■斑鳩散策 dimanche 12 novembre 2011 [■旅]
二年ぶりに斑鳩法隆寺を歩いてきました。今回の目的は斑鳩散策と、春と秋に公開される夢殿の救世観音像を拝観することです。
例によって7時前の新幹線で東京を発って、10時半に法隆寺駅のひとつ前、大和小泉に降り立ちました。
まず世界遺産の法起寺に向かうのですが、ここから法隆寺方面へ向かうような人は人っ子一人、誰もいません。ちょっと「ドヤ顔」で、俺は知ってるんだぜという優越感。が、法起寺まで予想以上に長い距離。道も分かりづらくやっとたどり着く。歩く人なぞ昭和初期の人間だけです。
田園の中に佇む法起寺の三重塔は、706年に建立された現存するわが国最古の三重塔で国宝です。木造十一面観音菩薩立像は重要文化財。寺の周りはコスモスが咲き溢れているのが印象的な村の古寺という感じです。
つぎに向かったのが山背大兄王が建立したともいわれる法輪寺。
イチジクの栽培されている(この地方はイチジクが名産なのか?)斑鳩の田園地帯をすこし行くと大勢の人たちが集まっており、法輪寺というのはこんなに人気のある寺なのかと思ったら、村の人たちのフリーマーケットでした。伽藍に入ってみれば、伽藍前の広場と比べ静かな佇まい、というか閑散としていました。法輪寺も三重塔があるのですが、国宝指定だった塔は昭和19年に落雷で焼失、現在の塔は昭和50年に西岡常一棟梁のもと再建されたものということです。
講堂に安置された仏像は飛鳥・平安のものが多く、法隆寺の仏像との関係が想起されるものばかりでした。そこでひとつ気になったのが、他の立像が中央の台座に安置されているのに対し、ひとつ隅におかれた「楊柳観音菩薩立像」です。薬師如来や虚空、十一面観音、弥勒菩薩立像が重要文化財に指定されているのに、この菩薩様だけが疎外状態。普通立像は自然体で屹立しているのが多い印象がありますが、この菩薩は右ひざを柔らかく曲げ静かに歩き出さんばかりの仕草です。これを以って「楊柳の風になびく」と解されているのでしょうが、運きがある菩薩像は魅力的なものです。これは現代人の視点からみた嗜好になるのか、私個人の嗜好なのか判りませんが、流体は1400年前の仏師にも表現すべき事象だったように思います。
それから、本日のメイン、夢殿に廻ります。
一昨年来た時に開扉の日にちを逃した「救世観音像」を拝観することが出来ました(35年ぶりでしょうか)。
この立像は聖徳太子等身の178.8センチということですが、仄暗い厨子の奥に安置された観音像は想像よりも小さいく感じられ、「救世観音」という名を冠せねばならない時代精神の逼迫感に圧倒されました。勿論それは現代からみた時代認識でしかありませんが、飛鳥仏とそれを見る現代に文化的乖離を前提としながらも、同一類似性を見出さざるを得ない状況を我々はどう認識したらよいのか、黙だすしかない時代閉塞のなかに佇立する現代とはいかなる時代なのか、1400年の時の文化の連続と断絶を考えさせられます。
(救世観音の光背は、仏像の頭部から釘を打たれ直接設置してあることから色々な言及がなされていますが、そのことは今は無視しています)
▼夢殿。奥に救世観音像がある
そして、間人皇后の御願で建立された中宮寺。
漆黒の菩薩半跏像(如意輪観世音菩薩、半跏思惟像)に益々黙考。
法隆寺西院伽藍に今日初めて入る。
年に一度11月13日大講堂で行われる「慈恩会」。大講堂に向かう僧侶をみたあと、金堂の釈迦三尊像を拝観しようとしたが修学旅行の学生集団に敗れて断念。前回は学生の背中からどうにか拝観できましたが、この次は平日の午前中を目指して再訪せよとの命なのでしょうか。受けて立ちましょう。
▼五重塔
▼金堂
▼大講堂前に置かれた沓。これに履き替えて大講堂に入る
▲ここで履き替える
最後に、大宝蔵院に廻り、「百済観音像」を拝観。
何度観ても何処で観ても、百済観音の優美な姿はしなやかな流れの中に安寧を感じさせ、時間を忘れて何時までも観ていたい欲求に囚われます。
▼謎
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