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●バッハ「マタイ受難曲」   dimanche 10 avril 2011 [■Cinéma et Musique]

今年初めての「マタイ受難曲」をすみだトリフォニーで聴く。

テノール・福音史家 アルブレヒト・ザック
バス・イエス 小原浄二
ソプラノ 宮部小牧
アルト 永島陽子
バス 青戸知
指揮 高橋誠也
合唱は東京J.S.バッハ合唱団

3月の東日本大震災で多くの人たちが亡くなったことで、この演奏会も開催するか否か熟慮を経たうえで、開催の決定がなされたことは想像に難くない。2万人を超える死者不明者の不在が、この会を中止する選択もあっただろうが、であるが故にバッハの「マタイ受難曲」を、いま演奏するということも重要な選択肢なのである。災害で齎された大きな悲しみの前で我々は無力であるが、「マタイ受難曲」演奏会に観客として参加することに少しでも「希望」を見出す道はないものか。

以前から感じているのであるが、テノールで歌われるエヴァンゲリストの軽妙なドイツ語の響きは、日本人のドイツ語では重すぎ、ドイツ語を母語とする声楽家でなければ出せないものがあるのではないか。
(今回ドイツから来日してくださったザックさんは、訪日に際して、東京電力福島第一原子力発電所の事故で放射能を危惧する友人たちから反対されたという。しかし、この時期だから音楽が必要となるのであり、バッハの音楽が意味を持つのだと確信を持って、演奏会に参加することを表明し、開催の成功の大きな力となった。)



毎回新しい箇所で発見があるのだが、震災の悲しみの真っ只中にある人たちのことを思うと、第65曲アリアが痛ましいほど沁み入って来た。

 私の心よ、おのれを清めよ。
 私は、自らを墓としてイエスを葬るのだ。
  イエスが今よりのち、私の中で
  とこしえに
  甘い安らぎを得ますように。
  この世よ、出てゆけ イエスにお入りいただくのだ。
 私の心よ、おのれを清めよ。
 私は、自らを墓としてイエスを葬るのだ。

死者の魂は生きている者の内面に存在するのだ。


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