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■国宝 阿修羅展  mercredi 29 avril 2009 [■vie]

国立博物館に「興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展」を観に行く。

天平時代の傑作乾漆像として名高い「阿修羅立像」、その阿修羅も範に含まれ、釈迦に教化され
仏教保護の「天」(インドの神)となった「八部衆像」、釈迦に随伴した高弟である「十大弟子像」(出展は興福寺に現存する6体)、いずれもその写実性は高く、実在の人間の機微がまざまざと活写されている。

「阿修羅」は、鷲が神格化された「迦楼羅(カルラ)」や、<甕のような睾丸をもつもの>を意味し象皮病をイメージするという「鳩槃荼(クバンダ)」など奇異な相貌をもつものや、「沙羯羅(サカラ)」「五部浄(ゴブジョウ)」など、現代的認識論で言えば少年のような顔をもつ他の「八部衆」と比しても、三面六臂の奇怪にも拘わらず、ひとり甲冑を着けず幼さの垣間見える姿でこの1300年間仏敵と闘ってきた訳である。
奈良の時代から日本人はこの奇怪を忌避せず、逆に愛敬を持って接してきたのも修羅の中に見える無辜の容貌ゆえであろうか。美的認識の位相においてこの様な超越論的自我を形作って来た日本人の精神性に深い愛着を感じるばかりだ。

「阿修羅」を除く「八部衆」と相対する形で展示された「十大弟子」は、智慧、神通、頭陀、解空、説法、論議、天眼、持律、密行、多聞の10の優れた能力を分かち持つ高弟の姿が、まさにリアルに現われいる。「八部衆」の持つ、どちらかと言えば観念の世界の描写が、高弟たち人間一人ひとりの実在の表情で読み取ることが出来る。各々に長けた能力を知って拝すると、如何にもそのような容貌に見えてくるのが、作者の力量であり(見る者の劣等は凌駕し)、真正でもある。特に、福与かなお顔に聡明な眼差しを湛える「須菩提」像には、真理が齎す安寧が感じられた。「須菩提」の能力は解空(空を解すること)であるから、「知」という意味では同一のものとも解釈できよう。


「阿修羅展」の喧騒の後、本館の常設展をゆっくり廻り、久しぶりに日本の美を介して日本の精神と対峙する機会を楽しんだ。(対峙する機会は持っても、こちらに問題多く、対話にはなってません)
季節の展示では、「国栖(くず)」で使われる装束、「狩衣 紺地雲龍丸模様」(江戸期)、「舞衣 紅地丁字立涌牡丹模様」(江戸期)が展示されており、貴重なものを見ることができた。

また、「法隆寺宝物館」では献納宝物である観音菩薩立像、半跏像が整然と並べられ、側面から観て痩身がうっすらと美しい7世紀の立像と、ちょっとお太りになって立派な奈良期の立像の比較を堪能できた。

1.JPG

2.JPG

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阿修羅像

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須菩提

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カネゴン像

 


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