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■「弱法師」     dimanche 10 fev.08 [■能狂言]

観世九皐会・2月定例会、神楽坂・矢来能楽堂。
能「絵馬」(シテ・弘田裕一)、「弱法師」(シテ・観世喜正)、狂言「入間川」(シテ・三宅右近)
「絵馬」は伊勢神宮の絵馬の行事を題材にしている段と、「古事記」の天照大神の天岩戸隠れを題にした急の段とに別けられる。ともに春の訪れと泰平の世を現すお目出たいものを一本化した作であった。しかしながらこのような説明的な能はよしあしの対象外になってしまう。
「弱法師」は継母の讒言に因って放逐された盲目の少年が無事に父親と再会し里に帰るという、現在演じられているお能の中でも有名な演目である。悲しみで盲目となり乞食の境涯に堕し、弱法師となった身は極めて不安で哀れに舞われなくてはいけない。四天王寺の鳥居を探り当てる場面や梅の花の香りを利くところなど観世喜正師は上手に演じておられた。そのうえで付言すれば、先代の観世喜之師は鳥居の柱を抱くように探ったと仄聞する。喜正師も杖を探すところなど這いまわるくらいに演じても良かったのではないか。各自の演じ方の違いだが、それくらい自由に自分の色を出してもよいだろう。

ひとつ気になったのは、通俊(父)と弱法師(俊徳丸)が梅の花弁でやり取りする場面。シテ「花の香がきこえ候」、ワキ「マガキの梅の花、弱法師が袖に散り掛かかるぞとよ」、シテ「うたてやな難波津の春ならばただこの花と仰せあるべきに」と続くところ。最初のシテの「花」を「ウメ」と発声してしまったのではないか。そうなるとワキが「ウメ」の花だと盲目の弱法師に教えても、次のシテの「うたてやな」に続かなくなってしまう。これでは、難波津なら「花」は「梅」なのに興ざめだというシテの悲痛が消えてしまうのだ。
これは我々の誤りであろうか。

「弱法師」の笛は八反田智子さんでした。観世能楽堂の例会で女性の笛方が舞台に上がったのを見たのは初めてでした。見る方にとっては全く男性と遜色無く、肺活量だけで押す男性の笛より繊細でよい。増して「弱法師」には適した配置と積極的な評価が出来る。

 


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