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生命の連続    mardi 13 fev.2001 [■vie]

日曜日と月曜日に観たテレヴィの、別の番組の、別の出演者から、偶然同じ言葉が発せられた。二本とも再放送で本放送の時期もまったく違うのに言っている事は同じ事なのだった。

まず、日曜観た「悲しみとともに生かされて」では、作家の高史明さんが中学生だった息子さんの自死を語るときに言った言葉。中学生になった息子さんに、「自立すること、そして、人に迷惑をかけてはいけない」という二点を言ったが、その生を生かされている、前提としての繋がり、連続性を教えなかったという自責の言葉。そして、その死んだ息子さんと語ることにより得られた、「連続」の概念だ。その反復は氏が言うところの親鸞『歎異鈔』の「まず有縁を度す」という言葉よりも、ニーチェ的永劫回帰のようだ。

そして、月曜の深夜に再放送していた物理学者、柳澤桂子さんの「いのち再び」。30年以上にも亘る原因不明の大病と、ついに自分で食品を取れなくなった身体、そこから帰結した自ら尊厳死を選ぶという最終的選択、そのあとの神経系の伝達異常に投与する薬品の使用による、まさに奇跡といえる回復。沸き立つような喜びや歓喜というよりも、淡々と生活を噛締める喜びの場で静かに「命はつながっているのです」という。初めて庭に出て、孫の吹くシャボンとたわむれる物理学者がいう「生命の連続」という言葉は、DNA研究が進んだ現在だからこそ難解な問題として自立するといえる。

このジャンルの異なる二人の方が、まったく同じ「命は繋がっている」という言葉をつかって生と死を語るというところに、21世紀のテクノロジーとフィロゾーフの融合した知の在り方の雛型がみえる。

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