2015-03-12 [■vie]
私たちは今、あの日の体験を東京にいた者として友人と話し合っています。地震の恐怖、帰宅の混乱、翌日から支援のために忙殺されたことなど。それまで東京に住み散逸的な集合体だった私たちは、共通の体験をしたことによって共同体の認識が、緩やかではありますが出来るように感じました。
しかし、津波被害にあった人たちは、ひとりの一個の存在として母の死、父の死、妻の死、夫の死、娘の死、息子の死、家族の死をみています。傍観者である私たちはそういう人たちの前では無力です。しかし、私たちが彼女たちの消え入りそうなことばを少しでも聞くこと、いや、辛いでしょうが少しでも語ってもらうこと、それが共に生きていく術となるのは間違いないでしょう。
2万人という統計に載らない、名前を持つ一人の人の死を知ることは、その人と共に生きていた人のことばから始まるのです。そしてそれが亡くなった方の「生」を知ることになるのでしょう。
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