●パリの地下鉄 [■sartre]
パリの地下鉄 船曳建夫(私空間)
朝日新聞 1997.06.17 東京夕刊 5頁 文化 (全655字)
一九六八年から六九年の大学闘争の時期を東大駒場の二年生として過ごして、いま同じ場所に教師としているのだが、あの当時の情景が色感を持って現れることはめったにない。ここには立て看板を置いた、あそこでは隊列を組んだ、そしてこの門扉の汚れは確かにあの時付けた焼け焦げなのだと分かるのだけれど、それらは過去の記録であって、現在の記憶ではない。
しかし、人が入ると、とたんに記憶はよみがえる。四十歳を過ぎてから面識を持った、『知の技法』の共編者である小林康夫さんに、その初対面の時、「船曳さんのこと全共闘の時、知ってましたよ。僕、一年下で、いろんな人から聞いていたから」と言われたとたん、こちらは彼のことを知らなかったのに、彼と一緒にいる駒場が、ないはずの思い出の中に現れた。
だから、ある日パリの地下鉄の中で平井啓之さんに出くわしたとき、彼の持つ強いパワーで、そこが駒場になった。仏語の先生で、闘争のころの私たちの最大の論敵であった先生は、大学を辞めてパリに来ていらしたのだが、開口一番「君かー、全共闘はばかだよー」と甲高い声で私を一喝し、それから延々と、傍らの奥様を無視し、周りの乗客も眼中にないまま、終点の駅まで、あの特徴ある抑揚で、その車両を駒場のいちょう並木に変えて、いかに全共闘がばかであったかを論じ尽くした。実はその後、もう一度ばったりお会いしたのだが、そのときも、「君かー、覚えているぞー、全共闘は……」。
記録よりも記憶に残る野球選手というのがいるが、平井さんはそういう駒場の教師であった。
(東大教授・文化人類学)
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