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■麻生太郎氏の創氏改名発言  lundi 2 juin 2003 [■situation]

次から次へとよくもまあ際限もなく汚らしいデマゴギーが続出することか。
麻生太郎・自民党政調会長が、5月31日東大の講演で、「朝鮮人創氏改名は、最初は当時の朝鮮人が望んだことだ」、「当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと、名前のところにキンとかアンとか書いてあり、『朝鮮人だな』といわれた。仕事がしにくかった。だから名字(苗字?)をくれ、といったのがそもそもの始まりだ」と発言したと韓国の東亜日報が伝えている。

天皇制日本が朝鮮でおかしたことが如何に非人間的で抑圧的なことだったか、未だに認識できない政治家がこの国にはいるのだ。
1910年の韓国併合も、「日韓併合ニ関スル条約」では韓国皇帝が日本の皇帝に併合を申し込んだというかたちになっているが、前過程で、「一進会」という韓国の在野団体が初めに併合の要求をしたという事実がある。しかし、それがまったく実体のない幽霊団体で、併合要求も幹部の私利私欲から出たものだということが明らかになってる。

もちろん、日本はそんな要求があろうとなかろうと併呑する政策であった。1905年の保護条約、06年の総監府設置で司法、行政権を握り、10年に韓国併合が成立したあとも「新聞紙法」「私立学校令」「教科用図書検定規定」などで教育装置を確立し、植民地化は進行していった。 併合を韓国自身からの要求と糊塗しようとするのは侵略国としてまったく都合がよい。しかし、侵略国家のこの論理が誤謬であることは歴史が証明している。

今回の麻生太郎氏の発言でも、「仕事がしにく」いために日本人的な名前が欲しいという表現があるが、パスポートを使えるような人物が朝鮮人一般を代表する人物であるとは思われない。どのような経緯での発言か資料がないので分からないが、帝国主義日本に限りなく自己を同化していた朝鮮人の発言だと思われる。麻生氏は発言の根拠となった一次資料の開示をすべきだ。 創氏改名は法的強制力はなかったが、暴力的な皇民化政策のなかで経済的、政治的抑圧が行われたのは事実である。1939年の朝鮮民事令改正で公布してから45年の日本の敗戦までの6年間で80パーセントの人が日本式の名前をつけたが、日本の植民地化がもしそれ以降もつづくようなことがあれば、その暴力的強制力はもっと増したはずである。

天皇制日本は朝鮮半島の政治経済を支配し、創氏改名により朝鮮民族のイダンテティまでをも支配した。換言すれば、併合で「韓国」という国家を消滅させ、創氏改名で「朝鮮民族」まで消滅させようとしたのである。これは国家犯罪でなくてなんであろうか。


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