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■アンジェイ・ワイダ「ワレサ」     mercredi 7 mai 2014 [■Cinéma et Musique]

岩波ホールでアンジェイ・ワイダ監督の『ワレサ 連帯の男』を観る。

1980年夏ポーランド・グダニスク造船所の労働運動は日本でも耳目を集めていた。「8月事件」(パンフレットをみるまでこの呼び方をしているとは知らなかった)は、ハンガリー事件、プラハの春に次ぐソ連・東欧の体制危機の一つとして捉えられていた。そしてその後起こるチェルノブイリ原発事故、ベルリンの壁崩壊からソ連邦解体へと向かう大転換期のメルクマールであったように思われる。

個人的に言えば、大学に入って4月にサルトルが亡くなり、高田馬場アクトで「地下水道」「灰とダイヤモンド」があり、9月になって岩波ホールでワイダ監督の『大理石の男』があった。「大理石の男」はまさに8月事件の前史であり、我々にとってのポーランドの現実だった。

「ワレサ」はワイダ監督の中心的作品とはいえないだろう。現実の結果のみえる作品を撮って満足するような監督ではないことは誰でも分かっている。しかしワイダ監督は、だからこそ撮らなければいけないのだと考え、我々はそれを求めたのだ。
映画は、大文字の歴史に対する反実現として、歴史の一時をもって(アイオーン)全体の流れを把握する長大な作業なのだ。

パンフレットに宇波彰氏が寄稿しているが、自己決定的な、「~的」「~らしい」など既定論に立脚した文が続きげんなりしてしまった。(『引用の想像力』の文章を想起したが、具体的なところは指摘できない)

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■「カリーナの林檎~チェルノブイリの森~」     samedi 26 avril 2014 [■Cinéma et Musique]

早稲田奉仕園で、今関あきよし監督・脚本「カリーナの林檎~チェルノブイリの森~」(2003/2011)を観る。

1986年4月26日旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号炉の炉心溶解、爆発事故はロシア・ベラルーシ、ウクライナ内外の広範な地域に放射性物質が降下し、居住禁止区域の多くの人たちが強制疎開させられた。
主人公の少女カリーナの家族もベラルーシで生活をしていたが、事故が原因で家族がチリジリになり、母親も発病している。
冬になってカリーナは自分自身も喉の病気を発してしまう。母親から「チェルノブイリという街には悪魔のお城があって、悪魔が毒をまき散らしている」と聞いたカリーナは、ベラルーシで一人で住んでいるおばあちゃんの処から、悪魔に毒をまくのを止めるようチェルノブイリのある森に入って行った。

2時間近い映画は全編に渡り放射能物質の汚染と、甲状腺異常と思われる子供たちの様子が、まるで福島の人たちの現在を先取りするように描かれている。陳腐な言い方になるが福島の将来を2003年に見せてしまったのだし、チェルノブイリの長い闘いの始まりを描いている。

日本語吹き替えは成功していたとは思われず、また挿入歌とエンディング曲を歌ったグループのライブは僕には苦痛であった。だからと言って否定するものではないが、若い人たちの感性と乖離している自覚はした。彼らは幼すぎるし楽観的すぎる。希望をもつほど世界は寛容ではないだろう。

カリーナ役のナスチャ・セリョギナの来日が予定されていたが、彼女の交通事故のため中止になった。そのため彼女からの動画メールが上演されたが、吹き替えの少女が日本語訳を朗読する方法は好意を持てた。


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⇒17:00終了。新宿・朝日カルチャーセンターに移動


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■バッハ「マタイ受難曲」   samedi 19 avril 2014 [■Cinéma et Musique]

さいたま芸術劇場で行われた、鈴木雅明さんのバッハ・コレギウム・ジャパンで「マタイ受難曲」を聴く。
アルトⅠがカウンターティナーという構成だったので、アリア39番「悔い改める者に憐れみを」には違和感があった。しかし、個人的な出来事があっため、今回の最終合唱はいつもとは違うものに聴こえた。

 われら涙流しつつひざまずき、
 御墓なる汝の上に願いまつる
 憩いたまえ安らかに、安らかに憩いたまえ
 安らい給え、苦しみぬきし御肢体よ
 憩いたまえ安けく、憩いたまえ心より
 御身を納めし墓と墓石こそ
 わが悩める良心の
 うれしき憩いの枕、
 また魂の安けき逃れ場にてあれば。
 憩いたまえ安けく、安けく憩いたまえ
 かくてこの目はこよなく満ち足りてまどろまん。
 

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▲JR埼京線与野本町から少し歩いたが、さいたま芸術劇場はなぜこんな処にあるのだろう。


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■サルトル「アルトナの幽閉者」  samedi 22 fev, 2014 [■Cinéma et Musique]

初台の新国立劇場小劇場に、サルトルの「アルトナの幽閉者」を観に行く。
2014年に何故サルトルをやるのか、社会的意味は何なのか、今一つ分からないと言うしかない。

フランツの戦時中の捕虜虐待が、1959年におけるフランス軍のアルジェリア戦争での捕虜拷問の現実として思考したフランス人のように、2014年の我々日本人は南京大虐殺や従軍慰安婦の問題を直接的に思考できているのだろうか。

サルトルが亡くなった1980年に八王子のセミナーハウスでサルトルのゼミが行われた。そのとき僕は海老坂武さんのもとでこの「アルトナの幽閉者」を読んだが、米ソの対立があり、イラン問題、ポーランドのグダニスク「連帯」もあり、論ずることは多かった。現在も問題は山積しているが、それを感じ、論ずる主体が脆弱化している。

出演者は父役の辻萬長さんしか知らず、フランツの岡本健一さん、レニ・吉本菜穂子さんの演出が誇張しすぎているように思えた。ヨハンナの美波さんも有名な方らしいが、すまんボクは分からない。

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●イリーナ・メジューエワ ピアノ・リサイタル  samedi 25 janv, 2014 [■Cinéma et Musique]

イリーナ・メジューエワさんのピアノ・リサイタルを、埼玉・和光市サンアゼリア大ホールに聴きに行く。

今回は「子供から大人まで楽しめる名曲プログラム」と題され、
モーツァルト「トルコ行進曲」、ショパン「幻想即興曲」「小犬のワルツ」「ワルツ嬰ハ短調」「英雄ポロネーズ」から、クープラン、ラモー、ベートーヴェン「悲愴」、ドビュッシー「月の光」まで、どれも日常耳にするものばかりだった。
メジューエワさんの演奏はしなやかさだけでなく力強さも随所にみられ、ベートーヴェンの曲も陶酔できた。

メジューエワさんはスコアを常に見ていることが知られているが、藤田崇文・和光市民文化センター館長との会話で、「自分は作曲家ではなくピアニストだから、作曲家の指示通りに弾く」と言っていた。朝日カルチャーセンターのレクチャーでも言っていたが、完璧なピアニストとしての矜持がそこにはあるだろう。

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▲朝日カルチャーセンターで


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■マルガリータ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』    samedi 30 nov,2013 [■Cinéma et Musique]

岩波ホールでマルガリータ・フォン・トロッタの『ハンナ・アーレント』を観る。
イスラエルで行われた、ナチのユダヤ人虐殺に於けるアイヒマンの裁判について、アレントの記録である。

アレントは、アイヒマンの死刑を要求する。しかしながら、ユダヤ人がアイヒマン裁判を行うことの起源、有効性を批判する。被害者は600万のユダヤ人であり、その名においてアイヒマンを裁こうとしても、そこにこの裁判の根拠があってはならないとする。

アレントは「罪」とは二つあると考える。戦時中の残虐行為・虐殺などを「人道に対する罪」とみなす。そして、人種や民族などを殲滅し地球上からその集団を抹消してしまうこと、その権利が自分にあると認める犯罪を「人類に対する罪」と規定する。ナチの行ったユダヤ人虐殺がこれにあたる。アレントはこの「人類に対する罪」で、ユダヤ人の名においてではなく人類全体によってアイヒマンを裁くべきだとする。それゆえイスラエルで行われている裁判は、アレントの論理では否定される。もちろんアレントはナチにより収容所に収監され、フランスに逃れアメリカに逃れてきたユダヤ人であり、アイヒマンの極刑を望んでいる。しかしだからこそ、法概念を歪曲することを許さないのだ。

アレントの講義最後の語りはナチに対する人類全体の抗議の言説である。にも拘らずそれが正当であっても、600万の家族を虐殺されたユダヤ人は、分かっていてもそれが許せないのだ。それが記憶をもつ人間であり、血の通った人間なのだ。

マルガリータ・フォン・トロッタさんの作品は1983年にユーロスペースで観た「鉛の時代」以来だ。なんと30年ぶりの邂逅(「ローザ・ルクセンブルク」は未見)

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■「風立ちぬ」と「ホモ・ウォラント」     mardi 20 aout 2013 [■Cinéma et Musique]

宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観に行く。

ゼロ戦の設計者堀越二郎氏の「飛行機」にあこがれる幼年期からゼロ戦開発前夜までの前半生を、堀辰雄「風立ちぬ」のエピソードで翻案した物語だという。

飛行機への憧憬と開発が同時に描かれているのだが、その飛行機が「戦闘機」であるという葛藤が描かれている訳ではない。堀越二郎氏の飛ぶことへの憧れは、夢の世界に登場する飛行機設計の先達カプローニとの語りで増幅される。それによって飛行機への思いは十分伝わってくるし、空気抵抗低減のために沈頭鋲を開発した有名な秘話で開発の実際も窺い知れる。しかし機銃を装備し、爆弾を装着するという戦闘機の現実は、爆撃機の空襲など被害者の視線でしか描かれていない。

子どものとき「科学」と「学習」という学研の月刊誌があった。1年生の時から取っていたのだが、「5年の科学」に飛ぶことへの憧れと飛行機の開発を追う「ホモ・ウォラント」という漫画が連載されていた。その11月号と12月号に「ゼロ戦の巻」があり、前半では9試単戦(96式艦上戦闘機)、ゼロ戦の開発に続き、後半ではゼロ戦の搭乗員の苦悩が描かれた。どんなに美しい飛行機でも「戦闘機」であるかぎり、人間を殺し構築物を破壊する道具でしかない、その葛藤が数十ページの中に描かれていた(別の巻ではナチス下のジェット機開発に従事するユダヤ人青年の話まである。現在「ホモ・ウォラント」はamazonのキンドルで読むことができる)。

翻って「風立ちぬ」は数年の歳月と資金を掛けられ、マスメディアが絶賛し興行成績の後押しをしている。で、なにが出来ているのか。なにを表したかった作品なのか。堀越二郎さんを持ち出し堀辰雄の小説を援用して、「映画」でなにをしたいのか。子ども向け映画の範疇に入るからといって、余りに曖昧で「良心的」な作品ではないか。ぼくには分からない。子どもの精神はもっと戦争に対してきちんと見ている。

背景の繊細で美しい描き込みには圧倒された。「雑草」や「枯草」を捨象した風景は美しい。輪郭を排除した描写は自然により近い。そこに輪郭を黒々と描きこんだまん丸の瞳をした人物が登場する。これはマンガじゃないか。日本人は人物の顔が描けないのか、作為的なのか。で、その可愛い少年が掠れ声のおじさんの声なのは何故なんでしょう。

初めてジブリ作品をみましが、すこし残念でした。可愛い子供たちに善良な親が出てくる漫画(アニメ)より、略奪し強姦し殺し続けた兵士、蛆虫だらけになった被曝者の屍、原爆症を恐怖する人たちの漫画を読むでしょう。中学生の頃そんな「ジャンプ」を読んでました。


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●イリーナ・メジューエワ・コンサート    samedi 20 juillet 2013 [■Cinéma et Musique]

横浜のみなとみらいホールに、イリーナ・メジューエワさんのコンサートを聴きにいく。

曲目は、
バッハ、トッカータホ短調BWV914、半音階的幻想曲とフーガBWV903
ベートーヴェン、ピアノソナタ21番ワルトシュタイン
ショパン、24の前奏曲

グールドと異なるバッハに違和感はまったくなく、ゴルトベルグと同じイリーナさんのバッハとなっていた。
ワルトシュタインは主旋律が何度も続き、やはり19世紀初頭の感性とのズレを感じざるを得ない。。Bくんはベートーヴェンの冗漫さが好きではないと言っているが、バッハの普遍性に対し、ベートーヴェンには時代性とヨーロッパを偏在した地域と捉えられる相対化が如実に表れている。

アンコールはショパンの前奏曲17番の変イ長調をもう一度やり、最後にバッハのフランス組曲5番のアルマンド。ショパンは言うまでもなく、バッハがまた良い。
イリーナさんは曲目をはにかんだように囁くが、日本語ペラペラなのは隠しているのだろうな。インターミッションのラウンジで、スコアを見ながらやっていると感想を述べているご夫婦がいらっしゃった。イリーナさんは、作曲者の音を一つひとつ弾きたいと言っていたが、まさに然り。

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●イリーナ・メジューエワ ピアノ音楽の歴史 samedi 20 avril 2013 [■Cinéma et Musique]

朝日カルチャーセンターの「ピアノ音楽の歴史」
真嶋雄大氏による解説、イリーナ・メジューエワさんのピアノで、フローベルガーからバッハまでのピアノ曲を聴く。

●フローベルガー「ブランシュロシェ氏のトンボー」
●クープラン「葦、神秘のバリケード、百合の花ひらく」
●ラモー「タンブーラン」
●スカルラッティ「ソナタロ短調k27」「変ホ長調k193」
●ヘンデル「組曲ホ長調hwv430」
●バッハ「半音階的幻想曲とフーガ」(1720)

「半音階的幻想曲」はイリーナ・メジューエワさんのCD「ゴルトベルク変奏曲」に併収されてもいるし、「平均律」にも似ており聴きやすいが、意外にフローベルガーの曲が陰鬱な感情の流れがよく出されていた。

チェンバロ、クラヴィコード、ヴァージナルいずれもピアノとはまた違う古楽器の音が時代を形成しているのだろうか。



▲イメージね


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●バッハ「マタイ受難曲[日本語演奏]」   samadi 30 mars 2013 [■Cinéma et Musique]

東京バッハ合唱団によるバッハの「マタイ受難曲」日本語演奏を紀尾井ホールで聴く。

日本語訳でおこなわれるバッハということで演奏前はかなり違和感を持っていたのだが、序曲の合唱から日本語としてこなれ且つ荘厳な言語空間が構成されていることに圧倒された。この曲の指揮者でもあり訳者でもある、大村恵美子さんの長年に亘る作業が日本語としての完成度の高さを物語っている。何度も聴いてきたマタイ受難曲であるが、一つ一つのエピソードがドイツ語で語られるせいであろうか、ドイツ語の演奏と日本語で理解する間にコードの読み替えをすることでいまひとつ感情移入が出来ていなかった。それがこのたびの大村恵美子さんの日本語訳を聴くことで、バッハの語るキリストの受難が直接我々に語りかけて来るのである。

39番のアリア
木村:訳
憐れみを 主よ
この 涙の ゆえに
 見給え
 ここに 胸も 目も 泣きぬれ
 み前に あるを

杉山好:訳
憐れみたまえ わが神を
したたり落つるわが涙のゆえに
 これを見たまえ 心も目も
 汝の御前にいたく泣くなり
 憐れみたまえ 憐れみたまえ

礒山雅:訳(『マタイ受難曲』 東京書籍)
憐れんでください、神よ
私の涙のゆえに
 ご覧ください、心も目も
 御前に激しく泣いています
憐れんでください、神よ
私の涙ゆえに



このアリアは何の問題もないではないか。学術的なドイツ語解釈ではなく、バッハの音楽に日本語としてしっくり合うのは木村さんの訳といえよう。

イエスの死の場面。イエスが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、なんぞわれを見棄てし)
この発言の後、イエス(バス)の渡辺明さんは楽譜を抱き、頭を垂れ瞑目するかのようにしていた。このような演奏も初めてであり、深い信仰性が見られた。


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