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■観世喜之師「隅田川」     demanche 28 oct.07 [■能狂言]

国立能楽堂で行なわれた、「坂真次郎 一周忌追善能『東国夢幻』」に行く。
まず林望氏による「『あづま』とは何か」と題する、京都中心指向に起因する関東の言語の想像力の問題について、短い話があった。徒歩しか移動手段がなかった時代の京都・関東の間の異文化の位相は言語にも影響を及ぼすことは、言語の獲得と脳の発達の課題とはことなるが、想像力に社会が及ぼす問題として考えると興味深い。

お能は観世喜之師の「隅田川」と、故坂真次郎師の子息真太郎師の「融」。狂言は野村万作師の「簸屑(ひくず)」。
「隅田川」は、我が子(梅若)の行方を尋ね京都から東国にやって来た母親が、隅田川の渡し舟の上で子供が亡くなっていた事を聞かされる。母親が無常を嘆き、弔いのため念仏あげるのであるが、最後に塚から子供の念仏の声が聞こえてくる。母親は子供を抱こうとするのであるが、それは所詮幻でしかなく、するりとかわされてしまう。シテ方の観世喜之氏が子方を抱擁しようとする時、ふうわりと逃げる儚げな動きは、観ていて胸を掻き乱されるような心情になる。

謡曲本で「隅田川」を読んだ限りではここまで感情が高ぶる作品には思えなかったが、喜之師と子方の動きを視覚的に見ることによってそれまでに無い作品となって浮かび上がってきた。子方の危なげな発声・動きは観ている者を視覚的に情緒不安な領域に誘い込んでしまうのだ。それ対して子方の登場しない演出方法もある。これは我々の想像力に訴えかけ、観る者の力量を測られることになる。(野上豊一郎氏の示唆によって、金春流の桜間弓川(きゅうせん)師が子方なしの演出をした。1923年2月)

ハンカチで頬を押さえているご夫人がいらしたが、一人で見ていれば僕も落涙したかもしれない。

「融」は坂真太郎師の動きが今ひとつ緩慢に思えたのだが、それこそ我々の力不足が露呈してしまったのであり、一層の勉強が必要であろう。想像力が試されているのである。


千駄ヶ谷 国立能楽堂

・終演後は新宿へ戻り、末廣亭の近くに潜入。

 


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