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■昭和天皇-マッカーサー会見   jeudi 17 octobre 2002 [■situation]

昭和天皇と連合国軍総司令官マッカーサー元帥との第一回目の会見(1945年9月27日)の公式記録が公開された。朝日新聞の公開請求に応じたものだ。

マッカーサーは回想録(『マッカーサー回想録』 津島一夫訳 朝日新聞 1964年)の中で、
「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の決裁にゆだねるためにおたずねした」
という天皇の発言を記述している。

今回の外務省資料ではこの記述がない。しかし、米国側資料(アチソン打電文)や通訳の奥村勝蔵氏の話から推測すると、この部分が外交資料としては削除されたらしいことは明白である。が、論はこれを以って昭和天皇の人柄や戦争に対する責任を負わないことを容認するものではない。むしろ、宮内庁にあるらしい文書を含め国の外交記録を開示することによって、政府、アメリカが如何に戦後国際 政治の枠組みの思惑で動いたか、如いては昭和天皇の戦争責任を回避したかを明らかにすることが求められるのだ。

そして、松尾尊兊京都大学名誉教授もいうように、天皇のマッカーサーに対する発言はあったと認めたうえで、もうひとつ言及せねばならぬことは、昭和天皇は日本国民対し戦争責任を一言も明確にせず死去されたと言うことである。この行為が無責任国家日本の象徴そのものなのである。(勿論、大日本帝国憲法第3条(天皇神聖条項)、第55条(国務大臣の輔弼条項)からする天皇無責任論は範疇外の誤論である)



K・ワタベッチによると、アメリカの移民局は終戦直後のデータベースが可動状況にあるという。戦後まもなく渡米したワタベッチの御父上の行動が把握されていたのだそうだ。40年も50年も前の記録がある世界最大の警察国家である。まっ、北朝鮮よりはいいけどね。(北朝鮮は高濃縮ウラン施設による核兵器開発を継続していることを認めた。どこまで、北朝鮮はカードを切るのだろう)


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