SSブログ

■「風立ちぬ」と「ホモ・ウォラント」     mardi 20 aout 2013 [■Cinéma et Musique]

宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観に行く。

ゼロ戦の設計者堀越二郎氏の「飛行機」にあこがれる幼年期からゼロ戦開発前夜までの前半生を、堀辰雄「風立ちぬ」のエピソードで翻案した物語だという。

飛行機への憧憬と開発が同時に描かれているのだが、その飛行機が「戦闘機」であるという葛藤が描かれている訳ではない。堀越二郎氏の飛ぶことへの憧れは、夢の世界に登場する飛行機設計の先達カプローニとの語りで増幅される。それによって飛行機への思いは十分伝わってくるし、空気抵抗低減のために沈頭鋲を開発した有名な秘話で開発の実際も窺い知れる。しかし機銃を装備し、爆弾を装着するという戦闘機の現実は、爆撃機の空襲など被害者の視線でしか描かれていない。

子どものとき「科学」と「学習」という学研の月刊誌があった。1年生の時から取っていたのだが、「5年の科学」に飛ぶことへの憧れと飛行機の開発を追う「ホモ・ウォラント」という漫画が連載されていた。その11月号と12月号に「ゼロ戦の巻」があり、前半では9試単戦(96式艦上戦闘機)、ゼロ戦の開発に続き、後半ではゼロ戦の搭乗員の苦悩が描かれた。どんなに美しい飛行機でも「戦闘機」であるかぎり、人間を殺し構築物を破壊する道具でしかない、その葛藤が数十ページの中に描かれていた(別の巻ではナチス下のジェット機開発に従事するユダヤ人青年の話まである。現在「ホモ・ウォラント」はamazonのキンドルで読むことができる)。

翻って「風立ちぬ」は数年の歳月と資金を掛けられ、マスメディアが絶賛し興行成績の後押しをしている。で、なにが出来ているのか。なにを表したかった作品なのか。堀越二郎さんを持ち出し堀辰雄の小説を援用して、「映画」でなにをしたいのか。子ども向け映画の範疇に入るからといって、余りに曖昧で「良心的」な作品ではないか。ぼくには分からない。子どもの精神はもっと戦争に対してきちんと見ている。

背景の繊細で美しい描き込みには圧倒された。「雑草」や「枯草」を捨象した風景は美しい。輪郭を排除した描写は自然により近い。そこに輪郭を黒々と描きこんだまん丸の瞳をした人物が登場する。これはマンガじゃないか。日本人は人物の顔が描けないのか、作為的なのか。で、その可愛い少年が掠れ声のおじさんの声なのは何故なんでしょう。

初めてジブリ作品をみましが、すこし残念でした。可愛い子供たちに善良な親が出てくる漫画(アニメ)より、略奪し強姦し殺し続けた兵士、蛆虫だらけになった被曝者の屍、原爆症を恐怖する人たちの漫画を読むでしょう。中学生の頃そんな「ジャンプ」を読んでました。


1.jpg



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。