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■『カムイ伝第1部』     vendredi 27 avril 2012 [■Livre]

白土三平『カムイ伝』第1部(小学館文庫)を読む。

高校生の時読んでから30年ぶりになる。未熟な僕は忍者漫画の延長と、被差別問題に対して好奇心があるのだぞという傲慢な知的優越感から読んだものだった。今回再読してみるとその時よりも強い憎悪と焦燥、そして敗北感を感じるのは、資本主義が如何に行き詰まり崩壊に瀕していようとも、既に世界が社会主義思想の否定・敗北という選択をしたことがあるし、ソビエト・ロシアの成立時点からの誤謬を指摘したところで最早どうにもならないという現実だろう。

「カムイ伝」の主人公は非人部落(実際は穢多集落)のカムイと下人百姓(のちに本百姓)の正助の二人であろうが、主人公を取り巻く百姓とは別に支配階級の武士の姿も多岐に描いている。また江戸時代の統治方法は、封建的な
<武士/百姓>の権力構図だけでなく、<百姓/穢多(穢多/非人関係も内包する)>の対立関係を隠蔽成立させることによって、支配の重層化を目指したことを漫画で表している。

儒教的封建制による農業社会の支配の形態と、現代社会の自制が効かなくなった新自由主義・資本主義の形態はまったく違った範疇にあると分析されようが、フクシマ以降の人間観を構築しようという観点からみれば類似点は見つかるだろう。<脱原発>の向こうにある思想状況はすべての権力を露呈し解体することから始まる。政治と経済と科学技術の三位一体が「原子力」を介在として癒着している向こう側にある構造を暴き、日本の権力を顕わにすることは3.11以降の人間観を形成する最大の問題である。そして最大のタブーとなろう。

「カムイ伝」の江戸幕府の隠蔽された最大のタブーは徳川家康は賤民だということだったが、現代権力の最大のタブーは何であり、そのシステムが如何に社会に弊害を齎し、人間観を貶めているか。誰も知っていて誰も言及できないからタブーであるのだ。

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