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■「夢千代日記」      Samedi 17 juillet 2010 [■Cinéma et Musique]

大見ちゃんに借りて来た、『夢千代日記』(早坂暁・作・脚本、武満徹・音楽 NHK1981年2月15日-3月15日 全5回)を纏めて観る。

広島で胎内被爆した夢千代(吉永小百合)さんが付けている日記の朗読で静かに進む。夢千代が営む
置屋「はる屋」の女性たち、山陰の温泉町の人々の姿、夢千代の原爆症の恐怖を通奏低音として、早坂暁さんが丁寧に描いている。

「はる屋」に籍を置く芸者一人ひとりに痛切な過去がある。
川崎でソープに行けという情夫を絞殺した市駒(片桐夕子)、心中で男を喪った金魚(秋吉久美子)、子宮癌に侵されている千代春、両親を亡くした足の悪い小夢、女中スミ(夏川静枝)にも……、一人ひとりの人生が重く悲しい。未成年の小夢をつれて来た偽医師木原が、足の悪い人間は芸者以外になるものが無いと夢千代にこころなくも言い放つが、女性たちの寂寥は社会から疎外され、男から貶めれたものなのだ。それを好転させる術は全くない。彼女たちにあるのは絶望だけなのである。

そして鏡面のように存在する男たち、追及する刑事にも、乳児を斡旋する無免許の偽医師にも物語を浮かび上がらせる。はる屋を買収しようとする暴力団にさえも、被爆後に夢千代の母に世話になった男を配置する。

夢千代は、餘部橋梁(余部鉄橋)を越えて裏日本から逃避していく木原と千代春の道行きに、また、金魚と木原から斡旋された娘アコの二人に、「みちづれ」という言葉を想起する。小さな温泉町で生きている人たちの繫がりに使われる「みちづれ」という言葉は、現実が辛ければ辛いほど、なんと温かい言葉ではないか。早坂さんは置屋はる屋に身を寄せる女性たちの生活に「みちづれ」という共同体をみているのだ。

この物語に悪意や憎悪は存在しない。しかし、何時散り散りになってしまうかもわからない悲しみと諦念が横臥している。そしてそれは、ほんの少しの善意の情で結ばれているのだ。

大音量を使わず、尖鋭化された音で心象情況を表す武満徹さんの音楽はこの作品でも冴えている。緊張感の続く場面に武満徹は無音でも有音でも対処できるのではないか。

学生のころ胸が張り裂けるような思いで見たが、30年たってまた同じ思いで見ている。30年進歩が無いんだな。BSで放送したのを録ってある人もいますが。


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夢千代日記 [VHS]

  • 出版社/メーカー: 東映ビデオ
  • メディア: VHS


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