ウクライナのクリミア半島を
2014年に取ってしまった。

ロシアの切実な思いがここに反映されているのだ。

ウクライナの戦略的価値

2つ目は、

少なくともロシアとしては、ウクライナとベラルーシをなんとしても持っていたいという
思いがあった。

バルト三国、ポーランド、チェコ、ハンガリー、ルーマニアはNATOに入ったしまった。

果ては今の事態を踏まえて、フィンランド、スウェーデンもNATOに入るという動きがある。

まるで首をギュッと、絞められているような状況に立ち至る。

ここで面白い本を紹介する。
ジョージ・フリードマンの本だ。

フリードマンは、ストラトフォーというアメリカの民間シンクタンクかつ出版社の創設者だ。

彼はユダヤ人で、このように述べている。

<ウクライナとベラルーシはロシアにとっての生命線。

 この二国がNATOに加盟すれば、ロシアは存亡の危機に立たされる>

プーチンとしては、切実なところまできたので

「これは必然だ」とみなされるという説明の理論である。

私の独自の理論を述べてみる。

強力なN極・S極という磁石がある。

磁場の間に針をポンと入れると、それ自体がS極・N極、ちょうど反対になる。

引き合って中立的に留まる。
いわゆる分極化現象がある。

これが人間・国家社会に適応すると、NATO対WARSAWとなる。
(旧東西ドイツ)

朝鮮半島においては、南北朝鮮が分極したのだ。

さらに言えば、日本はスターリンが留萌と釧路、

「ここから北は俺たちによこせ」
「日本を分極しようじゃないか」
という提案をしたが、これをアメリカが拒否する。

そして北方四島だけ取られた格好になるが、それでは収まらない。

日本人の頭の中が左翼。
立憲民主党や共産党のような左翼の人たちは、以前としてコミンテルン・旧ソ連に頭を半分かすめ取られたような思想構造になっている。

日本のメディアも依然としてそうである。

日本のイデオロギーや思想が分極された。

その残債が今でも残っているのが日本だと私は思っている。

そして、新しく引き起こされたNATO対ロシアでウクライナが分極される。

ウクライナから弾圧されていると言っているが、彼らが主張する一部の理論としてそっちへ引っ張られるグループが分極している。
こういう説明ができるかと思う。

私は、人文科学・戦争・戦略は、物理学にかつ近似的に説明しやすい現象だと思っている。

by AKIRA Homma (2024-03-16 17:09) 

AKIRA Homma

shimaさん、下記リンクで福山隆を視聴出来ます。
福山隆氏は「地下鉄サリン事件」時に指揮を取られました。

https://www.youtube.com/watch?v=cKw1RS-3CkA
by AKIRA Homma (2024-03-16 17:23) 

AKIRA Homma

shimaさん

私は本日16:00pm前からハイボール、水割りを飲んでおります。
shimaさん、
あなたは私を超えて下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=5M9rdMs69oM
by AKIRA Homma (2024-03-16 20:12) 

AKIRA Homma

shimaさん

新潟市は最近暖かくなっております。
三島由紀夫は市ヶ谷駐屯地での決行前にある内科医を訪れ切腹で逝けるか打診をしております。
三島由紀夫「鏡子の家」、未読であれば是非。

今日もいい日に...

https://www.youtube.com/watch?v=q7xEg_AbR-A

by AKIRA Homma (2024-03-17 10:06) 

AKIRA Homma

shimaさん

私は昨夕電車で新潟駅まで移動をして、(自称)30代後半だといふあ〇ちやんという美女と飲み過ぎました(笑)。
新潟美人と秋田美人の意味はどうも違うようです。

shimaさんも九州ライフを楽しんでおられるでしょうね?
shimaさんは、
・島津斉彬
・西郷隆盛
の真実をご存じでしょうか?

by AKIRA Homma (2024-03-17 10:10) 

AKIRA Homma

新潟県、特に下越地方の地盤は固いので大丈夫なはずです。
私は下記の講座は受講しません。
昨年11月にキッシンジャーが確か100歳で亡くなりました。
キッシンジャーの本質を日本のマスメディアではほとんど報道しません。

※ ※ ※

「仕組まれたパンデミック」 グレートリセット: コロナで始まる人類支配計画という講座です。

この講座では、今回の新型コロナで浮かび上がってきた 世界を裏で操る支配者たちの思想や計画を丁寧に解説しています。

彼らの頭の中を丸裸にし、支配者たちがどのように世界を見ているのか、そして、どんな世界を作ろうとしているのかを知ることで、 これから世界がどのような道筋を辿っていくのかを予測することができるようになります。

それでは講座の内容を詳しくご紹介していくと、、

==========

<第一章>
次のパンデミックは準備されているのか?

この章では、隠された世界の支配構造を暴き、グローバリストたちがいかに世界の中枢に入り込んでいるのか 。

そして、どのようにして世界を操ってきたのか、過去の事例を取り上げながら丁寧に解説していきます。

講義1:
「人類支配の権力構造」 各国政府を牛耳る支配者たちの正体

講義2:
「コロナは序章に過ぎない」 ビルゲイツが予言する "次のパンデミック"

講義3:
「生物兵器による秘密戦争」 アフリカで蔓延する"致死率90%の感染症"

講義4:
「炭疽菌テロ事件の真犯人」 イラクに濡れ衣を着せたアメリカの大嘘

講義5:
「美人すぎる研究所長の謎」 大物政治家の隠し子?背後にある黒い繋がり

講義6:「米国が秘匿する生物兵器研究」 裏社会で暗躍し続けるヌーランド夫妻

講義7:
「米ソ冷戦、米中対立はプロレス?」政府中枢に巣食うソロス人脈の闇

第一章を見終わる頃には、世界の真の姿を理解し、 "支配者の視点"で世界を見渡す基礎が出来上がっているでしょう。


>講座の詳細はこちら
==========

<第二章>
グレートリセット
コロナで始まる人類支配計画

この章では、グローバリストたちの恐ろしい計画の数々を取り上げ、彼らがどのような思想のもとで動いているのか、そして彼らの目的とは一体なんなのか、

今回の新型コロナとワクチンを切り口に解説していきます。

講義1 :
「人口削減を推進する人々」 ヒトラーを支援した巨大スポンサーの正体

講義2 :
「エイズは人工的に作られた」 相次ぐ告発者たちの不審な死

講義3 :
「地球は100年持たない?」 世界銀行総裁が 死亡率を上げたがる理由

講義4 :
「役立たずは排除すべき」 強制中絶を叫ぶ大統領補佐官

講義5 :
「14人の億万長者」 偽パンデミックの裏で行われた人類支配の秘密会議

講義6 :
「うつ、不妊症、癌、アトピー」 日本人の健康を蝕む"食卓に潜む危険"

講義7 :
「魔法のワクチン」
 肥満、糖尿病、癌に効く? 大量接種時代の到来

講義8 :
「演出される食糧危機」
 世界最大の地主が計画する最悪のシナリオ

講義9 :
「人類への宣戦布告」
 人は機械と融合...? 超監視社会へ向かう世界

講義10:
「世界統一政府の誕生」
 2024年に訪れるSF小説『1984』の世界

講義11:
「分断される人々」
 ワクチン、LGBT、陰謀論...作り出される対立構造


ここまで見終わる頃には、グローバリストたちの真の目的を理解し、
この世界がこれからどこに向かおうとしているのか、50年後の世界は一体どうなっているのかを予測できるようになっているでしょう。


>講座の詳細はこちら
==========
<第三章>
日本人の生存戦略

この章では、グローバリストたちの目的を理解した上で、彼らの野望に飲み込まれずに、日本が日本として、これからも存在していくためには、具体的にどうしたらいいのか、私たち日本人がどのようなことに気をつけなければいけないのかを丁寧に解説していきます。

講義1:
「人口増加を解決する道」
 日本が世界に先駆けてやるべきこと

講義2:
「専門家は信じるな!」
 騙された方が悪い... 国民を裏切ったM医師の虚言

講義3:
「無意識に洗脳されている?」 日本人が自ら家畜化に走ってしまうワケ

講義4:
「国民を欺く詐欺師の罠」
 騙されないために知る11の洗脳手法

講義5:
「支配者たちが恐れるもの」
 これから直面する危機との戦い方

ここまで見終わる頃には、これまでの人生で信じていた世界の姿はガラガラと崩れ去り、

今まで決して見えることのなかった、この世界の真実の姿が見えるようになっているでしょう。

今までに味わったことのないような、鮮烈な視点の変化を、あなたにも体感していただけるはずです。


>講座の詳細はこちら

さらに、今回は特別に2つの限定特典をセットでご提供します。

特典の内容をご紹介すると、、

特典①
「サイボーグ化する人類」 内閣府が推進する"ムーンショット計画"の闇

科学技術の進歩の先にはどんな人でも努力なしに自分の能力を最大限に作り変えることができるそんな"夢のような世界"が待っているといいます。

身体、空間、時間の制約から解き放たれた人類に残るものとは一体なんなのか…

パンデミックはこのような世界を作り上げるための1つの工程であるとは一体どういうことなのか…

そして、このような世界で"幸せ"になるのは、一体誰なのか…

日本の内閣府も推進し2050年までに実現されるとする人類サイボーグ化計画である

「ムーンショット計画」について詳しく解説していきます。↓

>特典の詳細を確認する

特典②
「有色人種の絶滅計画」
 欧米人による人体実験の歴史

アメリカの国家最高機密とされた「生物化学兵器開発プログラム」

有色人種だけを狙った生物兵器や、有色人女性への不妊ワクチンに強制不妊手術まで…

欧米が今まで私たち有色人種に行ってきた人体実験や断種作戦の数々と、今なお残り続ける優生学をもとにした有色人種の絶滅計画について詳しく解説します。

これを見れば、モデルナの拠点が日本に作られることがどんな意味を持つのか、日本人の9割が気づいていない、その恐ろしい秘密を知ることができます。

>特典の詳細を確認する

以上の2つの特典に加えまして、講座の書き起こしテキストもおつけしています。

動画よりも文字派の方、文章でじっくり理解したい方も何度でも読み返して理解を深めていただくことができます。

これらの特典付きで手に入れていただけるのはキャンペーンの期間中のみとなります。
by AKIRA Homma (2024-03-17 18:22) 

AKIRA Homma

私がこの約1週間前後書いて来たことは、懸解先輩はほぼご存知のはずです。
では、shimaさんがどれくらいわかっていらっしゃるのか私は確かめられません。

shimaさん、高田馬場の「ふじラーメン」は美味しかったですね。
豚骨ラーメンも偶然の産物のようです。
豚骨ラーメンで最もスープが濃厚なのは久留米ラーメンです。

私はいつの日か久留米、佐賀など九州へ行きたいと思っております。

https://spice.kumanichi.com/gourmet/mens-spice/132993/

https://www.youtube.com/watch?v=RWeLQByUS3E

by AKIRA Homma (2024-03-17 19:37) 

AKIRA Homma

shimaさん

私は今日3月18日、4:00am過ぎに起きました。
良い週末をお過ごしください。

https://www.youtube.com/watch?v=YLMvYIjkBF0

by AKIRA Homma (2024-03-18 05:08) 

AKIRA Homma

おはようございます。

私は今月3月15日で一旦契約満了とし、現在無職です。
私は昨日から自宅で、最低21日間の研修をしてます。
余裕を見て来月4月15日くらいに修了出来ればと思います。
1回の研修内容は、
・7000~10000文字以上の資料の理解
・動画視聴
です。

私は昨日までに、OTセキュリティ&DXについて、
工場、プラントをモデルにした概要を少しだけ学びました。

shimaさん、下記はご参考までに。

今日もいい日に...

P.S.
懸解先輩、
弁証法を理解するには、クラウセビッツ「戦争論」が私には有効でした。
「戦争論」は孫子「兵法」と並び評されておりますが日本には「孫子」を上回る兵術書、戦術書があることを私は約1年前後前に偶然知りました。

https://repository.tku.ac.jp/dspace/bitstream/11150/11433/1/komyu51-06.pdf

※ ※ ※

★先人たちの死闘 ~ 沖縄、特攻、空襲の真実

From:伊勢雅臣

「沖縄は捨て石」「特攻は犬死に」「空襲はやられっぱなし」は国民から真実を隠すプロパガンダ。

■1.ウクライナ国民の高い戦意、日本国民の世界最低の戦意

ウクライナの戦争はロシア軍の踏ん張りと、アメリカの支援中断により、難しい局面を迎えています。

そんな中で、ウクライナ国民の戦意がまだまだ高いことが報じられました。
__________
同国のシンクタンク「キーウ国際社会学研究所」が昨年12月に発表した世論調査によると、

「和平のために領土的譲歩をすべきか」との質問で、74%が「すべきではない」と回答。
「すべきだ」とした19%を大幅に上回った。

今年2月に発表された世論調査でも、徹底抗戦を訴えるゼレンスキー大統領が69%の
高い支持率を維持した。[産経]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
これに比べると、「国のために戦いますか?」というアンケート調査で「はい」と答えた日本人は13.2%と世界79カ国で最低で、我が国の防衛意識の低さが世界でも突出していることが分かります。
この防衛意識の低さの原因の一つに、大東亜戦争に関するプロパガンダがあったと考えられます。

たとえば、以下のような言い分がまかり通っています。

・沖縄は捨て石とされ、軍部に見捨てられた住民が犠牲になった。
・特攻は人の命をムダに捨てる馬鹿げた戦術で、何の効果もなかった。
・B29による高空からの空襲には、
 日本軍は何の手出しもできず、やられっぱなしだった。

こういう刷り込みを子供の時から受ければ、日本は小さな弱い国なんだから、戦争などできっこない。
侵略があったら、すぐ降伏した方が良い、などと多くの国民が思い込んでしまうでしょう。

しかし、上記がいかに史実とかけ離れたプロパガンダか、米軍側の資料にも基づいて明らかにしたのが、

軍事ジャーナリスト、井上和彦氏の『歪められた真実 昭和の大戦(大東亜戦争)』です。

本稿では、上記の3点に関する史実を定量的データも含めて見ていきましょう。

歪められた真実昭和の大戦(大東亜戦争)
井上和彦

■2.数字で見る沖縄戦の死闘ぶり

まず沖縄戦ですが、米軍を主体とする連合軍は55万人の兵力を投入し、そのうち戦死者約1万2千人、戦傷者約7万人という

米軍史上最悪規模の犠牲者を出していることが、日本陸海軍の頑強な抵抗ぶりをなによりも物語っています。

ちなみに『史上最大の作戦』と邦題がつけられた映画に描かれたノルマンディー作戦は、

連合軍がドーバー海峡を超えて、フランス側に上陸した作戦で、投入兵力も130万人という大規模なものでしたが、連合軍の戦死者は2千人以下、負傷者は約6千人でした。

両方の作戦での双方の投入兵力と死傷者数を比べてみると、次のような表にまとめることができます。

・ノルマンディー作戦
連合軍
投入兵力1,300千人
死傷者8千人

ドイツ軍
投入兵力380千人
死傷者9千人

・沖縄戦
連合軍投入兵力550千人
死傷者82千人

日本軍
投入兵力116千人
死傷者94千人

沖縄戦はノルマンディー作戦に比べれば、両軍の投入兵力で数分の一の規模ですが、死傷者数は連合軍、日本軍とも一桁大きいのです。

しかも日本軍は5分の1の兵力ながら、ほぼ自軍の9割近い損害を与えています。

沖縄戦がいかに真剣勝負だったか分かります。

対独戦の勝敗を決定づけたノルマンディー上陸作戦に比べれば、沖縄戦は日本領土での最初の戦闘であり、その面積も日本全体の約0.6%です。

今後の本土決戦は、その100倍以上の面積と人口を相手にしなければなりません。

その沖縄戦で戦死傷者8万7千もの損害を受けていては、本土全体を占領するには百万の犠牲が出る、と米軍が恐れたのも当然でしょう。

この数字だけ見ても、日本軍がいかに必死に沖縄を守ろうとしたかが窺えます。

「日本軍が沖縄を捨て石にした」などというのは、あきらかに沖縄を日本政府から切り離そうという政治的な意図を含んだプロパガンダです。

沖縄戦での日本軍の戦いぶりを見て、米政府および米軍高官たちは、日本に無条件降伏させようとするルーズベルト大統領の方針がいかに愚かなものかを知り、ポツダム宣言での有条件降伏勧告に切り替えたのです。[JOG(196)]

■3.「出撃した三十輌の米軍戦車のうち、帰ってきたのはわずか八輌であった」

日本軍の戦いぶりを具体的に見ておきましょう。

米軍は昭和20(1945)年4月1日に沖縄本島に上陸しました。

4月8日から16日間、嘉数(かかず)台での激戦が行われました。
嘉数台は沖縄本島の中心部からやや南に下った高台で、そこからは那覇市も含め、南部の平坦な地域が一望できます。

沖縄本島を制圧するには、このあたりの高台を攻略する必要があり、それを見越して日本軍は陣地を構築していました。

米軍もこの嘉数台の占領を目指して続々と部隊を投入し、ここで両軍の戦死傷者10万人とも言われる大激戦が展開されました。

米陸軍省が編纂した戦史では両軍の戦いぶりをこう記述しています。

__________
火炎放射器を装備した自動操縦戦車も加え、全戦車三十輌が、日本軍陣地の主力に強力な攻撃を加えようとこの台地に集結したのである。

・・・戦車三輌が進撃の途中、台地付近で地雷にあって擱座(かくざ)した。

戦車隊が列をつくって進撃しているとき、西原丘陵の陣地から日本軍の四十七ミリ対戦車砲が猛攻を加えてきた。
敵弾は十六発が発射されたが、米軍は一発も撃ち返せずに戦車四輌を撃破されてしまった。

・・・とくに村落に入るときが激戦で、村落周辺、あるいはその中に入ってからでさえ、戦車十四輌がやられた。

その多くは敷設地雷や四十七ミリ対戦車砲にやられたものだが、なかには、重砲や野砲で擱座させられたものもあり、また日本軍が爆薬箱をもって接近攻撃法をこころみ、爆薬もろとも戦車に体当たりし、自爆をとげるという特攻にやられて撃破された戦車も多かった。

午後一時三十分、いまや米軍歩兵が来るのぞみはすっかり断たれ、戦車隊は、もとの線まで後退するよう命令をうけた。

朝、嘉数高地に出撃した三十輌の米軍戦車のうち、午後もとの位置に帰ってきたのはわずか八輌であった。[井上、p117]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ここで戦っている日本陸軍将兵の姿は、爆薬箱を抱いて突っ込んでくる特攻もありますが、それ以外は地雷や対戦車砲を駆使した正攻法の近代戦です。

こういう戦いで、米軍は予想をはるかに超える出血を強いられたのです。

その一方で、軍属として戦闘に参加した5万7千人近くの県民と、それ以外の一般県民が3万7千余の合計9万余の県民の犠牲が出たことは事実です。

しかし、日本軍は県民の被害を最小にしようと努力しました。

長勇(ちょう・いさむ)参謀長が米軍侵攻の前に県庁に出向いて、島田叡県知事や荒井退造警察部長に「県には北部山岳地帯への住民疎開と6ヶ月分の食料確保をお願いしたい」と依頼しています。

こうした軍と県庁の協力で、20万人近くの県民の命が救われています。[JOG(1345)]


■4.「日本の空軍が、こんなに頑強だとは思わなかった」

沖縄戦では陸上戦とともに、戦闘機による特攻が猛威を振るいました。

特攻は昭和19(1944)年10月25日、フィリピンのマバラカット飛行場から飛び立った関行男大尉率いる敷島隊から始まって、終戦までの約10ヶ月間に、海軍は2367機、陸軍は1129機が出撃して、合計3910柱が散華されました。

それによる米海軍の被害は、艦艇数278隻以上、戦死者約1万2300人、重傷者約3万6000人、さらに恐怖による戦闘神経症の患者2万6千人が出ました。

日米両軍の戦死傷者数だけ比較しても、日本側3910柱に対して米軍は4万8300人。
10倍以上の犠牲を与えています。

上述の敷島隊5機のうち、零戦1機は護衛空母「セント・ロー」に突入し、同艦は大爆発を起こして沈没。
乗員889人のうち143人が艦と運命を共にしました。

残りの4機は護衛空母「カリニン・ベイ」
「キトカン・ベイ」「ホワイト・プレインズ」に突入して損害を与え、これらの空母は修理のために戦線離脱を余儀なくされました。

敷島隊と合わせて、同日、合計18機が出撃し、合計では「セント・ロー」撃沈、3空母大破、4空母損傷という戦果を上げました。

同時に空母艦載機128機が失われ、兵員も戦死・行方不明1500人、
戦傷者1200人以上の損害が出ました。

わずか18機、1日の攻撃による大戦果です。

これだけの戦果を上げた特攻に関して、米海軍のベイツ中佐は、こう語っています。
__________
日本の空軍が頑強であることは予め知っていたけれども、こんなに頑強だとは思わなかった。

日本の奴らに、神風特攻隊がこのように多くの人々を殺し、多くの艦艇を撃破していることを寸時も考えさせてはならない。

だから、われわれは艦が神風機の攻撃を受けても、航行できるかぎり現場に留まって、
日本人にその効果を知らせてはならない。[井上、p130]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「特攻隊は効果がなかった」というプロパガンダは、この頃から始まっていたのです。


■5.「明朗ニ潔ヨク還ツテ来イ」
特攻は必死の戦術ですが、死ぬことが目的だったわけではありません。

敵艦を攻撃して損害を与えることが目的であって、それが達成できない状況では、還ってくることが指示されていました。

昭和20(1945)年5月に作成された特攻隊員用の教本「と號空中勤務必携」には、敵艦への突入方法の他に、「天候ガ悪ルクテ自信ガナイカ目標ガ発見出来ナイ時等」の指示が出されていました。
__________
落胆スルナ
犬死シテハナラヌ
小サナ感情ハ捨テロ
国体ノ護持ヲドウスル部隊長ノ訓示ヲ思ヒ出セ
ソシテ明朗ニ潔ヨク還ツテ来イ[井上、p136]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

さらに、
「途中カラ還ツテ着陸スル時ハ・・・爆弾ヲ捨テロ予(あらかじ)メ指揮官カラ示サレタ場所ト方法デ」とも記載されていました。

特攻が不可能な場合は、部隊長から「犬死にしてはならぬ」と訓示され、また指揮官から、その場合は爆弾を捨てて着陸する方法まであらかじめ指示されていたようです。

また、特攻に出撃する隊員たちについて、陸軍特攻隊の教官であり、自らも終戦前日に特攻命令を受けた陸軍きっての名パイロット田形竹尾准尉は、こんな話を井上氏にしたとの事です。
__________
出撃前、特攻隊員は仏様のような綺麗な顔でした。
目が澄みきって頬が輝いておりました。

彼等は皆、愛する祖国と愛する人々を守るために自ら進んで志願していったのです。

戦後いわれるような、自分が犠牲者だと思って出撃していった者など一人としておりません。

皆、『後を頼む』とだけ言い遺して堂々と飛び立っていったのです。[井上、p141]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

こうした隊員たちの真の姿も覆い隠されてしまっています。


■6.B29は485機撃墜、2707機撃破されていた

昭和19(1944)年6月以降、米軍の超大型爆撃機B29が全国の主要都市を空襲し、焼け野原としました。

B29は超高空を飛ぶので、日本の高射砲も戦闘機も届かず、我が国はなすがままに爆撃されていた、と信じられています。

しかし、米国戦略爆撃調査団の統計によれば、B29は日本軍戦闘機と高射砲などによって485機が撃墜され、作戦中に撃破された(相当の損害を受けた)機体は2707機を数えたのでした。
戦死者は3044人にも上っています。

防空で特に活躍したのは陸軍飛行第244戦隊で、終戦までに約100機のB29を撃墜しました。

浜松基地をベースに関東地区や中京地区を爆撃しようとするB29の大編隊を40機の戦闘機「飛燕」で迎え撃っていました。

この戦隊の第一飛行隊長・生野(しょうの)文介大尉はB29を5機撃墜、7機撃破しています。

同様の「B29キラー」が何人も揃っていて、合計約100機も撃墜したのです。

生野大尉の戦い方は、破壊力の大きい20ミリ機銃のみを積んで、相手機の正面上方から攻撃を仕掛ける。

そこはB29の機関銃の死角があり、かつ相互に急速に近づくので、敵の防御射撃にさらされる時間も短い。
その一瞬に急降下しながら、20ミリ機銃を浴びせかける。

まさに剣豪の居合い術です。

■7.我々は反省の仕方を間違えている

こうして見ると、兵員の技量、兵器の性能、作戦能力においては、日本軍は米軍に決して負けてはいませんでした。

特に志気においては、自分の命を掛けて国と国民を守ろうとする覚悟は完全に米軍を圧倒していました。

負けていたのは物量だけです。

それを「沖縄は捨て石」「特攻は犬死に」「B29にはやられっぱなし」など、真実を覆い隠されて、我々は知らないうちに英霊の真心を踏みにじっているのです。

そのような「洗脳」から、「国のために戦う」という比率が世界最低という惨状がもたらされているのでしょう。

大東亜戦争で真に反省すべきは、ルーズベルト大統領の日本を追い詰めて最初の一発を撃たそうとする計略から逃れられなかったこと[JOG(951)]、

スターリンの計略にのって蒋介石軍との戦いに引きずり込まれたこと[JOG(1031)]などの諜報・外交面です。

この面の失敗は伏せられ、反省もされていません。

こうして我々の真に反省すべき点は覆い隠され、反省しなくとも良い点を「沖縄は捨て石」「特攻は犬死に」
「B29にはやられっぱなし」などのプロパガンダで反省させられているのです。

相手国の国民の頭脳を支配することを中国語で「制脳権」というそうですが、まずは他者に我々の脳を操られているという現状から脱却しなければなりません。

(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

・JOG(1345)米軍侵攻から沖縄県民を護れ~沖縄県警察部長・荒井退造の奮闘
住民の無理解や県知事の圧力をものともせず、
荒井は一人でも多くの県民を救うべく、疎開推進に奮闘した。
https://note.com/jog_jp/n/n662d9bfe11e4

・JOG(1031)日中戦争に引きずり込まれた日本
日本はどのように、日中戦争に引きずりこまれていったのか?
https://note.com/jog_jp/n/nb2122d62345d

・JOG(951)ルーズベルト大統領が播いた「竜の歯」
 ~日米戦争、冷戦、そして共産中国
共産主義者に操られたルーズベルト大統領が、日本を開戦に追い込み、
ソ連を護り育て、世界に戦争の危機をばらまいた。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201605article_4.html

・JOG(196)沖縄戦~和平への死闘
勝利の望みなきまま日本軍は82日間の死闘を戦い抜き、
米国の無条件降伏要求を撤回させた。
https://note.com/jog_jp/n/n15f409606753

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・産経新聞、R060223「ウクライナなお戦意高く露への譲歩望まず
今後の戦局は動員・軍事支援が鍵ウクライナ侵略から2年」
https://www.sankei.com/article/20240223-KYZJ52FLV5PJZAO6WEBEVK6JNM/

・PresidentOnline、R040628「『国のために戦いますか?』
日本人の『はい』率は世界最低13%…50歳以上の国防意識ガタ落ちの意外な理由」
https://president.jp/articles/-/58391

by AKIRA Homma (2024-03-20 08:47) 

AKIRA Homma

反革命とか反天皇制とか私はDUOでよく耳にしましたが、それでは下記の文章はいかがでしょうか?
私が書いたものではありませんけども。

P.S.
タワケ岸田の次に石破が首相になったら日本は益々。。。
女性初首相が望まれているはずです。
私が知る限り見識のある政治家はふたりいます。

※ ※ ※

日本の皇室には2600年の歴史はありません。後述しますが、1500年から1800年程度です。

日本書紀の神武天皇の即位年を皇紀元年にしているのですが、そうすると神武は縄文時代の人ということになります。また、神武天皇の享年は古事記では127歳、日本書紀で137歳。崇神天皇(10代)の享年は古事記で168歳、日本書紀には120歳と記されています。はなはだしくは、日本武尊の子であるとされる仲哀天皇(14代)は、日本武尊の死後36年後に誕生したとされています。

今の時代に、こんな記述を盲信するのは狂人でしょう。

神武天皇のモデルになった人物はいたでしょうが、弥生時代末期から古墳時代に生存していたはずです。即位したのは紀元0年から西暦400年の間くらいと推測できます。

これは古代中国の讖緯学の影響で、1260年で時代が移り変わること、また辛酉の翌年は大きな変わり目になるとしており、当時は広く信じられていました。

聖徳太子が改革を行った推古8年を讖緯学に合わせて皇紀1260年としました。推古天皇は33代天皇なので、33代までの天皇の平均在位期間は約38年になります(1260÷33=38.18)。これは各国の君主の在位期間と比較しても極端に長い。1~8世紀の中国の王の平均在位期間は10.1年、西洋の王は11.5年です。

日本では、5~8世紀の天皇で在位期間がはっきりしている天皇は20人おり、その平均在位期間は、10.88年であり、中国や西洋とも近い数字です。この平均在位期間10.88年と推古天皇までの33代を掛けると360年になります。推古天皇が退位したのが628年なので、628–360=268。神武天皇(のモデルになった人)の即位は西暦268年、3世紀中頃と計算できます。

神武天皇の即位を起点にしているので、実際の皇紀は、2024-268=1756。古くても1800年程度が正確なところでしょう。皇紀は、800年ほど古くサバを読んでいることになります。

不確かな伝説に基づいた皇紀を絶対のものとして抱え込み、皇統が古いとかいうことの根拠にするのは、失笑を買うだけです。だから現在は使用されていません。それに王朝が長く続いたからといって偉いというわけでもありません。

余談ですが、天皇家の万世一系というのも非常にあやしい。武烈天皇から継体天皇(26代)の間で皇統が途切れている可能性が高い。ただし、継体天皇を初代としても天皇家は1500年続く世界最古の王家ではあります。
by AKIRA Homma (2024-03-20 09:09) 

AKIRA Homma

shimaさん

私は先月2月、いや1月からの繁忙期や圧迫骨折が完全に治癒していない状態で勤務をしながら各種リサーチをして来ましてかなり疲弊しました。
私は今年還暦です。

恥ずかしながら私は本日9:00pm過ぎから既にハイボールを飲っております。

確かshimaさんと飲んだ泡盛は美味しかったです。
shimaさんと今のところ最後に飲んだのがおでん屋さんでした。
途中から店主のアフリカ談議にふたりして辟易しましたね。。。
私が何故同じゼミの1年後輩でshimaさんだけにお声がをしたのかは既におわかりのはずです。


by AKIRA Homma (2024-03-20 09:57) 

AKIRA Homma

shimaさん

NHKの(光と)闇は深いようです。

https://www.nhk.or.jp/special/detail/20180519.html

https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/X6XYVJVGYJ/

https://www.nhk.jp/p/ts/R88ZYP985X/episode/te/18MGV2NKPG/

https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/J95Z7L2L8P/

【2017年2月14日放送】シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第3集 ウイルス“大感染時代” ~忍び寄るパンデミック~ https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/KV8V3QMW3V/

https://www.nhk.or.jp/special/detail/20170114.html


by AKIRA Homma (2024-03-20 09:59) 

AKIRA Homma

shimaさん

私は自分が大学留年時代の毎週末土曜が愉しみな時期が少しありました。

N里氏の「私鉄沿線」
N沢しの「もうひとつの土曜日」
岳〇君の「男はつらいよ」
I氏の歌はどうでも良かったです(笑)
梅氏の「およげたいやきくん」
何故かshimaさんの持ち歌、十八番は憶えておりません。

https://www.youtube.com/watch?v=4lHIbXkfqWc

https://www.youtube.com/watch?v=FY8XFN9VYMU

https://www.youtube.com/watch?v=XAW96E8q61I

https://www.youtube.com/watch?v=7k1cEXc_RZM

https://www.youtube.com/watch?v=qtioo6v1iLg

https://www.youtube.com/watch?v=Gf0h3GOsV4o

https://www.youtube.com/watch?v=36rOR60PYXc

https://www.youtube.com/watch?v=vHTLwfBzpiI

それではまた。。。


https://www.youtube.com/watch?v=gFVq_AFk8Lc
by AKIRA Homma (2024-03-20 10:15) 

AKIRA Homma

shimaさん

酩酊して誤字などがかなりあります。
9:00pm → 9:00amとか。

下記は私が大学時代には歌ったことがない唄のはずです。
あの頃のカラオケ(ダム、ジョイサウンド)のキーは現在よりも高かったかも知れませんね。

https://www.youtube.com/watch?v=hT5VOnaGRSU

https://www.youtube.com/watch?v=TtSicB7oNdc

https://www.youtube.com/watch?v=1ywxLKAmwUY

https://www.youtube.com/watch?v=-M-RccmDxFk

https://www.youtube.com/watch?v=LdOYhOqpuIY

https://www.youtube.com/watch?v=LZxjcSgmkbM

https://www.youtube.com/watch?v=TLiIKKC1dGI

https://www.youtube.com/watch?v=QZdbnUtCgVU

https://www.youtube.com/watch?v=w0MbvZO7BC8

まあキリがありませんね。

それではまた。。。

by AKIRA Homma (2024-03-20 10:42) 

AKIRA Homma

shimaさん

確かにDUOのマスターも、岳〇君も世を去りました。
ただ私個人としましては人間の「幸せ」が何なのか未だわかりません。
明らかなことはマスターや、岳〇君や、shimaさんやあの頃の我々はあれから、

生きた、泣いた、笑った

と言える生、人生をみんな送っているであろうと私は思う次第なのです。

by AKIRA Homma (2024-03-20 10:47) 

AKIRA Homma

私が昨年読んだ「葉隠」(の原典と言われる)関連の現代語訳書籍名は、

現代語訳 青木照夫訳「直茂公御壁書」(「武士道の奥義」)です。

ただし「葉隠」を全て現代語訳すると数倍以上のボリュームになるそうです。

土井さんは読んでおられたのかどうか。。。

by AKIRA Homma (2024-03-20 19:22) 

AKIRA Homma

shimaさん、高橋洋一を知ってますか?

私は彼の信者ではありませんが一理(以上)あると思います。

https://www.youtube.com/watch?v=Z4KkLCTe6Ik

by AKIRA Homma (2024-03-20 19:33) 

AKIRA Homma

shimaさん

私はデタラメを書いているわけではありません。
まずは基本的なことから。
shimaさんもご存じのはずですけども。

https://in.prideandhistory.jp/nirk_senzen_hozi2?cap=HS4

by AKIRA Homma (2024-03-20 19:42) 

AKIRA Homma

shimaさん

現在 20:36pmです。
私は本日地元のスーパーのPBのソース焼きそば(三食入り)税抜き98円をふた袋購入し晩ごはんで二玉食べました。

私が大学時代、高田馬場駅に立ち食い焼きそば屋さんがありました。
ソース焼きそばはほぼキャベツのみ、ハンバーグ焼きそばは私のたまの贅沢でした。

新宿駅前の桂花ラーメンの前を歩くと強烈な匂ひでしたが私は一度食べたら中毒になりました。

shimaさんによると、あのラーメン屋さんのアルバイトなどのまかないでは角煮がかなり食べられると聞きましたが私はあのような忙しい仕事には向かないだろうと当時思ったのでした。

それではおやすみなさい。

by AKIRA Homma (2024-03-20 20:40) 

AKIRA Homma

shimaさん

私は今日は午前中自宅で研修資料をこなして、その後地元のスポーツ会館で軽くトレーニングをしました。

私は午後は施設の母親の歩行能力の状態を聞いたりしました。

下記記事はご参考までに。

※ ※ ※


★娘が母に作った「花飾り」で罰金!5期目プーチン政権の【狂気】


ダイレクト出版・パワーゲームメルマガ読者の皆さま
こんにちは!

北野幸伯です。

世界中で今大流行しているのが、「ディープステート陰謀論」です。

これ、トランプ前大統領自身が流布していますから、もはや「陰謀論」の枠を超えています。

たとえばトランプさんの公約「Agenda47」で彼は、「ディープステートをぶっ潰す!」

と宣言しています。

https://www.donaldjtrump.com/agenda47/agenda47-using-impoundment-to-cut-waste-stop-inflation-and-crush-the-deep-state

ところで「ディープステート」の主体は、何なのでしょうか?

元ウクライナ大使の馬渕先生は、「国際金融資本、グローバリストがディープステートの主体」と考えておられるようです。

歴史家のジェイソンモーガンさんは、「CIAがディープステート」とおっしゃっています。

「FBI」や「軍産複合体」を含める人もいるようです。

それはともかく、プーチンがナショナリストで、クローバリスト・国際金融資本と戦っているのは本当です。

私の過去本を読んでいただければ、

・プーチンは、90年代ロシアの政治経済を牛耳っていたユダヤ系新興財閥(具体的には、ベレゾフスキー、グシンスキー、ホドルコフスキー)を打倒したこと

・石油王ホドルコフスキーが、ジェイコブ・ロスチャイルドと共に、反プーチン団体「オープン・ロシア財団」を立ち上げたこと

・グローバリスト、国際金融資本のジョージ・ソロスが、旧ソ連圏の革命を支援していたこと

・グローバリスト・国際金融資本が、習近平前の中国を育てていたこと

など、事実であることがわかるでしょう。

これは、「トンデモ陰謀論に見えるホントの話」です。

「山盛り証拠つきで驚愕の事実を知りたい方」は、

たとえば、拙著

◆『中国に勝つ日本の大戦略』

詳細は↓
https://amzn.to/43kA9bn

をご一読ください。
というわけで、私は、「プーチンが、グローバリスト・国際金融資本と戦っている」ことを否定しません。

その証拠も山ほどあります。

しかし私は、

【だからプーチンは善だ】という説を否定しているのです。

皆さん考えてみてください。

冷戦は、

民主主義、資本主義のアメリカ

vs

共産党の一党独裁、(私有財産がない)共産主義ソ連

の戦いでした。

西側陣営の政治経済体制は、アメリカと似ていました。

東側陣営の政治経済体制は、ソ連に似ていました。

共産党の一党独裁。

経済体制では、私有財産が否定されていました。

つまり、どういうことでしょうか?

今、

「グローバリズム対プーチンナショナリズム」の戦いが起こっているとして。

プーチンナショナリズムが勝てば、世界は「プーチンロシアのコピー国家だらけになる」と考えて間違いありません。

28年間モスクワに住んでいた私は、ロシアがどんな国なのか知っています。

だから、「それはまずい!」と思うのです。

▼娘が母に作った「花飾り」で罰金!

「ナショナリストの英雄」プーチンが治める国で起きた小さな事件を一つご紹介しましょう。

元ネタは、『THEINSIDER』3月13日付です。
https://theins.ru/news/269929

〈モスクワ在住のマリア・ヴィロヴェッツは、バッグに黄青色の花をつけていたとして
3万ルーブルの罰金を科せられた。

この決定はシモノフスキー地方裁判所によって下された。

『ヴョルストカ』はヴィロヴェッツ自身を参照しながらこのことについて書いている。〉
ーー
モスクワ在住のマリア・ヴィロヴェッツさんは、

【バッグに黄青色の花をつけていた】

として、

【3万ルーブルの罰金を科せられた】

そうです。

なぜ?

少し政治に興味のある人ならわかるでしょう?

ウクライナ国旗が黄色と青色だからです。

@参照↓ウクライナ国旗↓
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E5%9B%BD%E6%97%97&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8#60df70f9fce88a437650e19212d262fb

ちなみにマリアさんが逮捕されるきっかけとなった「花飾り」の写真は、元記事から見れます。

https://theins.ru/news/269929

罰金の3万ルーブルは、今のレートで4万8000円ぐらいです。

〈女性は同誌に対し、娘が自分のために花を作ってくれたと語った。

ヴィロヴェッツさんは2022年からバッグに付けて持ち歩いている。

「2024年1月、地下鉄の乗客が私に対する告発文を書き、顔認識カメラで発見された後、拘束されました」

と女性は語った。

この調書は「軍の信頼を損なう」という条項に基づいて作成された。

内務省の職員らによると、ウクライナの「国旗の色をしている」この花は「視覚的プロパガンダの手段であり、進行中の特別軍事作戦に対する否定的な態度」だったという。〉
ーー
これ、わかりますか?

マリアさんが地下鉄に乗っていた。

彼女のバッグには、娘がつくってくれた黄色と青色の花の飾りがあった。

それを見たある人が、

「嗚呼、あそこに売国奴がいる」と確信し、警察に通報した。

警察は、監視カメラで、膨大な数の人からマリアさんをみつけだし、逮捕した。

たかが花の飾りのために、どんだけ膨大な労力をかけているんだ?とバカらしくなりますね。

私は、何が言いたいのか?

「ナショナリストの英雄プーチンが勝った世界」は、「こんな世界になる」ということです。

皆さん、こんな世界、こんな国に住みたいですか?

私はごめんですが。

ここまでまとめます。

・プーチンは、確かにグローバリスト・国際金融資本と戦っている

・しかし、だからといってプーチンは、「善」ではない

・実際、「英雄」プーチンが治めるロシアでは、黄色と青色の花の飾りをつけて歩いているだけで、罰金を科される

というわけで、私たちは、

「グローバリズムは悪、ナショナリズムは善」

という勘違いから脱却する必要があります。

正しい認識は、

「グローバリズムは悪、ナショナリズムも悪」です。

私たちは、日本独自の道を切り開いていきましょう!

◆重要PS

日本人には、【戦略的勝利】と【戦術的勝利】、【戦略的敗北】と【戦術的敗北】

の違いがわかりにくいようです。

それで、「満州事変大勝利!」とか「真珠湾攻撃大勝利!」などと、【戦略的敗北につながる戦術的大勝利】に歓喜してしまう。

今も、「プーチン負けてない!」などと譲らない人もいます。

とにかく、【戦術脳】から【戦略脳】にかえることは、日本とあなた自身を長期的に繁栄させるために絶対必要です。

もうすぐ、この件を詳述した本を出版する予定ですので、是非ご一読ください。

by AKIRA Homma (2024-03-21 19:46) 

AKIRA Homma

shimaさん

私は昨年末の圧迫骨折からずっと働けておりません。
私は料理の動画を1.5倍速で視聴しながら、200本前後は保存しました。

私は、40代半ばの頃福岡在住の知人から本場の明太子を送ってもらいました。
全く辛くありませんでした。

約3年前くらいに母親と近所の鮮魚センターへ行った時に「クジラ頬肉」(解凍)の刺し身を見つけたのでショウガしょう油で母親と平らげました。

福岡へ私は一度言ったことがありますがうどんが美味しかったです。
福岡はお好み焼きも美味しいそうですね。

私は40代半ばから10回以上大阪へ行きましたが、大阪のお好み焼き屋さんのソース焼きそばは美味しかったです。

大学時代からの私の食い意地は変わっておりません。

shimaさんの西荻の部屋で数人でピラフを作ったこともいい思い出です。

私は20代後半時に大学時代の同級生が品川大崎辺りに住んでおり、ふたりで近所の喫茶店へ行きましたらママさんが「ガーリックピラフ」を勧めてくれました。
デビュー前?の久保田利伸がよく注文していたそうです。

そう言えば私は30代後半の頃世田谷の居酒屋で徳永英明と兄だという常連さんを見かけました。
彼はずっと弟の自慢ばかりされてました。

牛丼は、USかオージーを使うのが主流ですが、USの方が安価で柔らかいです。どうも白ワインを入れているようです。赤ワインだと私は思ってました。

私は母親の歩行能力がもう少し向上したら新潟の施設へ行きます。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-21 19:56) 

AKIRA Homma

shimaさん

訂正です。

< 私は昨年末の圧迫骨折からずっと働けておりません

→ 私は昨年末の圧迫骨折からずっとまともに働けておりません >

私はもう現在研修中ですがこれは個人事業の仕事です。

もう少し拘束時間の少ない仕事を探しております。

新潟県は全国で酒蔵がいちばん多いです。
ほとんどの新潟の日本酒は端麗辛口です。
食中酒向きです。

おススメの日本酒は、
・麒麟山伝統辛口
・至
・雪男
・菅名岳冷酒
などです。


by AKIRA Homma (2024-03-21 20:01) 

AKIRA Homma

shimaさん

おはようございます。
私は昨日15:00pmくらいから自宅でウィスキー水割りを飲み始めました。
酒は控えていたのですが昨日はどうしても我慢が出来ませんでした。
18時頃一度寝て、23時前に起きましてイロイロ資料を整理して、0時前からまた飲み始めました。週末なので良いと思いました。
就寝したのは、2:00amくらいでしたがウィスキーボトルは残り3cmくらいしか残っていません。
それはさておき、shimaさんと私が最後に飲んだのは確か西荻の居酒屋でした。
店主がアフリカの話しを我々にし始めて嫌気がさしましたね。
アフリカは人類の起源の土地であり故いかりや長介も魅了されてました。
では何故アフリカ起源の人類がその後 < 移動 >したのでしょうか?

私はそれがずっとわからなかった。いや知ろうとしませんでした。
約1年少し前から少しずつ調べましたがどうしてもわかりませんでした。
昨秋辺りからある世界的な日本人学者のお陰で私は救われました。

これから書くことはほとんどがその学者の学説、仮設です。
私は確か30代前半に生命誌に興味を持ちましたが、あれでは不十分だと思いました。

今手元に資料が無いので断片的に書きます。

・アフリカで約4~6万年前には人類が生まれた。
・アフリカは当時住みやすかったが人類は移動を始めた。主に北上、そ
 して東へ(ラフカディオ・ハーン「光は東方より」という著作もあり
 ました)。
・人類の宗教は数多ありますが太陽を祀る宗教が多い。
・最高神を太陽とする宗教が多い。
・イギリスのストーンヘンジ、アゼルバイジャンのユブスタイン遺跡な
 どの共通点。
・太陽は東から登るので人類は東を目指したと考えざるを得ない。また
 それ以外にも理由はあったかも知れない。
・フランス語で「日の昇る国」は' Le pays du soleil levant と言う
 (正確なフランス語ではありません。懸解先輩に聞きたいです)。
・天皇家には約1万年前の三種の神器のひとつの勾玉が保管されている
 らしいこと
・東北地方で世界最古の土器が出土していること。確か1万6千年前で
 す。
・新羅、百済はヘブライ語起源であること。
・日本の旧石器時代の遺跡遺物は1万点はあるのに、朝鮮半島は50くら
 いしか無いこと。
・2000年以上経過しても秦の始皇帝のことがまだわかっていないこ
 と。また彼の顔を見ると明らかに東洋系では無いこと。
・確かな時代は忘れましたが、皇室にまつわる神宮は、
  伊勢神宮
  鹿島神宮
  もうひとつの神宮も関東にあり、ふたつの神宮が関東にあること。
・旧石器時代からの遺跡遺物が東北関東に多いこと。
・邪馬台国論争は決着していない。また邪馬台国を裏づける世界唯一の
文献である魏志倭人伝の著者は中国を出ずに聞き書きをしているこ
 と。
・世界で唯一と言っていいほど日本は神話を戦後教育しなくなっている
 こと。
・高天原、日高見国の意味
・日本神話の神は人間であり、神が農業などをしていたこと。
・古墳を作る技術は世界的な技術が結集されていること。
・上記全てを総合するとアフリカ起源の人類は結局日本に辿り着いたと
 仮定せざるを得ないこと。
・旧約聖書もそれらを裏づけるということ。

この時代は言葉が無かったので遺跡遺物を形象学的に読み解くしか無いということのようです。

それでは失礼いたします。

by AKIRA Homma (2024-03-23 09:45) 

AKIRA Homma

shimaさん

日本は土建国家(筑紫哲也も言っていました)ではなく、
役人国家ですね。
現在の戦争多発の世界を動かすのは、宗教、経済など様々ですが、やはり石油をめぐる戦争でもあります。
石油にはふたつあります。
・原油
・チップ = 半導体
です。
日本は、1990年頃半導体のシェアが49%、現在6%くらいです。
アメリカ(レーガン政権)に潰されたのです。中曽根も加担。
昨年から日本には半導体工場が増加しています。
日本の半導体のクオリティは高いです。
財務省と経産省が揉めているようですが、私は経産省の役人にがんばって下さいと心から願っています。

ここから先はちよつと書けません。

by AKIRA Homma (2024-03-23 09:51) 

AKIRA Homma

ある仮設。

懸解先輩

私は大学時代の夏、谷崎賞を逃した中上健次「地の果て至上の時」をエアコンも効いていない部屋で何とか読みました。
前半部分の描写に驚きました。
その題名の「地の果て」ですが、
旧約聖書にも出て来ております。
「申命記」にあります。
旧約聖書は紀元前11世紀くらいから1000年くらいかけて完成したとされていますが唯一神のはずのユダヤ教が。。。
これ以上は書けません。

by AKIRA Homma (2024-03-23 10:00) 

AKIRA Homma

仮設 → 仮説。

by AKIRA Homma (2024-03-23 10:02) 

AKIRA Homma

https://www.youtube.com/watch?v=LPhuZqmho8I

https://www.youtube.com/watch?v=t-YgFsis7lU

西郷隆盛は江戸城無血開城、廃藩置県など数々の偉業を成し遂げましたが、三島由紀夫が果たして西郷隆盛の真実を知っていたのかは今では確かめようがありません。

by AKIRA Homma (2024-03-23 15:48) 

AKIRA Homma

う~~ん、下記の分析はかなり甘い、抜けているなあ。
こんなことではないのですが。。。
さて、これからGYMで軽くトレーニングをして来ます。

shimaさん

良い週末をお過ごしください。

※ ※ ※

Q:
なぜアメリカは世界一位の経済大国になったのですか?あなたの考えを教えてください。

A:
アメリカ以前の覇権国といえば、イギリス(大英帝国) でしたし、基軸通貨もポンドでした。

大英帝国の全盛期には、全世界の陸地と人口の4分の1を版図に納め、世界史上最大の領土面積を誇った帝国であり、当時唯一の超大国と呼べる地位にありました。

その大英帝国は、第一次・第二次世界大戦という二つの世界大戦後、世界中の植民地を失い、イギリスの帝国時代は終焉して、覇権国の地位を失う事になったのです。

世界大戦のような大きな戦争では、戦略や軍事技術、政治的な動きが主に焦点を当てられがちですが、戦争は国力、すなわち資源や経済力によって決まるといっても過言ではありません。

その結果、戦争の舞台裏では、財政面での支援が各国の運命を大きく左右していました。

その中でもJ.P.モルガン・アンド・カンパニー(以下、モルガン商会)は、戦時の金融史において非常に重要な役割を果たしました。

1914年、第一次世界大戦が勃発した時、モルガン商会は既に世界の金融セクターで重要な位置を占めていました。

それまでの紛争でも資金を提供してきたモルガン商会ですが、戦争によって金融市場が揺らぎ始めると、その影響力を駆使して主導権を握ることに成功しました。アメリカは当初、交戦国への公的債務の引き受けを禁止していました。

しかし、モルガン商会はその規制を巧みに回避し、軍需物資の調達に必要な資金を提供する形で、実質的に英仏両国に融資を行だていたのです。

1915年1月、モルガン商会はイギリス陸軍および海軍と、その後フランスと契約を結び、軍需品の効率的な調達を支援する中間業者の役割を果たしました。

その年の終わりまでには、1億8700万ドル相当の債券が未販売となりましたが、モルガン商会が介入し、英仏両国に対して更なる資金を提供しました。

その結果、モルガン商会は戦争が終結するまでに15億ドル以上を貸し付けを行っています。。

この銀行が提供した融資は、英仏両国が戦争を続け、結果的に連合国の勝利に貢献する原動力となったのです。

また、現在の中東戦争の火種とも言われるイギリスの外務大臣アーサー・バルフォアがイギリスのユダヤ系貴族議員ウォルター・ロスチャイルドに送った書簡『バルフォア宣言』によって、イギリスは、アメリカの参戦と、ロスチャイルド家による戦費の貸し付けを取り付けています。

JPモルガンを含む金融機関は、自分たちが貸し付けた資金を回収するためには連合国の勝利が必要であると判断して、そのためにもアメリカが連合国側に立ち、最終的には戦争に参戦することを強く支持したのです。

これにより1917年4月6日、アメリカ合衆国は正式に第一次世界大戦に参戦しました。アメリカの参戦は決定的な影響をもたらし、連合国側の勝利を後押ししました。

この大戦の結果、アメリカは世界最大の債権国として浮上し、国際経済と政治の重要な指導者となりました。戦争から逃れてきたヨーロッパの移民は労働力を担い、労働力が豊富となりました。

さらに、株式市場の繁栄とともに、アメリカは世界の工業生産の40%、世界の金の44%を保有し、新たな覇権国としての地位を確立したのです。

そして、ウォール街がロンドンのシティに取って代り、国際的な金融センターとなりました。

アメリカの産業は、航空機、大砲、戦車、機関銃を含む、ほぼ全ての連合国の軍需品の2/3を提供したのです。

これにより、アメリカは世界最大の債権国、世界最大の金保有国、そしてそれに伴い世界の金融センターとしての地位を確立したのです。

第一次世界大戦中、アメリカの中央銀行であるFRB(連邦準備制度)は、国の戦争参加を資金面で支援する重要な役割を果たしました。

FRBは戦争債券の販売を支援し、トレジャリー証券を購入する銀行に対して優遇金利で融資を提供するなどの活動を通じて、戦争資金の供給源となりました。

また、20世紀以降、世界ではエネルギー革命が起こり、これによりロックフェラーが台頭します。第一次世界大戦中の1917年、英・仏の両国は石油が欠乏、その窮状を米国スタンダード石油を訴え支援を仰いでいます。その結果、おびただしい石油が大西洋を渡り、英・仏が勝利する事が出来ました。

このスタンダード石油会社を率いていたのが、ジョン・デヴィソン・ロックフェラー一世です。当時のイギリス政府要人がこのように言っています。「連合国は石油の波に浮かんで勝利に流れ着いた」

大英帝国の衰退について『大国の興亡』の著者であるポール・ケネディは著者の中でこのように書いています。

『大英帝国衰退の本質的な要因とは、かつてスペイン帝国がたどった道と同じ「過度の戦略的拡張状態」(strategic over-extension)であり、維持可能な限度を超えた広大な植民地帝国経営と、その軍事的負担等が英国の国力を衰退させた。

その結果として2度の世界大戦を経た英国は、植民地と産業基盤の縮小・衰退に合わせてその海軍も縮小せざるを得ませんでした。』

大英帝国は、第二次世界大戦の終わりとともに、イギリス領インド帝国をはじめとする多くの植民地を失い、衰退していきました。

これに対してアメリカは、第一次世界大戦中、自国が戦場になっていないメリットを活かして、三国同盟・三国協商の双方に軍需物資を売りまくったアメリカは戦後、世界一の債権国になっていた。

しかもその流れは、そのまま戦後復興物資の販売にもつながり、アメリカにどんどん富が集中していきました。アメリカは、労働力は豊富(大戦中戦火を逃れた欧州移民が労働者に転化)な上、株式市場も発達し、しかも世界の工業生産の4割と世界の金の44%を保有する事で、戦争被害と戦時中の産業停滞の影響を受けて失業率が悪化し、不況に立たされたイギリスに代わり覇権国としての地位を確立したのです。

1920年代のアメリカは“黄金の20年代”と呼ばれる繁栄期に入いり、消費も生産も絶好調で、一般大衆はラジオ・映画・プロ野球などの大衆娯楽を心ゆくまで楽しみ、住宅・自動車も飛ぶように売れる時代を迎えたのです。

アメリカが世界一の経済大国(覇権国)となり得たのは、世界の1%と言われる超富裕層(グローバル資本家) が望む戦後体制(グローバル戦略)の確立であったのだと思っています。

それまでの大英帝国のような、非効率な植民地政策を廃止して、それらの国を独立させて、アメリカを中心とするよりグローバルな社会を作り上げる事が目的だったのではないかと考えます。

by AKIRA Homma (2024-03-24 12:03) 

AKIRA Homma

ええっと。。。
石油にはふたつあると昨日かな、書きましたが、
・チップ = 半導体は、正確には第二の石油です。

また、
ところでスマートフォンを誰が、どの国が作ったのでしょうか?

答えは「欧米日本の先進諸国」です。

つまりスマートフォンの生産によって儲けているのは、欧米日本になります。

日本はしれっと20世紀末から21世紀にかけて、材料工学と生産技術の世界で市場の半分を握っています。

フッ素とかの輸出規制で?な方も居たでしょうが、日本はあの手の精密機器生産に必須な技術の世界の半分を握ってます。

この間ノーベル賞受賞したリチウムイオンバッテリーだって日本の発明です。

リチウムイオンバッテリーを積んでないスマホなんて存在しません。

あと「え???欧州???」とか思うかもでしょうが、スマホのほとんどに積んでるSoCの設計を行うARM社はイギリスの会社です。

例外なのは台湾でしょうね。

高微細加工技術を持つファウンドリはTSMCとサムスンですが、サムスンは生産委託を受けていないので、台湾のTSMCが世界中から最高性能を求めるメーカーの生産委託を受けています。
アップルだってAMDだって今はTSMCのお世話になってるんですから。それに反してるintelは今や冷や飯食ってます。

さて、ここに来て分かるのが「スマホがグローバルサプライチェーンで成り立っている」という事です。

地球上に「一国で完結したスマホ生産を行っている国」なんてーのは存在しません。

ファーウェイはアメリカの制裁を食らって逆らっていましたが、とうとうTSMCとの契約が切れて、来年度からお先真っ暗です。

日本は秒でプラザ合意を経て、世界の工場の座を譲りましたが、中国はどうやら死んでも譲りたくないようです。台湾は中国を見限りアメリカへ寄り添いました。

米中経済戦争突入とか言われてますが、その辺りは史的に未知の領域なんで、何とも言えませんが…第一回戦の対ファーウェイ戦を見るとまあ、中国が勝てる道理無いですね…

一応実は今の中国の立ち位置にあったのが1970年代の日本で、例えばバック・トゥ・ザ・フューチャー2の「日本経済に支配されたアメリカ」という未来は当時の彼らの危機感の表れですが、今また同じ事をやってるのを見てるとどうしても苦笑してしまうのは私だけでしょうか?

繰返しますが日本は、半導体生産に再び全力を傾ければ必ず復活できます。

がんばれ、経産省。
財務省に負けるな。

by AKIRA Homma (2024-03-24 12:32) 

AKIRA Homma

人類の歴史では、哲人政治家は三人しか居なかったそうです。
私はふたりしか知りません。
すなわち、

・マルクス・アウレリウス
・李登輝
です。
李登輝は日本国籍でした。

shimaさん

「李登輝の箴言」を読まれましたか?

by AKIRA Homma (2024-03-24 12:38) 

AKIRA Homma

李登輝は日本国籍から台湾国籍になりました。

shimaさん

私はshimaさんの、おそらく東京時代最後の賃貸のお部屋で、shimaさんの部屋にあった雑誌で女優(アダルト女優)の、

浅間夕子

を知りました。
私は今でもshimaさん、いや浅間夕子さんに感謝しています。
何度お世話になったことか(笑)

by AKIRA Homma (2024-03-24 12:43) 

AKIRA Homma

shimaさん

私は来月4月に昨秋一度お会いした知人(女性)とまたデイツをします。
彼女はまだ四十路前だそうです。
でも彼女は結構美形、スタイルも良いでつ。身長もあります。
彼女も私も結婚歴無しです。
私は大学時代から女性に全くもてまへん(笑)

by AKIRA Homma (2024-03-24 12:46) 

AKIRA Homma

私はこのようなエネルギッシュな歌はあまり好みではありませんが、素晴らしい出来栄えだと思います。
阿久悠は、宇崎竜童&阿木燿子の楽曲を聞いて、嫉妬したそうです。
「どうして俺にはあのような詩が書けないんだ」と。

https://www.youtube.com/watch?v=aYblT6ddfK0

P.S.
私は地元の酒場はほぼ卒業しました。
四回ほど私は店外での客とスタッフのもめ事やケンカの仲裁をしました。
「なんだおめえ?」と言われる前に私は警察に電話をしておきましたので、
「そういう難しいお話しは警察の方と長時間人生談義をして下さい」と何度か言って逃げました(笑)


by AKIRA Homma (2024-03-24 12:53) 

AKIRA Homma

私は下記の曲を確か1年近く前に初めて歌いました。
お店はスタッフひとりと客は私ひとりでした。
そのスタッフの方は涙されました。
歌が良かったのだと思います。
おそらくshimaさんの方が私よりも上手く歌えるはずです。

https://www.youtube.com/watch?v=ih6_xNsensA

P.S.
玉置浩〇は、私が30代半ばに聞いた話では、

ア〇ルセッ〇スにはまっていたそうです(笑)

by AKIRA Homma (2024-03-24 12:58) 

AKIRA Homma

shimaさん

下記の二曲は私には無理なのでお願いします(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=FQHHA4SSXtg

https://www.youtube.com/watch?v=G89O7yKHHsk

下記の曲の一番をshimaさん、二番は私が歌わせてもらいますぜ !!!
もちろんお店ではなく、箱(施設)で。。。

https://www.youtube.com/watch?v=HzmKVYNYUDw


by AKIRA Homma (2024-03-24 13:07) 

AKIRA Homma

shimaさん

昨年日本は、LGBT(Q)法案を約2週間で可決しました。
選挙で選ばれた国会議員とは言え、これはかなり問題がありました。
また日本のマスメディアは、

アメリカ内戦勃発(状態或いは危機)を報じておりません。
アメリカの国境のひとつのテキサス州が(不法)移民を毎週ニューヨークへバスで送迎しております。

これは、
LGBT問題、移民問題、マイノリティ問題など多くの問題を孕んでおります。
図、データではここでは示すことが出来ませんが、アメリカ国民の60%くらいがこれらの問題に憂慮している状態です。
世界の警察国家 アメリカなど既にありません。
日本は自力で自国を守らなければならないのです。

平和憲法?
タワケと言いたいのです。
世界中から日本は、
「まだそんな憲法でやっているのか」とバカにされているのです。


by AKIRA Homma (2024-03-24 16:25) 

AKIRA Homma

たとえば日本人は、坂本龍馬などもそうですが、

吉田茂、白洲次郎の虚像、真実をこそ今知るべきなのです。

by AKIRA Homma (2024-03-24 16:27) 

AKIRA Homma

shimaさん

下記は私が約3年前に書いたものです。
翻訳ソフトを使いますとこのような感じです。
川端康成などの文章を少し借りております。

   ETSUSA BLUE

While doing some research on ETSUSA, I came across a statement by both Chomsky and Kunio Yanagida.

The reason why things happen in the world is because of the efforts of dedicated and courageous people whose names are never heard and who disappear from history. It is through their efforts to organise that I am able to speak and write, and to contribute in my own way to those efforts. (Personal letter from Chomsky to Robert F. Barsky, 1993)

Chomsky to Robert F. Barsky, 1993: "I will try to write down some of the remnants of my old trip to Sado next time I have to go there. This island has changed a lot since then, but I regret that this memorable first impression will be lost after I have seen it again. ("A Tour of Sado," in Travels and Legends)
It was on the sixteenth of June, twelve years ago, that I crossed from Niigata to the port of Ryotsu. It was just the beginning of the rainy season, the sky over the Sea of Japan was white and cloudy, there was a quiet big swell, and it was raining little by little. Even so, the ship did not shake, and I could not help thinking that it was a good season to be here. (Ibid.)

 On the 18th of June, Yanagida walked some 30km across the sparsely populated plateau of Sado (as we Sadoans know it), on the occasion of the lunar May Festival. Yanagida must have walked a long way, listening to the sound of rice cakes being made here and there in the houses, and looking out over the afternoon landscape of harsh and beautiful cliffs plunging into the green Sea of Japan. They would have observed "the quiet village organisation of the outer coast, left behind by history" ("Sado no Kaifu", August 1919) and its folk features.

 In what seems to be agreement with Chomsky
I was told of ten places that no one who came to Sado should not go to see, and I left them all behind. (Sado Ichikouki, above)
 In other words, Yanagida had already grasped the methodology of travel, which could be called a belief.

 See also the following remark
In the study of travel there are many faces. In the study of travel, the faces of people, the gossip and the insinuations are not written in books, so you have to go and experience them for yourself. (Ibid.)
 As well as being the reason for continuing his lifelong study of travel, Yanagida also recognised the value of documentary sources.

 After his trip to Sado, Yanagida returned to Niigata and went to the prefectural library, where he rifled through 21 volumes of the "History of Aikawa Prefecture", 10 volumes of the "Chronicles of Sado", and the "Journal of Sado".

Even I could do with a bit of reading. I have no reason to complain about my extravagant spending.

 Like his travels on Sado, Yanagida was trying to discover the traces of a country's cultural movement by looking at people's lives as they really were, in social events such as "people's faces" and "nondescript things", and thinking about the past of the ordinary people who had been left behind by history.

 Chomsky's respect for those who "disappear from history" and Yanagida's efforts to document the lives of the "everyman" are consistent across time and space.

The people who "disappear from history" are the "everyman".

 Yanagida's work was, in a word, to record what was rapidly becoming obsolete and forgotten in the course of modern development. It was, first of all, a way of paying tribute to those things which were disappearing, and, secondly, to preserve the wisdom which might be useful in the future. This method is called folklore, but I think it can be called history in a wider sense.
It is a way of looking at things that are ignored in the textbook history of school education, which is based on literature and focuses on political matters.

 Yanagida did this not just as a scholar, but as a poet, bureaucrat and journalist, deeply involved in reality. In this sense he is a giant.
 I must first know the history of Kunio Yanagida. That's why I got a copy of "Kunio Yanagida Biography" (Sanichi Shobo) from Book-Off Online.

I wrote about my drunken life in a separate article. I have not sent it yet.

 The other day at Coffee Club Niitsu, I was reading "Kunio Yanagida's Biography" when three men stood next to me. I overheard the words "18,000 yen", "optional service" and other words of that kind which I won't mention because some members may feel harassed. I didn't care, I read the biography.

 Yesterday, my friend Kodama left the Open Chat INTERCOURSE again. There are still a few things he said that remain in my memory.
For example, he said, "AKIRA could write something like Confessions of a Mask", "I think he has talent", "Oe Kenzaburo is too difficult to understand" and "Tatematsu Wahei was also good".
They are all wrong.
However, from the point of view of a young man, especially when he was a student, he seems to have read a few literary works.

 Kodama may think that Kunio Yanagida was a folklorist, not a writer. But I wanted him to realise that when he says that Yanagida is not a literary figure, he is already assuming a modern view of literature. I hope Kodama has not read Yanagida. Yanagida is clearly much broader and deeper.

 It is clear that Yanagida's folklore was probably born out of a deep relationship with modern literature. Its gaze is the same as that of modern literature. Yanagida's folklore always seems to be adjacent to literature.
 More than 90% of the collected works in my study are still unread, but looking at the index to the collected works, it is easy to see that from the Meiji and Taisho eras onwards, novelists have received a great deal of material from Yanagida. Oe Kenzaburo's masterpiece, "Football in the First Year of Man'en", which Kodama does not understand, Furui Yushikichi's "Karioujouden Shibun", which I have failed to read, and Nakagami Kenji's "Karekinada" and "Sen-nen no Yuraku", which are very fruitful today, cannot be established without referring to Yanagida's work.

 But things are not so simple.
Yanagida was considerably involved in literature in his youth. He also wrote poetry. His "Tohno Monogatari" (The Tale of Tohno), his most famous work, is not the result of his own travels, but is based on what he heard from an acquaintance. It lacks accuracy as a historical document, but it is certainly a literary work.
It is well known that Takaaki Yoshimoto used the "Tohno Monogatari" to write his "Theory of Common Illusion".
According to my drunken memory, "The Tohno Monogatari" was written in a literary style. The question of why Yanagida adopted the literary style when the movement for unity of language and text had already been almost completed by Futabatei Shimei is a subject for my future investigation.

I was a little tired from reading the biography, so I had a smoke. I couldn't help overhearing the conversation of my neighbours.
 As I told Kosuke, there is a woman at work who I am interested in. It's not that I like her or want to go out with her. I would like to explain the reason and the situation below.

 There will be a bit of Ryokan in another article. Needless to say, Ryokan is not only a great man of ETSUSA, but also a world-famous poet.
  
  I will leave you something as a memento, a flower in spring
      In autumn the leaves of the maple trees

 It is a simple statement of commonplace things, commonplace words, without hesitation, which perhaps touches the very heart of Japan. It is the resignation of Ryokan. It is not without weight.
 I'm glad I got my hands on a copy of the Toyo Bunko "Complete poetry of Ryokan" from Bookoff Online.

  The wind is clear, the moon is bleared, and we are together
      I will dance to the remnants of old age

  Though I may not be lost in the world
      I'm better off playing by myself

 It is impossible to know what was going through the mind of Ryokan. As is well known, he lived in a humble hermitage, wore little clothes, ate little food, played with his children, talked with the peasants, and kept his faith and his literature simple and uncomplicated.
His words, which have survived through the ages, are, I repeat, not difficult to understand.

 He said that he had no memento, no inheritance, and that when he died there would be nothing left, but that even after his death nature would be beautiful and that would be his memento.

  The person I've been waiting for has come.
      Now I look at him and wonder what he is thinking.

 This is a love poem of the aged Ryokan at the age of 68. This is a love poem by an old man, Ryohan, aged 68, who is in the throes of senility and is in love with a young woman of 29, a nun. He is blessed with a beautiful love, and we can see that he is happy to have found his eternal woman, but also that he is waiting and waiting and pining for her.

 Ryokan died at the age of 74. He was born in the snow country of ETSUSA and never left it. We, the people of ETSUSA, are proud of him. I wonder if the people of Niigata Prefecture have forgotten about Ryokan in the same way that the people of old Niitsu, where I live, have forgotten about Ango Sakaguchi, who lies in our town.
 I would like to remind you that the above song was written by Ryokan, who was probably even suffering from dementia, with all his heart and soul.

 I think I met a woman at work, although I cannot put them in the same category.
I don't want to know how old she is, or if she has a family, or anything else. I'm just happy to have met her.

 While we were having a smoke I asked a group of neighbours for some information on the sex scene in Niigata. If there is an opportunity, I would like to report it to Kosuke.

 Two days ago I bought a copy of Saussure's "Lectures on General Linguistics" on Yahoo! When I was in my twenties, I did not understand the importance of Chomsky. Saussure was a failure. I was even warned when I mentioned Chomsky in front of my father before he died.

 But clearly I am convinced. If you have any interest in language, it is quite normal to observe and be convinced that the speaker's mouth produces a substance called sound, which travels through the air and reaches the listener's ears.

The problem is that in the process of this physical and material phenomenon, "meaning" is being transmitted.

 Without going into details, Saussure postulated a "Lang" and Chomsky a "linguistic faculty".
Lang or linguistic competence, it seems, is not yet understood.
That is to say, the question of the process by which we are able to make sense of the act of making sense.

 I don't know if I will have time to read Saussure again, even though I failed to do so when I was drunk at my age, but I bought this book because I thought it would be a good reference.
 Chomsky, who lived after Saussure, developed the theory of generative grammar around 1950-1960. He took on the two problems of generative grammar theory and language acquisition. So far, so good.
Chomsky is not alone in his dislike of the mundane and anthropocentric view that there is no other living being at present capable of using language, and that human brain power is amazing because we use our brains to manipulate language.
How can we explain the ability of a spider to create such an elaborate web?

 It is true that during the last snowfall I decided to do language and mathematics. But then I discovered Kunio Yanagida, and I am in anguish. Everything does not go according to plan, as is the way of the world.
 
 I started to do a bit of mathematics and got a bit involved with Newton. Newton and Descartes were almost contemporaries. Descartes discovered principles in the humanities. I think Newton must have had a plan. But gravity was difficult to capture in language. I haven't read the Principia, but I wonder if Newton thought it unnecessary to write a work like Descartes' Philosophical Principles, since the content is undoubtedly central to modern physics.

 A few months ago, in the winter, the question of language seemed to be a big one for me, but now that I know the unique name of Kunio Yanagida, I am forced to change my working process.

Language, Mathematics, History, Folklore.

I want to understand them in an integrated way. That is my wish.

(Unfinished)


by AKIRA Homma (2024-03-24 16:56) 

AKIRA Homma

shimaさん、いやそれと懸解先輩、土井さんは下記の事実を知っておられたのでしょうか?

https://www.youtube.com/watch?v=miqT_1dZBZA

by AKIRA Homma (2024-03-24 18:09) 

AKIRA Homma

私は、安倍晋三銃撃のニュースを当時ふたり暮らしだった母親とテレビで観ておりました。
認知症の母親も「あまいなあ」と溢したのでした。
これ以上は書けません(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=3NBLT-aV9ik&t=2869s
by AKIRA Homma (2024-03-24 18:12) 

AKIRA Homma

shimaさん

下記の曲はカラオケにはありませんが、高音部は出ませんが歌えますぜ。

https://www.youtube.com/watch?v=x1Zctc-e2dk

by AKIRA Homma (2024-03-24 18:16) 

AKIRA Homma

shimaさん

ボクシング部のI氏?
極真空手のN氏?

私はもう誰にも負けません。
いや、負けるでしょう。
ケンカとは命懸けです。
そのための最低限の準備が私は昨秋ようやく出来ました。

あ、shimaさんとN里氏と私、三人で新井薬師前駅近くの踏切でshimaさんは怖そうなおじいさんにいちゃもんをつけられましたね?
「おまえなにやってるんだ?」
優しいshimaさんは、
「なんにもやっていません」
と答えたのでした。
N里氏は苦笑しておりましたな(笑)

私は今晩久しぶりに酒場へ繰出すかも知れません。


by AKIRA Homma (2024-03-24 18:26) 

AKIRA Homma

shimaさん

私は今宵久しぶりに地元に一軒しかないガールズバーへ伺い、スタッフの好きなバカ話しをして来ます(笑)
K県にガールズバーはありますか?

by AKIRA Homma (2024-03-24 18:28) 

AKIRA Homma

shimaさん

新潟市在住の未婚四十路前のあ〇さんが、今晩時間が空いているそうなので私はこれから地元の駅から新潟駅へ行きます。
独身同士は気楽で良いものです。

by AKIRA Homma (2024-03-24 18:33) 

AKIRA Homma

shimaさん

私は10年くらい前に大卒後心理職をされていた方と知己を得ました。
彼女は確か2年前にミセス日本還暦の部でファイナルまで行きました。
彼女の小学時代の担任は布施明の小学時代の担任もされていたそうです。
ヤンチャだったそうです。
彼女によりますと、
私がファンの若村麻由美の実家はとんかつ家さんだそうでした。
若村麻由美は笑うと歯茎が黒いですが(笑)、笑わなければ良いのです。
そういう訳にはいかないかもしれませんが私は若村麻由美さんとお会いすることはありませんのでどうでも良いです。
私は時代劇「御家人九郎」で辰巳芸者を演じた若村麻由美に見せられたのでした。

ああ、あ〇さんに久しぶりにお会いするので少しばかり身だしなみを整えなければ。。。

by AKIRA Homma (2024-03-24 18:46) 

AKIRA Homma

私は時代劇「御家人九郎」で辰巳芸者を演じた若村麻由美に見せられたのでした

→ 魅せられたのでした

by AKIRA Homma (2024-03-24 18:48) 

AKIRA Homma

shimaさん

もうすぐタクシーが来ます。
下記の動画はいかがでしょうか?

https://www.youtube.com/watch?v=FG9-XfL-Z8s&t=9s

https://www.youtube.com/watch?v=f1h6aFRe1Ug

P.S.
因みに、キアヌ・リーヴスと私はタメ年です。
キアヌはサニー(千葉真一)の大ファンだそうです。

by AKIRA Homma (2024-03-24 18:55) 

AKIRA Homma

shimaさん

居酒屋のお通しとマグロぶつは美味しかったです。
これからふたりして英国風パブのシガーバーへ行きます。

by AKIRA Homma (2024-03-24 20:32) 

AKIRA Homma

スターリンの所業が明らかになったのは、1991年だそうです。

https://www.youtube.com/watch?v=jgjD9sIK36s

by AKIRA Homma (2024-03-26 20:00) 

AKIRA Homma

shimaさん

下記はご参考までに。

今日もいい日に...

※ ※ ※

こんにちは、
PRIDE and HISTORY事務局の折戸です。

突然ですが、質問です。

79年前の今日、ある歴史上の出来事が起こりました。
あなたは、それが何か分かりますか。

正解は「沖縄戦の開戦日」です。

もちろん、ご存知の方もいらっしゃったかもしれません。

しかし、恥ずかしいことに、私のように本土で暮らす

戦後の若い世代は、沖縄戦のことを、ほとんど何も知りません。

それでいいのでしょうか?

現代日本を生きる私たちが、日本を守るため、勇敢に戦った先人を忘れてはいけない…

戦後世代にも、そんな真実の歴史を伝えていくことこそが、私たちPRIDE and HISTORYの使命だと思っています。

そこで、本日のメルマガでは、「沖縄戦」について書かれた西鋭夫 教授の記事をご紹介します。

***

沖縄戦

戦艦大和

マッカーサーが沖縄へ攻撃を掛けるのは時間の問題であった。

沖縄の学童を鹿児島へ疎開させるため、1944年8月18日の夜、「対馬丸」は1661名を乗せ、那覇港を出た。

4日後、22日の夜10時12分、アメリカの潜水艦の魚雷4発を撃ちこまれ、10分後に、1484名の命と共に、沈没した。



太平洋に戦線を拡散した日本軍に物資を輸送できるかどうかは勝敗を決定する要因であった。

そのことを十分理解していたアメリカ海軍は、日本の輸送船2394隻を撃沈した。

この数は日本の民間船の「85パーセント」であり、日本の輸送能力全滅の状態を示す。

日本海軍はアメリカの無数の輸送船の僅か98隻しか沈めていない(尾崎竹一「目頭が熱くなる『戦没船員の碑』」『産経新聞』1998年8月13日)。

1945年4月1日、アメリカ軍は緑燦々とした、美しい沖縄が赤茶色になるほど、猛爆撃をし、海兵隊を上陸させた。

アメリカは、50万人の兵を上陸させる。

沖縄を死守しようと、大本営は日本帝国の最後の切り札、戦艦「大和」を出動させる。

「大和」は、10年の歳月と巨額1億4000万円の工費を費やし、広島県呉海軍港で1941(昭和16)年12月16日、真珠湾攻撃の直後に完成した。

ちなみに、同年の軍事費は国家財政の75.7パーセント。

「大和」は冷暖房完備、エレベーター付、世界最大の6万9100トン。

全長263メートルの不沈艦であり、日本海軍の誇りでもあった。

「大和」があるかぎり日本軍に敗北は訪れないと誰もが信じていた。

「大和」は大日本帝国の象徴であり、日本の精神的支柱だった。

その「大和」は、1945年4月6日、午後3時20分、乗員2774名とともに、燃料4000トンを積み込み、援護する零戦は1機もなく、僅か8隻の駆逐艦と1隻の軽巡を引き連れ、15万馬力のタービンエンジンを全開し、全速力27ノットで、山口県徳山沖から沖縄へ向かう。

この4000トンの重油は日本海軍が所持した最後の燃料だった。


大和撃沈

日本帝国の運命を背負い「菊水作戦」と名づけられた「大和水上特攻隊」は死地へ向かう。

翌朝7時30分、沖縄まではまだほど遠い奄美大島沖の海上で、獲物を探していたアメリカ空軍に捕まる。

「大和」はグラマン戦闘機1000機の猛攻撃に曝され、魚雷12発を受ける。

当時、魚雷1発で沈んだ戦艦は数多くあった。

日本の神々に守られていたかのように「大和」は沈まず、その死闘は7時間にも及んだ。

しかし、午後2時23分、「大和」はついに鎮魂の大爆発を起こし、日本海軍の誇りと夢は、489名の勇敢な水兵と、艦長とともに深い海に消えていった。

援軍の当てもなく、取り残され、食糧、武器、弾薬も乏しい事態にも拘らず、沖縄住民と日本軍は激しく抵抗し、老若男女を問わずバンザイ突撃に加わった。

天皇陛下の住む本土を守ろうとしたのだろうか。

負け軍と知りつつ、「己の誇りと威厳」のため、戦いながら死んでいったのだろうか。
この激烈な抵抗にもかかわらず、3カ月後の6月23日、沖縄は陥落した。


沖縄の最前線で、負傷兵の看護にあたっていた勇敢な「ひめゆり部隊」の若い女子49名も、
摩文仁村の小さな洞窟で自決した。

日本人の屍が戦場に累々と積まれた。
その数、20万人とも、25万人とも言う。

アメリカ兵、4万9151名、戦死。

日本本土の状況は日毎悪化していった。

p.s.

このように沖縄では、日本を守るため、壮絶な戦いが繰り広げられました。

しかし、沖縄県民以外の多くの日本人は彼ら、勇敢な先人たちのことを忘れてしまっているのが、日本の現状です。

果たして、このままでいいのでしょうか?

私たちの未来を守るため、命を賭して戦った日本人のことを知らないままでよいのでしょうか?

2024年…令和の世を生きる全ての日本人に先人たちの真実の歴史を知ってもらいたい…

そんな想いから、3日間限定で、有料講座の一部を無料公開しています。

ぜひ、この機会にご覧ください。

>沖縄戦について知る


PRIDE and HISTORY事業部 折戸俊

==============================

「日本を強く誇り高く希望のあふれる国に」

この信念の元、世界最高レベルのシンクタンク、フーヴァー研究所の元で、西鋭夫教授は、長年研究を進めてきました。

われわれ日本人が知らされてこなかった正しい歴史。
美しいこと、恥ずかしいことも含めた、「本当の歴史」をより多くの人に知ってもらいたい。学んでもらいたい。
そして、日本人としての「誇り」を取り戻してもらいたい。

西教授の研究を支援し、世界に対して日本の情報や考えを発信し、日本に不利な状況ができないように祖国を守っていくこと。

これこそがPRIDE and HISTORYの目的です。

西 鋭夫先生について、もっと知りたい方は、こちらの紹介ビデオをご覧ください。

【スタンフォード密着取材】
西鋭夫が語る“波乱万丈の人生”
https://youtu.be/ccE1hOtt66Q

西教授がCIAにスカウトされた日
https://www.youtube.com/watch?v=vENoWVI6lTE

by AKIRA Homma (2024-03-27 12:59) 

AKIRA Homma

shimasanはご存知でしょうか?

沖縄戦では、14~17歳の少年が動いている戦車の下に爆弾を持って潜り込んだことを。
同じくらいの年の多くの少女達も亡くなったことを。

by AKIRA Homma (2024-03-27 13:01) 

AKIRA Homma

shimaさん

私は昨日3月27日早朝、隣街のゴルフレンジで求人があったので応募をしました。
ネット経由でかなり詳しく職務経歴書を送り、昨夕採用担当から、正式な履歴書を送って下さいと連絡がありました。

下記記事はご参考までに。

今日もいい日に...

https://jp.reuters.com/opinion/forex-forum/2HBVFHFC2JKLFHG5HV3QMD5MNM-2024-03-25/?rpc=122
by AKIRA Homma (2024-03-28 08:09) 

AKIRA Homma

shimaさん

日本のマスメディアの報道は明らかに偏向しておりますが、外国の通信社や新聞社などの日本語版サイトのニュースもたとえば英語版とかなり内容が違っております。
私はある程度誰が何の目的でやっているのか一昨年ようやくわかりました。
データをここでは示すことは出来ませんが。

by AKIRA Homma (2024-03-28 08:12) 

AKIRA Homma

shimaさん

日本ではほとんどまともなニュースが報道されていません。
また外国のメディア(新聞、通信社など)の日本語版サイトもそうです。

下記はご参考までに。

※ ※ ※


★モスクワテロは【闇バイト】だった?!!


全世界のRPE読者の皆様、こんにちは!

北野です。


今回は、3月22日起こった「モスクワテロ」の続報になります。

前回までの話とつながっていますので、まだの方は、必ずこちらをご一読ください。

https://www.mag2.com/p/news/595644

さて、今回のテロについて「イスラム国ホラサン州」が犯行声明を出しました。

そして、犯人自身がとった動画が、イスラム国が運営するアマーク通信で公開されていた。

それで、プーチン自身も、「イスラム過激派の犯行だ」と認めざるを得なくなっています。

『読売新聞オンライン』3月26日付。


〈ロシアのプーチン大統領は25日夜(日本時間26日未明)、モスクワ郊外のコンサートホールで起きたテロ事件に関する政府の対策会議で、テロは


「イスラム過激派によって実行された」

と明言した。

犯行声明を出したイスラム過激派組織「イスラム国」による犯行だと事実上、認めた形だ。〉ーーー

(@しかし、「黒幕」はウクライナ、アメリカと根拠ゼロで繰り返してはいます。)

さて、「イスラム国にしては、挙動がおかしい」という主張もあります。

クレムリン情報ピラミッドのロシア国営『スプートニク』3月27日付を引用してみましょう。



〈元米海兵隊情報将校のスコット・リッター氏は、スプートニクに対し、今回の犯行がISISとは「似て非なるもの」と主張し、次のような分析を示した。

・西側メディアがISIS犯行説の根拠としているアマーク通信が発信したとみられる犯行声明では、実行犯とされるテロリストの信仰告白の合図が左手で示されているものがある。
イスラム教では右手は正義の手、左手は悪魔の手であり、左手での信仰告白は彼らが本物のイスラム教徒でないことを示唆している。

・イスラム過激派のテロリストは通常、天国での永遠の報いを目指し、「殉教者」となる。だが、今回の実行犯が死ぬまで戦わず逃亡を図ったのは、彼らの思想との辻褄が合わない。

・テロリストが「フーリー(72人の処女)」が待つ天国に向かうため、正しいことをしていると認識していたのなら、犯行声明の顔にぼかしがかかっているのにも疑問が生じる。

リッター氏はこれらを考えれば、「彼らは聖戦戦士でなく傭兵だ。

彼らは金をもらって非正規戦争を行ったテロリストで、イスラム教徒は関係のない政治的行為だ」と結論づけた。〉ーー


(イスラム教の)聖戦戦士ではなく、傭兵だそうです。

要するに、「金目当て」とのことです。

これ、どういうことでしょうか?

実をいうと、「イスラム国犯行説」と矛盾していません。

まず、逮捕された実行犯は、「金のため」と正直に告白していました。
『日テレニュース』3月24日付。

〈ロシアのコンサート会場で起きた銃乱射事件で、当局は容疑者11人を拘束したと発表しました。現地メディアが公開した尋問の様子とされる映像の中で、容疑者の一人はおよそ80万円の報酬を約束されたと話しました。〉

〈ロシアメディアが公開した容疑者への尋問の様子を撮影したとされる映像では、拘束された男は調べに対し、50万ルーブル、日本円でおよそ80万円を約束され、人々を殺したという趣旨の話をしていて、テレグラムというメッセージアプリで指示を受けたと話したということです。〉
ーー

「80万円を約束され、人々を殺した」そうです。

そして、「テレグラム」で指示を受けたと。

で、具体的に、どんなテレグラムなのでしょうか?

『中央日報』3月28日付。

〈ロシア・モスクワ郊外の公演場で銃を乱射して無差別攻撃をしたテロ犯は、イスラム極端主義武装勢力イスラム国(IS)の分派「イスラム国ホラサン州」(ISIS-K)のテレグラムチャンネルで募集されたと、スプートニク通信が27日(現地時間)情報筋を引用して報じた。

この情報筋は「特定人物に関する資料が確保された。彼はテロ攻撃を遂行するために人を募集するテレグラムチャンネルの会員だったという同僚の話があった」と伝えた。

また別の調査過程で「クロッカスシティーホール(公演場で)テロ攻撃をした人たちは同じくテレグラムチャンネルで募集されたことが確認された」とし「これはサドイ・ホラサン(=ホラサンの声)というテレグラムチャンネル」と説明した。〉
ーーー

「イスラム国ホラサン州」(ISIS-K)のテレグラムチャンネルで募集されたそうです。

流れをまとめると、

・「イスラム国ホラサン州」(ISIS-K)のテレグラムチャンネルで、「テロ実行犯」が募集された
【 闇バイト! 】

・報酬は、日本円換算で80万円。

・それで、イスラム国の聖戦戦士としては、奇妙な行動をしている。

ということなのでしょう。

タジキスタン人の実行犯たちは、「80万円ゲットできる」という闇バイトに募集し、
143人を虐殺した。

しかし、逮捕されたので、報酬の80万円も受け取れない。

それどころか、何十年も刑務所で暮らすことになる。

本当に、彼らにとっては、破滅的な闇バイトでした。

そして、犠牲になった民間人がとてもかわいそうです。

◆重要PSPR

この世の中には、フェイク情報があふれています。

「米英情報ピラミッド」のウソに気がついた人が、「クレムリン情報ピラミッド」に逃げた。

そしたら今度は、「クレムリン情報ピラミッド」に洗脳されてしまった。

こんなことがよくあります。

世界で起こっている本当のことを知るためには、すべての情報ピラミッドを自由に行き来し、事実を突き止める必要があります。

by AKIRA Homma (2024-03-28 15:01) 

AKIRA Homma

shimaさん

昨日に続いて北野氏のメルマガをUPします。

※ ※ ※


全世界の裏RPE読者の皆様、こんにちは!

北野です。

(@一部書籍、パワーゲームのPRがあります。)


先日、お世話になっているKさんから、

「陰謀論とまともな研究者の違い」について質問されました。

これ、質問されて、はじめて考えてみたのです。

まず頭に浮かんだのは、「陰謀論のようなホントの話もあるよな」ということです。

どういうことでしょうか?

たとえばプーチンが2000年に大統領になった時、「7人の銀行家」と呼ばれる人々が、ロシアの政治経済を牛耳っていました。

7人とは、

・ベレゾフスキー
・グシンスキー
・ホドルコフスキー
・アブラモービッチ
・フリードマン
・アヴェン
・ポターニン

です。

このうち、ポターニン以外の6人は、「ユダヤ系」なのです。
これ、「ユダヤ陰謀論のようなホントの話」です。

プーチンは、このうち「クレムリンのゴッドファーザー」と呼ばれたベレゾフスキーと、「ロシアのメディア王」と呼ばれたグシンスキーを退治しました。

ベレゾフスキーはイギリスに、グシンスキーはイスラエルに逃げたのです。

さて、当時ロシアの石油最大手だったユコスのCEOホドルコフスキーは、「このままでは俺もやられる!」と恐怖しました。

それで、ジェイコブ・ロスチャイルドと共に、「オープンロシア財団」を立ち上げることにしたのです。

ジェイコブ・ロスチャイルド・・・・・。

こちらも「陰謀論のようなホントの話」です。

グローバリスト・国際金融資本のジョージ・ソロスは2003年、グルジア革命を支援しました。

このこと、革命で失脚したシェワルナゼ元大統領が証言しています。

これも、「陰謀論のようなホントの話」です。

これらの事実、山盛り証拠はありますが、メルマガでは長くなるのでいちいち提示しません。

「山盛り証拠」に興味がある人は、私の過去本をご一読ください。

どの本にも、「陰謀論のようなホントの話」満載ですが、たとえば集英社から出版されている

◆『日本人の知らない「クレムリン・メソッド」世界を動かす11の原理』

詳細は↓
https://amzn.to/3IYL414

は、特に「陰謀論のようなホントの話(証拠つき)だらけ」だと思います。

さて、「陰謀論者とまともな研究者」の違いは、「事件に対するアプローチ」だと思います。

「陰謀論者」の人たちは、調べる前から「結論が決まっている」という特徴があります。


プリゴジンが死んだ。

陰謀論者「ディープステイトの仕業だ!」


ナワリヌイが死んだ。

陰謀論者「ディープステイトが殺した!」


モスクワでテロが起こった。

陰謀論者「ディープステイトが起こした!」

なんとなく理解できると思います。

主体はディープステイトだったり、ユダヤだったり、フリーメイソンだったり、ロスチャイルドだったり、ロックフェラーだったり、いろいろあります。

ただ「陰謀論者は最初から結論を決めている」という特徴があります。

では、「まともな研究者」はどうでしょうか?

たとえば、私は3月22日にモスクワテロが起こった時、考えられる犯人を三つあげました。

1、イスラム国
2、ウクライナ
3、プーチンの自作自演

皆さんご存知のように、私はウクライナ戦争に反対しています。

まず善悪論で、「国際法違反の悪」である。

(同じ意味で、私はイラク戦争も、「国際法違反の悪である」と書いていました。
つまり、プーチンが嫌いだから「悪だ」と書いているわけではないのです。)

そして、勝敗論で、「戦略的敗北必死の悪手」である。

要するに、プーチンがやっていることに反対なわけです。

しかし、だからと言って、私は「プーチン陰謀論者」ではありません。

もし私がそうであれば、3月23日には「あれはプーチンの自作自演だ!」と主張するメルマガを出したことでしょう。

私が陰謀論者だったらそうするはずです。

しかし、3日間調べてみて、「イスラム国の犯行で間違いない」という結論に至りました。

どうしてそうなったかは、こちらの記事をご一読ください。

https://www.mag2.com/p/news/595644

まともな研究者は、「最初から結論ありき」ではありません。

事実を収集することで真相にたどりつくのです。

そして、時々「陰謀論のようなホントの話」にたどりつくこともあります。

それで、私がそういう話をするときは、「こういう証拠がありますよ」と提示することができます。

しかし、「最初に結論ありきの陰謀論者」は、ロジックだけで、証拠を出すことができません


「陰謀論」というのは、映画やドラマのように「面白いもの」です。

しかし、それを妄信してしまうと、人生にさまざまな問題が起こってくる可能性があります。

私が言いたいのは、以下のようなことです。

皆さんが信じている人は、何が起こっても、「これは〇〇の仕業だ!」と証拠なしで同じ結論を繰り返していませんか?

つまり、調べて真相にたどりついたのではなく、「最初から結論ありき」なのではないですか?

そういう人は、「悪い意味での陰謀論者」なので、注意が必要です。

by AKIRA Homma (2024-03-29 11:03) 

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