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●点字を読む女性   14 janv.2000 [■vie]

地下鉄で電車を待っている時である。隣に並んだおばさんから、なにやら生暖かそうな、それでいて懐かしい香りがしてきた。最初は何か分からなかったが、記憶を辿るとそれがケンタのポテトのかおりだと確信した。その場で食べれば分からないが、テイクアウトして持ち歩くときにポテトから出る湯気のためしっとりとし、イモのかおりがしてくる、あの匂いだ。そのおばさんには悪いが、待っているときはどうでも良いが、電車の中で隣り合わせだったら少しヤダなと思った。

電車が来て、車内を見るとすいていたのでほっとして、ここなら隣り合わせにならないだろうという所に座った。そうしたらそのおばさんが、ごく自然に隣に腰を下ろした。僕は「ウソッ」とちいさな声を出してしまった。勿論そのおばさんになんの非もないのだが、あと数分イモのかおりか、と少々憂鬱になった。イモのかおりにまみれて数秒間ボーっとしていたら、そのおばさんがカバンを開けた。カバンの中からそのなつかしの香りは一面に漂った。そして一冊の本らしきものを出して読み始めたのだ。そりゃーないゼ、おばちゃん。ポテトの香りを嫌うほど僕の嗅覚の記憶は貧困じゃないと思うが、暖房を利かせた地下鉄の中でアンモニアの香りが漂ってくれば、そこはパリのメトロ! イモの香りだからトウキョー。それもいいかな。

そして、一駅くらい過ぎた頃そのおばさんを見たら、白いページの本を読んでいる。なんとこのおばさんは、なにも書いていない真っ白のページを食い入る様に読んでいるのだ。日本にもこの様な哲学的おばさんがいたのだ。ハッキリとすげーと思った。でも少し無気味になった。電車の中で般若経を読んでる人はよくいるが、なにも書いていない白い紙を読んでいる人がいるのだった。しかし、それがあまりに無気味なので、もう少しよく観察してやろうとして、そのひとの服装や、髪などを覗き見た。そのときに分かったのだ。その人の読んでいるのはただの白紙の本ではなかった。点字がパンチングされた冊子だったのだ。その人は触らずに、点字を読んでいたのだった。

形式に拘泥することなく本質的仕事に向かうこと、方法論は対象によって変化し自由な形式であるべきだ----そう感じさせた女性だった。翻って放言癖があり思慮深さに欠ける俺には、自省すべきことの多い数分間の経験になった。

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