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■追悼・加藤周一さん  samedi 6 dec, 2008 [■追悼]

5日、加藤周一さんが亡くなる。89歳だったという。

現代日本が世界と対峙できる「知識人」であった。ここで「知識人」という表記を使ったのは勿論サルトルの謂いを援用してのことであるが、加藤さんは正しく日本の「知」であった。

「羊の歌」(岩波新書)や「著作集」から抜き出した「加藤周一セレクション」(平凡社ライブラリー)などの読者でしかなかったが、80年代から続く「夕陽妄語」(せきようもうご)は、大江健三郎さんの「定義集」とともに、朝日新聞という一紙の連載という範疇をこえ、日本の良心の方向を指し示していた。

親しくお付き合いがあったわけなどないが、初めてその謦咳に触れたのは四半世紀も前の1980年だった。4月にフランスでサルトルが亡くなり、まもなく加藤さんによって日仏会館で追悼講演が行なわれた。サルトルに負けないドスの利いた声でサルトルの全体像を組み立て、現代社会に知識人が持つ責任論を構築した。海老坂さんが『戦後思想の模索』(1981年 みすず書房)で加藤さんの「雑種文化論」を精読することによって、日本文化に特異な性質を考えることにもなった。そういえば、
その後講談社の「人類の知的遺産」でサルトルを担当したのも加藤さんであった。

「夕陽妄語」は既に数冊の単行本となって発行されているが、僕にはどうしても忘れられない2編がある。
ひとつは1993年1月20日の「命短し」であり、もうひとつは2002年6月22日の「『それでもお前は日本人か」である。

「命短し」は92年暮れに亡くなった平井啓之さんのことである。平井先生は「わだつみ」として軍国日本に強烈な憎悪を持ち、無責任体制の核である天皇制を批判し続けていた。また、戦争による死と向き合った人間の哲学である実存主義、サルトルと、自分の生を見事にひとつのものとして捉えきった平井さんを浮かび上がらせていた。

もう一方、「それでもお前は日本人か」は、詩人宗左近氏による白井健三郎さんの横顔である。宗左近氏が召集令状を受けた1945年3月31日の歓送会で、同じ同級生の橋川文三氏が白井さんに「それでも日本人か」と言う場面である。

  「まず人間とは何だい。ぼくたち、まず日本人じゃあないか」
  「違うねえ、どこの国民でも、まず人間だよ」
  「何て非国民!まず日本人だよ」
  「馬鹿なことをいうなよ。何よりもさきに、人間なんだよ」

戦時下の日本の圧倒的な多数下で「まず人間」だといいきる白井さんに、「白井の精神の自由を私は尊敬する」と書く加藤さんにもまた、おなじ精神を感じる。加藤さんの論も読み切れないような陣営がなんと多いことか。その知のレヴェルをいかに憐憫を思うか。それでも加藤さんは発言し続けた。

平井さんも白井さんもとうに鬼籍に入り、いま加藤さんも戦争の悪、人間の欺瞞を言及しつつあちら側に逝かれてしまった。


DSC00120.JPG

12月14日
真面目にへとへとになって帰宅。テレビの前に11時30分に就き、テレビを点けると加藤さんの姿、そして「1968年」という文字が。新聞休刊日で2日纏めて中面にあるテレビ番組欄を見ると、ETV特集で氏の追悼番組をやっていたらしい。
どこへもやりようのない暗い憎悪が湧いて来る。いちいち中面のテレビ欄のETV欄をチェックなどするか。


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