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■実存主義と現象学/メルロ=ポンティと『知覚の現象学』 samedi 9 juin 2012 [■Pensée]

加賀野井秀一さんの「20世紀思想の再検討 第1期実存主義と現象学 第5回メルロ=ポンティと『知覚の現象学』」

◆フッサールにおける「自然主義的」態度と「自然的」態度
 エポケーの後、「超越論的主観性」による「世界の構成」

『知覚の現象学』
1.世界に帰属する存在
 ハイデガー「世界―内―存在」(In-Der-Welt-Sein)
 サルトル <ê
tre-dans-le-monde>直訳
 ポンティ <être au monde> 帰属をあらわす前置詞<à>をもちいる。なによりも知覚世界として現れる。
 「われわれはわれわれの身体によって世界に内属し、われわれの身体によって世界を知覚する」
2.自己の身体
 身体の位相が、事実性として世界に属していること。知覚する身体はそれ自体、知覚されるものとして世界のなかに存在する。主体と客体は二元論に分離されず、ゲシュタルト的に、初めから全体的な関係として<現象的身体>としてある。
 私という意識が、自己の身体による受動的な総合を「地」とする「図」として理解される。
 「私が知覚する」のではなく「ひとが私において知覚」し、デカルトのコギトに還元されない、「私はできる」という実践的なもの。
3.射影
 「触れる手」と「触れられる手」の身体の転換。


廣松渉さんの、「メルロ=ポンティ<外篇>メルロ=ポンティと間主体性の哲学」と「フッサール現象学への視角」(「廣松渉著作集」第7巻)を読みましょう。


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