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■シモーヌ・ヴェーユ    dimanche 2 mai 2004 [■Pensée]

スピヴァクのフーコー論を読もうと出してきた「現代思想」(1999年7月)に、冨原眞弓氏の Simone Weil 論があった。「無防備都市」宣言してパリを明け渡した、フランスの〈根こぎ〉崩壊した精神を、「近代文明がその毒もろともに」「どこよりもこの国に深く浸透していた」(『根をもつこと』)と指弾するのは痛快である。フランスが闘わずしてパリを開城したのは、ナチの残虐性に目を瞑ったからではなく、フランス・ドイツの同根性があるからであるとの指摘はまったく正しい。ユダヤ人排斥に関してヴィシー政権が執ったのはナチの手先でしかないのだ。
ヴェーユは、「前線看護婦部隊編成計画」なる女性応急処置部隊の設置を計画、ド・ゴールに一蹴されていたということだ。しかし、素人の精神主義的で軍事評価ゼロの隘路に迷い込んでいたのは、仮令それがユダヤ人の現実参加だとしても、刹那的であり驚きである。

パリの「無防備都市宣言」にかんして、雑誌「諸君?」で渡部昇一が、南京はパリのように無防備宣言しなかったのは愚かである、と言っていた。フランスの国民精神の崩壊が如何に正義に対して欺瞞であるか、それにより齎されたユダヤ人虐殺の加担というところに観点がまったく届いていない。この引退した英語学者(であったか?)は、日本の南京大虐殺を否定しようと、南京がパリのように降伏しなかったということでまで難癖をつける。その論からいけば、日本軍の残虐行為の原因は敵対行為があるからであるという、「侵略」行為を無視した、まったく論理の成り立たないことにより正当化させるしかない。何故日本が中国にいたのか、朝鮮にいるのか、台湾を植民地化しているのか、その根源的な日本の帝国主義的 視座を糊塗した論理である。


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