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1966-10-04 [■sartre]

4日午後10時20分ごろ、神戸市葺合区磯部通四の市道交差点でサルトルを乗せた大阪市城東区茨田横堤、万国交通のタクシーが右側から来た乗用車の側面に衝突、双方とも車を小破した。タクシーの後部座席に乗っていたサルトル、ボーヴォワール、朝吹登水子さんは無事だったが、助手席に乗っていた人文書院勤務、松本章男(35)さんと乗用車に乗っていたTさんが顔に一週間のけがをした。

一行はこの夕方、大阪のNHKスタジオでテレビに出演、午後9時20分ごろ、道頓堀からタクシーで神戸のオリエンタルホテルに向かう途中だったが、同ホテルから約500メートルのところで事故にあった。

朝吹さんの話では、衝突でサルトルの眼鏡が吹っ飛び、衝突直前、サルトルは大声で叫んだのとのこと。サルトルもボーヴォワールもかなりのショックを受けたらしく、事故現場からパトカーに乗ってホテルへ入ってからも、駆け付けた報道陣とは会わず部屋に閉じこもり、朝吹さんを通じて事故の状況を説明しただけ。

葺合署の調べでは、タクシーが信号も街灯もなかった交差点で一時停止を怠ったのが原因。
一行は5日朝、神戸から関西汽船で予定通り九州に向かう。m


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1924-08-00 00:00:00 [■sartre]

高等師範学校に7番で合格。
1924-28
エコール・ノルマル時代、学友としては、
レーモン・アロン、ジョルジュ・カンギレム、ダニエル・ラガシュ、ニザン(1924年組)、
ピエール・ギール、ジャン・イポリット、ルネ・マユー(1925年組)、
ポンティ(1926年組)

「あばら屋」と呼ばれた部屋にニザンと暮らし、昔の学校友達とエリート校であるエコール・ノルマルの校風に合わない粗暴さを気取ったグループをつくる。

1926年9月ごろニザンがアデンに出発。ピエール・ギールとルマ・マユーと3人だけで閉鎖的なグループを作る。

このころ、『偶然の歌』、小説『ある敗北』、神話的エッセー『アルメニア人エール』、1927年1月「国際大学雑誌」に載った法律に関する論説。

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1905-6-21 [■sartre]

ジャン=ポール=シャルル=エマール=サルトル
Jean-Paul-Charles-Eymard Sartre
パリ市16区ミニャール街13に生まれる。

父、マリ=ジャン=バチスト=エマール サルトル(1874年8月6日生まれ)
母、アンヌ=マリー・シュヴァイツァー(1882年7月22日生まれ。外国語の直接教授法のパイオニア、ドイツ語教授シャルル・シュヴァイツァーの次女。アルベルト・シュヴァイツァーのいとこ)

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