■サルトル『出口なし』 samedi 2 septembre 06 [■Cinéma et Musique]
青山の観世銕之丞家・銕仙会で行なわれた、サルトルの「出口なし」 Jean-Paul Sartre "Huis Clos"を観に行った。
初演は1944年ドイツ占領下のパリ。その閉塞状況を地獄の一部屋に設定したとみることができる。勿論その見方は正しいのであろうが、60年の時代を経たいま顕現するのは、死んだ生として無限の時を他者のまなざしのもとで生きねばならない無間地獄、人間の実存の相克の際立ちである。最早死んでしまった生には、生の企てとしての未来は存在せず、不断の対他存在しかない。他者は存在する必要はない、他者のまなざしを自己に内在させる地獄としての対他存在。それは閉塞した現代社会においてこそ顕著に現れる。現代社会にこそ、ガルサンの「地獄とは他人だ」 "l'enfer, c'est les Autres." という言葉 は生きているのである。
能舞台で演じるからだろうか、サルトルの脚本で設定されている第二帝政式サロンの長椅子などは撤去されており、出演者の服装もエステルのドレス姿以外は地味なものであった。故に脚本も手直しされており、台詞も前半は変えられていた。それでも一時間以上に亘る空間は緊張が保たれていた。
銕仙会は客席正面、脇とも畳敷きの造りで舞台との親近的空間が生まれている。戦前の能楽堂は宝生能楽堂以外畳敷きに升席だったそうだが、現在は珍しい造りになっている。現代の認識論で見るならば、その親和性が却って能の緊張感を消散させてしまっているのではないか。能舞台と客席には「結界」が在ってしかるべきだろう。ただ、芝居の場合その共犯関係が楽しい。
残念だったのは、橋掛かりから囃子座にかけて演者が通るたび軋んだことだ。具象を排除した空間では見る側も<聞こえない>ものとして雑音を聞いているが、やはり、気にはなるものだ。銕仙会の方たちは気にならないのだろうか。
SARTRE X NOH 09/02→09/07 2006
演出・Guillaume Gallienne
Inès:Martine Chevallier イネス:マルティーヌ・シュヴァリエ
Garçin:Thierry de Peretti ガルサン:ティエリー・デュ・ペレッティ
Estelle:Anne Bouvier エステル:アンヌ・ブーヴィエ
Le garçon:Nicolas Le Riche ボーイ:ニコラ・ル・リッシュ
Huis Clos Suivi De Les Mouches: Suivi De, Les Mouches (Folio Ser.: No.807)
- 作者: Jean-Paul Sartre
- 出版社/メーカー: Gallimard
- 発売日: 1964/12
- メディア: ペーパーバック
表参道駅に、噂の Britney Spears の妊娠写真の広告があった。パリのメトロの一枚広告と同じ大きさ。「猥褻」という定義よりは趣味悪ーっという感じ。興味湧かなかった。
TBどうもありがとうございました。
床の軋みはやはりちょっと気になりましたね・・・。
この記事とは関係ないんですけど、今年の早稲田ラグビーには私も注目しています。シーズン中は毎週のようにラグビー場に通っていた頃から既に丸8年以上経ちますが・・・、中竹さんには頑張ってもらいたいです。
by はなはな (2006-09-03 16:18)
コメントありがとう。
オックスフォード戦どうにか勝ちました。
中竹監督、学生の頃から頑張ってる選手でしたね。名将の後で大変でしょうが、頑張ってほしいですね。
by 懸解 (2006-09-17 18:19)