■リヒテル「平均律クラヴィーア曲集」 dimanche 7 juin 2009 [■Cinéma et Musique]
バッハの「平均律クラヴィーア」全48曲をやっているTクンから、スヴャトスラフ・リヒテルの「平均律」を借りてきた。
これまでグールドしか聴いてこなかったので、このリヒテルはショックだ。もちろんグールドの方が異端視され、正統なクラシック音楽の中にある「平均律」が、このリヒテルなのであろう。
リヒテルの録音でまず気づくことは、グールドがペダルを使ってないのに対し、リヒテルはペダルを使っていることだ。それだけでも印象は大きく変わってくる。グールドはペダルを使わないことで、こう言っている。
「《対位法による野心》号というすばらしい船は、ペダルを過度に使用すればロマン派式レガートによる修辞の岩礁で難破の憂き目に遭うことはまず避けられないだろう。最低限そのことは頭にいれておかなければならない」 (「フーガの技法」『グレン・グールド著作集1』 みすず書房 1990年)
逆に、自分でも幼年時代からピアノを弾いて、「平均律」もずっとリヒテルで聴いてきたTクンは、グールドの「平均律」はある種のカルチャー・ショックで、最初のアベ・マリアから腰が抜けたそうだ。
リヒテルの録音は、ザルツブルクのクレスハイム宮殿で行われている。そのぶん音が籠もってしまっているのは残念だ。一音一音が宝石のよう煌いているグールドの「平均律」からみると、リヒテルの音は古色蒼然とした古い時代認識の音を聴かされているように感じる。その様は、まるで古典主義時代から蘇った怪物のようだ。
(2009年11月に刊行された、文春新書『新版クラシックCDの名盤 演奏家篇』で、福島章恭氏は「霧の中から真実が浮かび上がるような神秘! 早朝の礼拝堂で祈りを捧げるような敬虔さに激しく胸打たれた」と賛辞を述べている。マニ教的二元論でなく、もう一度リヒテルの平均律に向かえということなのだろう)
何枚かあるリヒテルのCDは全く違和感が無いのに、バッハはこうも違うのか。これは僕の問題なのか。混乱をそのままにし両者の解釈を受け入れるべきなのだろう。一度に全曲聴き切ることは到底出来そうもないので、グールドの「平均律」に補助をして貰いながら聴いていこう。
バッハ:平均律クラヴィーア曲集 全曲
- アーティスト: リヒテル(スヴャトスラフ),バッハ
- 出版社/メーカー: BMG JAPAN
- 発売日: 2002/08/21
- メディア: CD
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